直木賞受賞作『ともぐい』はどんな話? 別の山から来た熊に「縄張りを荒らされた」と感じてしまう野性的猟師の死闘とは
公開日:2024/2/9
“少しだけ、人の股座の臭いに似ていると思う。命の匂いだ”
読み初めてすぐに現れた言葉で、この小説は傑作だと確信した。
河﨑秋子さんの『ともぐい』(新潮社)が第170回直木賞を受賞した。『颶風の王』(角川文庫)から始まり『肉弾』(同)や『土に贖う』(集英社文庫)など強烈な作品を続けて発表しそのどれもが高い評価を受け、2022年には『絞め殺しの樹』(小学館)で第167回直木賞候補となった。そして二度目の候補作『ともぐい』で第170回直木賞を受賞。
明治後期の北海道。ひとりで山野に暮らす猟師「熊爪」はある日遠く阿寒から追われた手負いの羆(ひぐま)が自分の山に入り込んだことを知る。よそ者である羆が自らの縄張りに入り込んだことに怒りを露わにする熊爪は、その羆を仕留めることに執念を燃やす。
獣のような感覚と嗅覚を持つ主人公・熊爪の生き様を描いた本作は、自然や羆との関わりを軸にしながらも、山人である熊爪を通して描かれる生と死、そして世俗の真を射抜く眼差しが印象的な物語である。
獣を狩り、その肉を喰らい、町に下りては獣の肉や皮を売り、そしてまた狩る。そうした生活がすべてであった主人公の熊爪は、鹿や鳥、そして羆といった獣たちは獲物であると同時に自分と同じく山で暮らす者たちでもある。
鹿の頭蓋骨を角にぶら下げた雄鹿や、猟師の分け前を期待して獲物の居場所を知らせるカラス、そして山の王である羆。自然界の理(ことわり)に従って暮らし、野性の嗅覚を持つ熊爪にとって、人間と羆は、「人間と獣」という対では捉えてはおらず、自然界における生き物たちの頂点にいる捕食者、つまり頂点捕食者として存在すると考えているのだ。そして同じく山の頂点捕食者として存在する羆。他の猟師が山に入ることにはなんら気にしない熊爪だが、別の山から来た羆が熊爪の山に入ったことを知ると感情を露わにする。つまり捕食者としてよそ者が縄張りを侵すことへの野性的な感情なのだ。一方、穴倉で冬眠する羆に対して「ずりいじゃ、熊は」と羆に対して恨めしく思うのも自身と同じ存在であるからこそ出てくる熊爪の純粋な言葉だろう。
しかし、生と死のみによって営まれる獣の理に従っている熊爪にとって、ひとたび山を下り町の“人間”たちの世界に入り込むとよそ者となる。人間たちの得体のしれない言葉や行動に戸惑い、そして煩わしさを感じるのである。優しさや親しみといった感情さえ邪魔であるかのように。
人間の道理から外れた熊爪の思考は、時に眉をひそめることもあるが、“言葉を持つ獣”である熊爪を介して充たされる「命の匂い」に読者はただただ圧倒される。
河﨑秋子さんの小説の魅力として、“命”と“自然”への眼差しに余計な礼讃や装飾がないことがあげられる。生きとし生けるものの隣には常に生と死が寄り添い、生と死が等しく描かれるからこそ、読者はそこに浮かび上がる命の儚さに動揺し圧倒される。そうしたこれまでの作品で描かれてきた著者の眼差しが、本作においては人と獣の境に生きる猟師の熊爪の眼差しと重なっていることを強く感じられた。そういった意味でも『ともぐい』は河﨑文学のひとつの到達点といっても過言ではないだろう。
文=すずきたけし