元BiSH・モモコグミカンパニーが明かす、葛藤しながら駆け抜けた解散までの3年半。新著『解散ノート』に込めた思いとは?【インタビュー】

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/2/14

モモコグミカンパニーさん

 結成から8年強、2023年6月の東京ドーム公演で華々しく解散を遂げた6人組の楽器を持たないパンクバンド・BiSH。「オーケストラ」「BiSH-星が瞬く夜に-」「Non TiE-up」などループの曲を聴いた途端、今なお、ステージの熱量がすぐさま蘇ってくる。

 解散後、メンバーは別々の道を歩き始めた。その1人、モモコグミカンパニーさんはグループ時代の所属事務所であるWACKからワタナベエンターテインメントに「文化人」枠で移籍。タレント業、作家業、アーティスト業と、マルチに活躍している。

 2024年2月14日刊行の新著『解散ノート』(文藝春秋)は、BiSHのメンバーが解散を告げられたその日から、解散当日までの彼女の心情をつぶさに記録した1冊。ライブを中心に駆け抜けた日々に今、モモコグミカンパニーさんは何を思うのか。新著の執筆秘話とともに聞いた。

『解散ノート』(モモコグミカンパニー/文藝春秋)
『解散ノート』(モモコグミカンパニー/文藝春秋)

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まっさらなノートの表紙に「解散ノート」と書いたあの日

――2019年11月22日、前所属事務所WACKの代表取締役でありBiSHのプロデューサーを務めていた渡辺淳之介さんに「解散」を告げられる場面からはじまる新著ですが、その日を境にタイトルの「解散ノート」を書きはじめたそうですね。

モモコグミカンパニーさん(以下、モモコ):解散を宣告された日に「忘れちゃいけないよな。残りの日々を」と思ったんです。当時、BiSHとしての活動は5年目で、少しずつ人気が出ていた状況に慣れていたし、その日まではただただ毎日を過ごしていた感覚でした。

 でも、解散を告げられて「この日々は当たり前じゃない」と思って。私は何かを書くことに依存していて、その時間が一番素直でいられるから、自宅に戻ってからまっさらなノートの表紙に「解散ノート」と書き、いつか読み返すために解散までの日々をリアルタイムに書き溜めようと決めました。

――新著では、解散までの3年半に及ぶ時々の状況や心情を赤裸々に明かしています。内容は「解散ノート」に書かれたすべてか、それとも、出版にあたって、なくなくカットした箇所もあるのかが気になりました。

モモコ:すべて、新著に反映しています。色々な出来事があって、書き残したいと思っても、忙しくて書けない時期はあったんです。でも、最後の1年は「解散ノート」をいつか発表できたらと視野に入れていたので、ライブの日は「どれだけ忙しくても書こう」と決めていました。

――2023年6月29日に東京ドームで開催した解散ライブ「Bye-Bye Show for Never at TOKYO DOME」から7カ月強。今、このタイミングで『解散ノート』を出版する意図は?

モモコ:解散を世間に発表してからのインタビューで解散への思い、解散後の将来を語る機会はあったんですけど、当時はリアルタイムでしたし、話せることも限られていたんです。こうした取材で“誰かの言葉”で書いていただくのではなく、BiSHの解散を自分で咀嚼して伝えたかった思いが一番でしたし、私にとってこのタイミングが『解散ノート』を出版する意義ですね。

 あと、終わりが決まっているのはBiSHだけではないので。私たちは、解散を告げられて貴重な日々を再認識したんですけど、大切な人を失ったり、誰もが“何かの終わり”と向き合ったりしながら生きていると思うんです。人生はそういうものですし、普遍的なテーマかとも思うので、1冊の本にするのは前向きでした。

――「清掃員(BiSHファンの通称)」のみなさんの反応も気になりますか?

モモコ:気になります。出版前は「読みたくないけど、読みたい」といった意見も見て、重たいことが書いてあるんじゃないか、解散の真実が書いてあるんじゃないかと、考えていた方も多かったのかなって。でもけっして、暴露本ではないです。

 終わりと向き合う中でモモコグミカンパニーという人間に浮かんだ言葉、運命共同体だったメンバー、渡辺さんをはじめとする周りのスタッフの方々、清掃員からいただいた一生忘れたくない言葉を刻み込みました。誇張なく、本に合わせて書き足してもいないので、BiSHでいた当時の“自分の血”が『解散ノート』にはドクドクと流れていると思います。

モモコグミカンパニーさん

モモコグミカンパニーさん

グループでは「自分が貢献できることは何だろう」と葛藤も

――BiSHが世間に解散を発表したのは、2021年12月24日。渡辺さんに告げられてから、2年以上も空いていたのは驚きでした。

モモコ:私は、将来が決まっていなかったし、心配をかけたくないので両親にも発表まで伝えていなかったんです。「将来どうするの?」と聞かれても「分かんないよ」と返し、ケンカになってしまうかと思って、子どもながらの考えで黙っていました。

 オーディションに合格した当時、普通の大学生だった私が「BiSHに受かった。よく分からないけど、楽しいから絶対にやる!」と宣言したのは、親からすれば想定外の道だったと思うんです。最初は「アイドルなんて……」みたいな反応でしたけど、説得したら母も「それほど言うなら」と信じてくれて。活動中はBiSHを愛してくれたし、地方公演にも熱心に足を運んでくれたのもあって、発表までは「解散」を伝えられませんでした。

――BiSHでの活動中、「モモコグミカンパニー」としての評価は「自分自身の人生の評価には繋がらない」とする記述もありました。

モモコ:渡辺さんから「自分たちでやってるみたいな顔してるけど、結局、お前らってアイドルだよな。人が用意したものばかりやってる」と言われたとき、ハッとしたんです。BiSHではメンバーが歌詞を書き、振り付けも考えましたけど、衣装もステージも、曲も誰かに用意してもらったものでしたし、他のメンバーにも助けられながらだったので「私が貢献できることは何だろう」とずっと考えていました。

 ひとつ、歌詞を書けたのは、ステージに立つ上での救いだったんです。BiSHのシングルがオリコン1位を取っても自分の中では他人事で「みんな、すごいな」と俯瞰して見ていたんですけど、一方では「自分には何があるんだろう」と自問自答していて。「解散ノート」を書きはじめてから、再び「自分には何があるのか」とゼロから考えるようになりました。

――解散を経て、その答えは見つかったんでしょうか?

モモコ:ずっと探しているし、今も「これがモモコグミカンパニーです」と言うのは難しいです。でも、BiSHでの活動時、コロナ禍で小説の原稿を出版社の方に売り込んだのは「自分には何があるのか」の答えへと近づくきっかけにはなりました。解散がなければ、そこまでの行動はなかったと思います。

――解散は、モモコさんが人生を新たに本気で考えるきっかけになったんですね。

モモコ:決められたレールに乗る人生が嫌で、大学卒業から就職へと進むルートからはずれて、でも結局「アイドルになってもそうじゃん」と感じていたけど、自分らしくいるのが一番の幸せだと気が付きました。BiSHで「自分がここにいていいんだ」という安心感を得られたし、芸能界で悩む人はどれほどいるのだろうとは思いますけど、私は歌もダンスも上手ではなかったし、自慢できる芸がなかったからこそ、人一倍、自問自答していたのかもしれません。

モモコグミカンパニーさん

解散イヤーは「BiSHのモモコグミカンパニー」でいられた

――解散を告げられた日、モモコさんは「よかった」と安堵の気持ちもあったそうですね。解散が決まり「不安は増えたけど、怖いものは少なくなった」とも明かしています。

モモコ:不思議な感覚ですよね。BiSHが上り調子となり、周囲からの愛を感じて「色んな景色が広がっていくんだろう」と視界が開けてきた時期、私は「これって、いつまで続くんだろう」とも思っていたんです。

 女性グループならではかもしれませんけど、上った先で「もし下がってしまったら、みんなと一緒に仲よくやっていけるのか」と不安もあったし、BiSHが好きだからこそ、たくさん考えていて。解散を告げられてからは終わりに向かって突き進むしかないし、落ちる不安を考えなくても済むと安心して、自分たちが一致団結して進むブースターにもなっていました。

――自分たちの活動に対して、慎重に考えていたんですね。

モモコ:心配性だし、アイドルは「儚いもの」と考えていたんです。BiSHでの活動中は、大きなライブ会場に立てたとしても、数年後に規模が小さくなる不安もありました。「おばあちゃんになっても続ける」と意気込むメンバーもいたし、その思いを否定していたわけではないけど、私は、ずっと続けていけるかと考えていて、BiSHを存続させたまま、メンバーの卒業や新メンバーの加入は似合わないと思っていました。

――たしかに、BiSHはモモコさんをはじめ、6人のイメージが強烈でした。

モモコ:6人で完成されていたし、誰一人欠けてはいけない空気を誰もが感じていたと思うんです。その環境での「いち抜けた」はダサいし、私の考えですけど「やりたいことがあるので卒業します」という、王道のアイドル像が似合わないグループだったなって。だから、解散で自分の人生と向き合う葛藤はあったんですけど、BiSHを守るためには仕方ない決断だったとも思いました。

――感情の揺れ動きはありながら、解散イヤーへと向かう直前の2022年末には「予想もつかないワクワクした年になりそうだ」と、BiSHとして最後の年への期待を込めていました。

モモコ:解散の前年は特にしんみりしていた時期で、ライブで、人のために、恩返しのためにと強く意識していたんです。でも、解散が近づくにつれてしんみりだけではなく、BiSHとしての時間を楽しもうとする意識も生まれてきました。BiSHの音楽を肌で感じ、目の前にいるお客さんの熱量を感じ、メンバーとの他愛ない会話を噛み締めようとして、解散イヤーはワクワクできたし、BiSHのモモコグミカンパニーとして生きることができました。

モモコグミカンパニーさん

モモコグミカンパニーさん

BiSHでの8年を通して得た「一歩踏み込む力」

――解散ライブの終演後は、興奮もさめやらなかったかと思います。

モモコ:みんなで軽く打ち上げをして、午前0時頃に帰宅したんです。自宅へ帰っても、東京ドームのステージに立っていたヘアスタイルやメイクのまま、ネイルもはがせずに、朝までSNSの感想を見ていました。メンバー揃って「東京ドームは、寝なきゃ終わらない」と言っていたし、眠れなかったんです。翌朝、メンバーのハシヤスメ(アツコ)が「ラヴィット!」(TBS系)の生放送に出演していたのを見て「本当に解散したんだ」と実感しました(笑)。

――(笑)。解散を経て所属事務所も移籍し、変化もありますか?

モモコ:過去に父親から、BiSHがなくなったら私の力は「100分の1くらい」になると言われたし、自分もそれ以上にスッカラカンだと思っていたんです。芸能界へ残るかどうかの決断も時間がかかったし、自分には「中身がない」と心配ばかりでした。

 でも、結果として解散を告げられた日から解散までの3年半で軸ができたので。1月にはミニアルバムリリースに伴うソロでの東名阪ツアー「(momo)Release Tour -どこにもない日」も開催したし、昔の自分では、1人で歌うのは考えられなかったです。BiSHとしての8年があったからステージに立てましたし、暗闇に足を突っ込んで落とし穴にハマってしまうような時期もあったんですけど、今は、一歩踏み込む力がついたと思っています。

――自身と同じく、他のメンバーも新たに活躍の場を広げています。

モモコ:BiSHで活動を共にしていたときは、他のメンバーを見て「ソロ活動の話をマネージャーさんとしている。でも、私は何も言われていない」と気にしていたんです。でも今は、変わりました。自由に活動しているのは、私にとっても希望です。それぞれジャンルが違うし、今、肩を並べると「共通点ある?」と思ってしまう人たちでしたけど、BiSHで一緒に戦ってきた同志ですし、活躍しているのはうれしいです。

――そうしたメンバーと活動してきた軌跡を振り返り、新著では自身の「生き様に一番勇気をもらっているのは私自身かもしれない」と述べていました。最後に、BiSHに学んだものを教えていただきたいです。

モモコ:昔から夢見がちなところがあって、BiSHへの加入当初には未経験ながら「歌もダンスも、まあ、できるだろ」とたかをくくり、結果としてできず、涙を流す日もあったんです。でも、メンバーに支えてもらいながら、ここまで歩いてこられました。努力の大切さもそうした日々で学んだことです。歌が苦手で声が出なければ出るまで頑張ればいいし、二の足を踏む暇があるなら、とにかく一歩踏み出してみるべきで。そうしないと人生の足跡を付けられないというのは、BiSHでの一番の学びでした。

モモコグミカンパニーさん

取材・文=カネコシュウヘイ 写真=島本絵梨佳