「あした死のうと思って…」という相談を引き留めない友人。それなのに気づけば“僕”の死ぬ日はどんどん遠ざかるのはなぜ? 優しい空間が広がる『あした死のうと思ってたのに』
公開日:2024/2/26
思わず手を差し伸べたくなるタイトルがつけられた漫画家・吉本ユータヌキさんの新作『あした死のうと思ってたのに』(扶桑社)。SNSで公開された漫画に描き下ろしを加えた、7本の短編が掲載されている。登場するすべての人物(一部、ネコ)が愛おしく、大切な人に薦めたくなる漫画だったので、ここで紹介します。
作者の吉本さんは、中学生の頃に同級生からいじめられ、同時期に、家庭でも夜な夜な父親が母親に対して怒鳴っているのを布団の中で震えながら聞いていたそう。高校になってからも友達を作れず、バイトに明け暮れる毎日の中、学校でも家でも苦しくて、「こうするしかない」とベランダの手すりに足をかけたこともあったとか。そんな吉本さんを救ったのは、バイト先の先輩が勧めてくれたパンクロック。もっといろんな音楽に出会うため、CDを買い漁るという楽しみを見つけて、今日まで命を繋いできたのだと作者は語る。本書に掲載された漫画はすべて、作者の原体験がもとになっているそうだ。
表題作「あした死のうと思ってたのに」は、「あした死のうと思って…」と“僕”が友達に語りかけるところから始まる。“僕”がそれを友達に打ち明けると、友達は「そっかそっか」と、引きとめたり諭したりすることなく“僕”の気持ちをそのまま受け止め、いつもと変わらない調子で「最後の飯行こうぜ」「つけ麺もうめーから来週食べに来ねえ?」などと声を掛けてくる。そのおかげで、“僕”が死のうとしている日はどんどん遠ざかっていくのだった。
この漫画の特徴は、登場人物たちが多くを語らないところだろうか。深く傷ついた経験のある人こそ、これ以上相手を傷つけたくないし、相手を失いたくない、自分だって傷つきたくない…といろいろ気にしすぎて、多くを語れなくなるのかもしれない。でも、一言二言のセリフや表情や“間”で、登場人物たちの悲しみや優しさは十分に伝わってくる。
ただ漫画の中では、不器用な登場人物同士の気持ちはなかなか伝わらない。気持ちがすれ違って、またもや悲しい気持ちになる。ところが、そんな不器用な人たちにさりげなく世話を焼いてくれる優しい人がいて、最後にはお互いの想いが通じ合うのだ。そこにある誰かの優しさに気づいた時、読み手の目にはきっと涙が溢れ、彼らの喜びがそのまま自分の喜びとなるだろう。うまく想いを伝えられなくても、強く願っていればきっと想いは届く——そんなことを信じさせてくれる漫画だと思う。
このお話で“僕”に生きる力をくれた友達にも、じつは悲しい過去があり、本書に掲載された未発表作「あした死のうと思ってたのに②」で、それを読むことができる。そのお話によれば、彼もまた、どうにか大切な人を助けようとして、人の優しさに救われていたのだ。この一冊の中にはそこかしこに優しさが溢れていて、優しさが伝染している。そして、次にそのバトンを受け取るのは、読み手のあなたなのではないだろうか。
作者は人生最大の落ち込み期を経験したのち、コーチングに出会い、「自分の描きたい漫画を描く」という境地に至って、これらの漫画を描いたのだとか。今でも悲しいことや許せないことはいっぱいあるけれど、そんな暗い過去を振り返りながらも、今は「この漫画を描けて良かった」と感じているという。作者の中にも、同じように傷ついた人たちを救いたいという気持ちが溢れていて、この本を贈ってくれたのかもしれない。
ちなみに、短編「あした死のうと思ってたのに」では、作者が救われたという“音楽”が、登場人物たちの想いを繋ぐモチーフとなっている。誰ひとり拒むことなく、いつでもそばにいて悲しみや喜びを分かち合ってくれる音楽。そんな音楽に本書がかさなり、本書も“音楽”のような存在なのではないかと感じている。たとえ今は周りに誰もいなくても、この一冊が、ここに出てくる傷つきやすくて愛おしい人たちが、いつでも隣にいてくれる。
悲しい過去を持つ人も、今が息苦しくてたまらない人も、心に刺さるものが多いはずの本書。世知辛い世の中なのだから、みんなたまにはもっと気楽に過ごせる時間があってもいいのではないだろうか。この一冊で、誰かに優しくしたり、優しくされたりする尊さを体感できる、そんな心地よい時間が広まりますように…!
文=吉田あき