これまでの大震災時の初動対応は適切だったのか? 関東大震災、阪神淡路大震災、東日本大震災から考える、災害と人間社会の在り方
公開日:2024/2/25
災害とは、大自然が一方的に人間社会に科すものではなく、両者の相互作用の結果である。その観点に立てば、社会がどのように災害を予期し、備えていたか否かはきわめて重要である。
上記の文章は、2023年8月に岩波現代文庫に入った『大災害の時代 三大震災から考える』(五百旗頭 真/岩波書店)の序文からの引用だ。
2024年の元日に発生した能登半島地震では、「政府の初動対応は適切だったのか」という点が大きな議論を呼んだが、本書は災害の初動対応のあり方を理解するうえで格好の1冊といえるだろう。
なお著者は、地震の専門家ではなく政治学者。神戸大学在籍時に阪神・淡路大震災(1995年)に被災し、2011年の東日本大震災では復興構想会議の議長に。そして熊本県立大学に赴任した時期に、今度は熊本地震(2016年)が発生……という数奇な経歴の持ち主でもある。
そして本書は、著者自身が深く関わった阪神・淡路大震災、東日本大震災に関東大震災(1923年)を加えた3つの震災を題材とし、被害の実態、国と社会の対応、当時の政治判断、復興への取り組みを比較・検証する内容となっている。
自治体、NPO、民間企業の活動は着実に進化。では国は?
本書を読むと、今回の能登半島地震で議論を呼んだことや、批判を浴びたことが、過去の震災でも繰り返されていたことがまず分かる。
たとえば今回の地震の発生後は、X(旧・Twitter)で「有事の際の敵味方判別法は『九九』が有効です」というポストが一部で拡散されて大きな非難を浴びたが、本書の関東大震災の章では「武装した自警団が検問所を作って通行人を尋問し、日本語をなめらかに話さなかっただけで朝鮮人のみならず中国人・日本人にも暴行を加えて殺害した」という記述があった。
100年前の災害とほぼ同種の差別的言動がまた拡散されていることは、深く考えねばならない問題だろう。
また今回の地震の発生後は「被災地へ向かう限られた道路が渋滞の可能性があるため、被災地での個人的なボランティア活動は控えてほしい」というメッセージが馳浩石川県知事から発せられ議論を呼んだが、「渋滞」の問題は阪神・淡路大震災の章で重要な記述があった。
というのも阪神・淡路大震災では、猛烈な交通渋滞が発生。救急車も動けない事態となったことや、自衛隊の被災地入りが1日も遅れてしまったことが大きな反省点となっていた。そうした過去の教訓を踏まえると、渋滞を未然に防ぐためのメッセージが強く発せられたことには、一定の理解ができるだろう。
一方で本書を読むと、関東大震災と阪神・淡路大震災と東日本大震災では、災害の実情がかなり異なることも分かる。
地理的条件はもちろん、地震が起きた時間帯、風の強さ、大規模な火災や津波の有無などは、それぞれの震災で大きく異なっている。過去の震災のセオリーが別の震災で通用するとも限らないため、今回の渋滞防止の呼びかけが効果的なものだったのか否かは、これから検証が必要だろう(本書は時間と労力をかけた検証の大切さが分かる本でもある)。
また今回の震災では「事業の特色を生かした民間企業による支援」「専門性の高いNPOによる支援」「自治体間の相互支援」などが好意的に報じられているが、そうした動きが東日本大震災の頃から本格化していたことも本書を読むと分かる。そして、自衛隊や消防、警察の勇敢な行動や、ときに知事の要請を待たずに行われた独断専行的な行動が、結果として多くの命を救ってきたことも過去の災害の共通点だった。
その逆に、本書で継続して批判されているのが中央政府(国)の対応だ。
大災害への対処計画や、危機の瞬間の陣頭指揮ができていないこと。支援の全体調整ができていないこと。自然災害に対しては第一線部隊(警察・消防・自衛隊など)の援用を考えるだけで、全体を統括する参謀本部のような中枢機関を持たないこと……。著者が本書で残した批判は、今回の能登半島地震でも多く聞かれたものだ。
なお現在は自民党が裏金問題で大非難を浴びていることもあり、「自民党は災害対策もダメだ!」といった怒りの声も目立つが、阪神・淡路大震災発生時は社民党、東日本大震災発生時は民主党が政権を持っている時代だった。日本の災害対策は政権が変われば一気に進む……というほど簡単なものではないと理解し、本書のような丁寧な検証を行いながら、着実な改善を進めることが今後も求められるだろう。
文=古澤誠一郎