「元祖NTR(寝取られ)」を描いた絵画の秘密。『つい人に話したくなる 名画の雑学』著者×監修者 特別対談

文芸・カルチャー

更新日:2024/3/8

つい人に話したくなる名画の雑学
つい人に話したくなる 名画の雑学』(ヤスダコーシキ・田中 久美子/KADOKAWA)

X(旧Twitter)で絵画を中心とする古今東西の古典文化をテーマにした雑学を投稿し、フォロワー数21万人を誇るアカウント「昔の芸術をつぶやくよ」。それを運営するヤスダコーシキさんが2023年11月、初の著書『つい人に話したくなる 名画の雑学』を上梓しました。名画のモチーフや当時の背景、作家の人生など、絵画にまつわる雑学を独自の語り口で軽妙に解説し、話題となっています。今回、その監修を務めた文星大学教授の田中久美子さんとの対談が実現。絵画へのあふれる思いや観賞の楽しみ方などを伺いました。

(写真=奥西淳二 取材・文=岡田知子(BLOOM)

ヤスダコーシキさん田中さん

レアな絵画の新解釈が大好評。その分、監修作業には悪戦苦闘

――ドラクロワやムンク、マネなど著名な画家でも今まで見たことがないような作品や、初めて名前を聞いたような画家の作品も多く紹介されていて、絵を眺めるだけでもとても新鮮でした。

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ヤスダコーシキさん(以下、ヤスダ):比較的マイナーというか、あまりメジャーでない作品を意識的に選びました。有名な画家の作品でも、今までに注目されていないものというか。

一般的によく知られている、例えば、ルノワールやゴヤ、ゴッホなど「巨匠」といわれる画家の、いわゆる「名作」は、もう専門家や絵画ファンが何十年も、本当に細かい部分まで語り尽くしているんですよね。でも、世界には人々の目に留まっていない面白い絵画が多くあって、まだ語られていない部分がたくさんある。そういった画家や作品のエピソードをお伝えして、新しい視点で絵画を楽しんでいただけたらいいな、と思いました。

田中久美子さん(以下、田中):私も知らない絵画がたくさんラインナップされていて驚きました。そういう意味では、監修の作業は大変でした。ヤスダさんが有名な代表作でない絵画を選ばれたことを面白いと思うと同時に、これは大変だな、と(笑)。

難しい専門書ではなく、楽しく読める軽快な文章で解説する本だからこそ、その裏にある画家の生涯に関する事実関係や絵が描かれた時代の情勢といった情報は、間違ってはいけないと思っていますが、文献などを調べてもなかなかそういった情報が見つからない。「こんな絵を一体どこでご覧になったのかしら?」と、ずっと気になっていました。

――中世・近世美術史を専門とする田中先生から見てもそうなのですね。

田中:例えば、ヤスダさんの原稿に「誰々と結婚した」と記述があったら、その事実を確認しないといけませんよね。50巻以上ある専門資料や研究者の論文などを確認するんですけど、その画家の生没や流派などは記載されていても、結婚したとか離婚したとまでは載ってなくて。だから、「これ、本当かな」と思いながら、重箱の隅をつつくような質問をたくさんお戻ししました。ごめんなさいね、監修っていやな仕事ね(笑)。

ヤスダ:ここ10年くらい、世界の美術館のアーカイブをあさるのが趣味なんです。美術館が自ら収蔵作品をアーカイブにして、画像を公開するようになったのが、ここ15、16年ほど前からでしょうか。現地に行かなくても家で世界の絵画を楽しめようになったので、実際に美術館に行ったつもりになってずっと見ています。

ヤスダコーシキさん

田中:だからこんなに珍しい絵画がそろったんですね。教科書に出てこない作品はもちろん、ラトビアやウクライナなど珍しい国のもの多かったですよね。
監修作業はずいぶん悪戦苦闘しましたが、貴重な経験をさせていただいたというか、勉強になったというか、すごく面白かったです。「自分はいつも何を見ていたんだろう」とも思ったりして(笑)。

現代の常識に合わせながら、“刺さる”言葉を模索

――最初に紹介されているドラクロワの作品が最高でした。「元祖NTR(寝取られ)」という見出しのインパクトがすごすぎて、「最初にこれが来たか!」と。絵画の説明でこんな言葉が使われるなんて、今までになかったですよね。

田中:いや、ほんと衝撃的ですよ。絵自体も、ドラクロワだとまず『民衆を導く自由の女神』が出てくるのに、「え、これを選ばれたんだ」という。

ヤスダ:文章には、意識的にネットミームを混ぜるようにしています。漫画のセリフも使いますね。わかる人にはわかるし、絵画に詳しくない人にも“刺さる”ようにというか。

田中:面白いし、読みやすいですよね。絵だけ載っていたり、いわゆる絵の説明だけしか書かれていなかったりしたら、あまり読まれないかもしれませんよね。「この絵の画家はこうで」とか「流派は」といった教科書みたいな本だったら、きっと読み飛ばします。この本は、そこにある絵の裏話や絵の読み解き方が書かれているのが面白いんじゃないかしら。

ヤスダ:昔の作品を現代に照らし合わせると、グロテスクだったり、倫理的に外れていたり、紹介するには難しい表現を持つ絵画もあるんですね。時代が変われば常識も変わるし、さまざまな社会的な情勢も考慮しつつ、選んだ絵画もそうですが、文章の表現も気を付けました。現代の常識に照らし合わせて、不適切と思われる箇所は柔らかめの表現を心がけたりしながら。

田中:文章のあちこちに遊び心を感じましたけど、ヤスダさんの文章は柔らかくて、人を傷つけるような表現がないんですよね。お人柄もあると思います。選ばれた絵もそうだったような気がするんですよね。柔らかくて優しくて、温かみのある絵が多いなと思いました。

田中さん

一見美しい絵画。でも、よく見るとゲスさ炸裂のものも!?

――この本には「笑いの絵画」「怒りの絵画」「泣ける絵画」「楽しみの絵画」と、4つのテーマに分けられた80点以上の作品が紹介されています。お2人が特に気に入っている絵画はどれでしょう?

ヤスダ:やはり表紙にも使った『学校の入り口で』でしょうか。ニコライ・ペドロヴィッチ・ボグダノフ=ベルスキー(ロシア/1868~1945年)の作品で、教室の入口で少年が佇んで中を見ています。ボロボロの服を着ているので間違いなく裕福な少年ではなく、彼の戸惑いや恐怖心、希望などが全てこの1枚の絵に凝縮されていると思うんです。
杖だけが少しだけ教室の中に入ってるところが、またすごいんですよね。戸惑っているけど、もう教室に入る覚悟を決めて「第1歩を踏み出そう」という表現がされていて、思わず少年の背中を押してあげたくなります。リアリズムの表現にもしびれました。

田中:この絵に描かれているのは、どちらかというと何気ないシーンで、何でもない人たちじゃないですか。ヤスダさんが選ばれる絵は、ストーリーが紡がれるようなものが多くて、そういう人物たちの奥底に入りながら絵を見ていらっしゃるんだなと思っていて。とても温かくて優しい眼差しを感じるんですよね。

ヤスダ:あと同列1位で『堕天使』ですね。アレクサンドル・カバネル(フランス/1823~1889年)の比較的有名な作品です。神への反乱を企てたとして、堕天使にして悪魔の王サタンとなったルシファーがとにかく美しい。堕天使って黒い羽根だったり、みじめな姿で描かれることが多いのですが、この絵のルシファーは美しい天使だったときのままなんです。
そして、大きな目をよく見ると、泣いてるんですよね。こんなふうに泣くのは、堕天使にされて悔しいからではなく、深く神のことを愛していたからだと思うんです。もしかしたら、天使たちの中で誰よりも愛していたのかもしれない。その表現の仕方や心の内を描く技量がすごいなと思いました。

――田中さんのお気に入りは?

田中:『「愛」の寓意』です。これはね、すごい問題作ですよ(笑)。アーニョロ・ブロンズィーノ(イタリア/1503~~1572年)の作品で、美術史を学んでいる人なら必ず知っている絵なんですけど。
描かれているのはヴィーナスとその子のクピド(キューピッド)ですから、クピドがヴィーナスの乳房を触りながら口づけしているなんてとても背徳的だし、官能的。ヴィーナスの左手には金色のリンゴが描かれていて、旧約聖書のアダムとイブのお話や罪の原罪をも想起させます。絵の様式も美しくて上手だけど、ヴィーナスの肌はマネキンみたいだし、背後に天使や老女がいたり、砂時計が置かれていたり、見れば見るほどおかしい絵なんですよ。

ヤスダ:カオスすぎて、見れば見るほど新しい解釈ができますし、何時間でも見ていられますよね。

田中:『タレット階段の逢瀬』もきれいで好きです。フレデリック・ウィリアム・バートン(アイルランド/1816~1900年)の作品で、この頃はラファエル前派の時代というか、運命の女性や退廃的な女性が多く描かれていた時期なんです。男性をたらしこんで破滅させるような女性、とかね。この絵は恋愛のほんの1場面を描いていますが、後ろを向いている女性に、こちらを向いて、語りかけているような男性の描写が美しくて好きですね。

田中さん

ヤスダ:2人が階段ですれ違う、ほんの数秒の間にパッと愛を確かめるような。

田中:色彩もとてもきれいで、表現も細やかで本当に美しいなと思って見ていました。やっぱりヤスダさんが選ばれる絵は、すごく魅力的。美しいアプローチで、美しい絵を選ばれていますよね。

直観で感じる「好き」や「あれ?」が絵画の世界への入口に

――そもそもですが、ヤスダさんは小さいころから絵画がお好きだったのですか?

ヤスダ:いえ、絵に親しむようになったのは社会人になってからです。専門誌の記者をしていたんですが、取材の合間にけっこう空き時間ができるんですね。ひまでもつぶそうかなと思って東京・上野の美術館でたまたま開催していた印象画展に行ってみたら、非常によかったんですよ。そのときはまだ絵画の知識は皆無だったんですけど。

田中:大体の人の絵画の入口って印象派ですよね。私もそんな感じでした。「きれいな絵だな、この踊り子って誰なんだろうな」って。

ヤスダ:それからしばらくは仕事の合間を見つけながら絵を見たりしていましたが、会社を経営してインターネットを使い始めてからいろいろな絵を見るようになって。そこで得た知識や感想を発信できたらな、という気持ちはあったのですが、どうしたらいいかわからないときにX(旧Twitter)を見つけて、つぶやき始めました。

――田中さんが絵画に関わるようになった原体験はどのようなものですか?

田中:私は描くことが好きだったんです。そこから始まって、高校も美術系へ進みました。美術の授業ってたくさんあるんですけど、美術史という学問が私には面白く感じました。
絵や美術を通して、人間の生き様や歴史を何か普遍的な眼差しで見られるような気がしたんですね。それで大学からは絵を描くのではなく、絵を語っていくという方向に進みました。ヤスダさんはご自分でも描くんですか?

ヤスダ:いえ、全然。まるっきりです。断言します(笑)。だから、逆に憧れがあるんですよ。「こんなふうに描けたら」って。

ヤスダコーシキさん田中さん

――絵画の世界への入口も、さまざまあるんですね。鑑賞するときは、どんなところに着目して見るんですか?

ヤスダ:私はほぼ直観です。絵を見て違和感を覚えたら、そこから見始めます。いまっぽく言うと「刺さる」というか、そんな感情を受け取るときがあるんですよ。まず全体を見て、細部を見て「これ、何だろう?」と思ったら拡大して見る、という順番ですね。
例えば、ギリシャ神話の神様たちが2、3人描かれた絵があるんですが、背景に、乳房がたくさんあって水を吹いてる銅像が描かれている。「なんでこんなに乳房が付いているんだろう?」と思うわけですが、それが豊穣の神の象徴だったりするんです。絵から逆引きすると神話の話が出てくることもあるし、その逆もあります。「こんな絵、ないかな」と思って神話や聖書を調べると、わっさわさ絵が出てきたりして。

田中:私は、どちらかというと、マイナーなものに惹かれます。脚光が当たりがちなミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチではなく、そこから押し出されてしまった画家や作品です。それはもう直観で「好きだな」と思うんですよね。やっぱりそれが最初にあるのかな、という気がします。

――まずは「直観」で見ればいいのですね。

田中:私に美術史を教えてくれた先生は「自分たちの仕事は、絵に生命を与えること」と言っていました。ただ見るだけじゃなく、「その作品をいかに生かせるか」ということが大切で、自分はそうしてきたと。
だから、マイナーな作品でも何か「これ」と感じたらじっと見て、とにかく調べて、作品と対峙して、その絵に生命を与えられるように、自分だけの解釈をすることが私の仕事です。もちろん客観的な視点も持ちつつ、独自の視点を加えながら作品を読み解いて、その作品が生きてくるということをしなければいけないと思っているんですね。言い尽くされていること言っても、しょうがないじゃないですか。それはとても難しいことですが、絵を見るときの最大の目標です。

議論が過熱してSNSでは炎上も、結局「絵画は見る人の自由」

――ヤスダさんのSNSアカウント「昔の芸術をつぶやくよ」には21万人のフォロワーがいらっしゃいます。日々つぶやいたり、本を出されたりして反応はいかがですか?

ヤスダ:やっぱり面白くて変わった絵画を紹介すると、その分反応が大きいですね。

田中:その意味では、いわゆる戦略的にもやってらっしゃるってことですよね。「みんなが知らない絵画を」という方向性もしっかり持って。そういう眼差しって必要だと思います。

ヤスダ:絵の表面は見ていても、その内側にある話はあまり注目されていないんです。なぜこの絵になったのか、なぜこの表現になったのか、この絵の題材は何なのかいったことを解説すると、例えば「この絵がオペラを題材にしていたとは知らなかった」とか「どうしてこういう表現になったのか今わかった」といった感想はよくいただきます。

田中: それ、面白いですよね。知らないことを絵から学べるっていう。

――ときには反論が届いたりも?

ヤスダ:フォロワーさんには私よりはるかに博識な方や専門家もいらっしゃって、いわゆる“炎上”したこともあります。でも、絵を見た感想やとらえ方は自由に持っていいと思いますし、好き嫌いも個人的なもの。違う意見や感想があっても、決して否定はせず、「うんうん、そういう見方もあるよね」という気持ちが大事だと思うんです。

いろいろな人の意見が見られるので、面白いですよ、やっぱり。思わぬ角度の意見もあって、「こういう絵画の見方をする人もいるんだな」と勉強になっています。

――芸術って、数学などと違って正解がないですよね。好き嫌いはあっても、どっちが合ってる間違っている、いい悪いということではないように感じます。

田中:一時期、美術史の方法論として、作品に隠された意味を読み取ることがあまりに深く追求された時代がありました。それに没頭した専門家が多くいたんです。
でも最近は、それも少し否定され始めていて。意味を読むことにみんなが熱中して、絵そのものを忘れてしまう方向性に向かうことに対しての疑義が呈されているんですよ。

――頭でっかちになりすぎては絵を楽しめない、ということですね。

田中:描いた人がそこまで思いを込めてたのかなんて、実際のところ、今になっては真実なんて誰もわからない(笑)。議論することは面白いですけどね。そういうことにとらわれずに、もう少し純粋に絵を楽しめばいいよね、と言う人が少しずつ増えています。最初に絵ありき、最後にも絵ありき、ということですよね。

ヤスダ:絵画は見る人の自由ですから。議論を呼んだとしても、それが興味を持ってくれるきっかけになったとしたら、いいんだと思います。

ヤスダコーシキさん

絵画を楽しむには、まずは見ることから。細かい知識は必要ない

――絵画に「難しい」「高尚」といったイメージを持つ人も多いと思います。私もその1人なのですが、絵画をより楽しむきっかけやコツはありますか?

田中:まさにこの本がそうだと思いました。とにかく、まず見ることですよね。絵に触れること。好きなように見て、何かを感じることだと思います。

ヤスダ:自分がわかる絵画から入門して親しむ方法もあるんですよ。よく見る絵、好きな絵を見て、「あ、ここはこうなっているんだ」「ここはこんな色なんだ」とか、そういう発見をして少しずつ意味がわかってくると、どんどん面白くなります。あと、展覧会に行くときは、ほんの少しだけ前情報を頭に入れてから行くと、3倍くらい楽しくなります。
例えば、宗教画はなぜか乳房がたくさん出ている作品が多いですが、「ん? なんでおっぱいが出てるんだろう?」とか、まずはそういう入口でもいいわけです。見方は自由ですから。それはもう、昔は乳房を見る機会なんてそれ以外なかったからというのと、神様だから乳房を出してもいいということなんですよね。人間が人前で乳房を出すのはダメだけど、神様は人間じゃないから出してもいいという。ドラクロワの有名な『民衆を導く女神』の女性も乳房が出ていますが、あれも神様だからOK。そういう情報を見つけてから絵を見るのも面白いかなと思います。

――流派や時代、技巧などにとらわれがちですが、自由に見て自分が楽しめるところを探せばいいのですね。

田中:絵の見方って、やっぱり自由は自由で。ストーリーを考えずに見たり、色や形を楽しんで「その作品が好き」という人もいるし、逆に、内容やストーリーを紡ぎながら見るのが好きという方もいると思います。ストーリーを知らないと、よくわからない絵もありますしね。「インテリアとして飾りたい」とか、「なんとなくこの色使いが好き」といった入り方でもいいと思いますよ。

ヤスダ:絵といういか、美術って制約がないですからね。とにかく自分がいいと思うものに興味を持っていればそれでいいんだと思います。興味を持って少しずつ知るようになると、どんどん面白くなってきますよ。

絵画は難しくない。自分で自由に物語を紡げる究極のエンタメ

――お2人は立場やバックグラウンドが全然違いますよね。でも、絵画を愛するという1つの共通点があるわけですが、面と向かってお話しされてみて、どんな印象を受けましたか?

ヤスダ: 田中さんは絵画を見る専門家ですから、やっぱり下地がきちんとあって、絵の技術面に関してやはり圧倒的な知識がありますよね。絵画のストーリーや裏話に関しては調べればわかりますけど、そこがやっぱりプロは違うなと改めて感じました。実際に自分が描くわけではないんですけど、今までは絵の裏側ばかり見ていたので、これからは絵の表側、技術面も少しずつ勉強していきたいですね。

田中:ヤスダさんの絵画に対するアプローチはすごく面白いですよね。どうやって主題を見つけて、どんなふうにそこにある面白いストーリーをたどっていくのか。絵画に対する目線のあり方を勉強させていただきました。

ヤスダ:ありがとうございます。対談が決まったと聞いて、私なんか生きた心地がしませんでしたよ(笑)。

――最後に、これから『つい人に話したくなる 名画の雑学』を読む人たちに、改めて絵画の面白さを教えてください。

ヤスダ:絵画ってそんなに難しいものではなくて、昔から続いている能動的なエンターテイメントだと思うんです。小説やドラマ、映画などは、作り手が発信する物事の解釈を、私たちは受動的に受け取りますが、絵画は自分で見て、解釈して、物語を作ることができる能動的なエンターテイメントです。
文字を一切使わないのに、見た人の頭の中でさまざまな物語が展開される。だから、絵画はすごいんです。自分の解釈で自由に楽しんでいただけたらいいな、と思います。

田中:「絵画は高尚なもの」ではなくて、もっと身近なもの。いろいろな絵画を見て、好きなものを探して楽しんでいただけたらいいですよね。
絵画というか、美術全般や音楽もそうですけど、生死に関わるものではないけれど、なくなってしまえば、人間的な豊かさが削がれてしまうものだと思うんです。人間の歴史と共に存在しているものですから、身近に感じて大切に思ってほしいなと感じています。深く研究する人もいれば、気軽に楽しむ人もいて、それはもう自由ですが、いろいろなものを見たら、きっと何かを感じることができるのでは、と思っています。

「絵画は敷居が高い」と感じている人がいて、その敷居をこういう本が低くできるのだとしたら、うれしいですね。

ヤスダコーシキさん田中さん

※以下、プロフィール。

ヤスダコーシキ SNSアカウント「昔の芸術をつぶやくよ」で投稿している、絵画を中心とした古典文化の雑学が人気。専門誌の記者、フリーライターを経て、現在は都内で会社を経営している。X(旧Twitter)@LfXAMDg4PE50i9e

田中久美子 文星芸術大学教授。2022年より学長。東京藝術大学美術学部美術学科卒業、オレゴン州立大学美術史学科修士課程修了、東京藝術大学大学院美術研究家芸術学専攻修士課程修了、同・博士課程後期を単位取得満期退学。跡見学園女子大学で非常勤講師も務める。専門はフランス中世・近世美術史。著書に『フォンテーヌブローの饗宴』(ありな書房)、『レオナルド・ダ・ヴィンチの世界』(共著・東京堂出版)など。