「不感症気味になっている心に響く――」森山直太朗×内田也哉子特別対談。アニメ『オチビサン』書き下ろし主題歌制作の裏側
更新日:2024/3/4
日常で埋もれてしまっている感受性を呼び覚ましてくれる『オチビサン』の魅力
――内田さんの最新エッセイ『BLANK PAGE』(文藝春秋)のインタビューで、文章を書くときには空白な気持ちに向き合うのが大事、とおっしゃっていました。「孤独を見つめたその先の感覚をすくい上げる」というのは、そのまなざしにも通じるのではないでしょうか。
内田:まさに今、そんなふうに感じながら聴いていました。直太朗さんご自身も、いい意味で空白を……余白を持っていらっしゃる方なんですよね。だからどんな人とコラボレーションしても自分らしさを失わずにいられるし、だからといって我を主張したものにはならず、美しいハーモニーを奏でることができる。どっしりと重たい存在感がおありなのに、軽やかで柔らかくどんなものにも添える直太朗さんの力強さに、私は惹かれます。この曲を通じて、誰かと何かをともにつくる経験だけでなく、今このタイミングで直太朗さんに出会えたことは、私にとって大きな意味があると感じています。
――出会いのタイミングってありますよね。先日、取材とは関係なく、なにげなく夜中にテレビをつけたら『オチビサン』のアニメが流れていて、思わず見入って泣いてしまいました。短い5分間のなかに、今この瞬間だから響いたんだな、と思うことがいろいろ詰まっていましたね。
内田:撮影の合間に会話したスタイリストさんも夜中に見て、「ロマンティーク」の歌声に図らずも泣いたって言っていました。先ほど直太朗さんもおっしゃっていましたが、日常で埋もれてしまっている感受性を呼び覚ましてくれる作品なんですよね。その尊さを失ってはいけない、と思わせてくれる。絵のタッチは素朴で、セリフもシンプル。リアルとは程遠いのに、すっと心に入り込んできて、自分とシンクロしてしまう。ものすごい作品だなあ、と。
森山:生きているとやっぱり、ローンを払わなきゃいけないとか、子育てをどうしていくかとか、解決しなくちゃいけない問題が山積みになっていて、感受性や想像力は置き去りにしてしまう。でも、それを置き去りにしたままだと、人生は豊かさから遠ざかり、先細っていくだけだということにも、気づかせてくれる作品だと思います。そういう意味でも、作品全体に詩に近いものを感じるなあ。
内田:俳句や短歌に近いものもありますよね。季節のうつろいを繊細に描いているところとか。
森山:そういえば僕、曲をつくるときは必ず歌詞を縦書きに置き換えるんですよ。也哉子さんから送られてきたのはスマホだから横書きだし、僕自身も書くときはどうしても横書きで打ってしまうんだけど、でも、最終的には必ずいったん縦書きにしてみる。そのほうが「この人はこういうことを伝えたいんだ」ってことが理解しやすくなるんですよね。日本語って、やっぱり、縦書きが前提の言語だから。
歌詞が先かメロディが先か。楽曲作りにおける森山直太朗の価値観
内田:詩で思い出したんですけれど、私のエッセイ集『BLANK PAGE』には谷川俊太郎さんとの対話を書きました。4年前は88歳でいらっしゃいましたけど、どれだけ言葉を少なくして人に伝えられるか、言葉をそぎ落とし続けた先にどういう表現ができるのかが、詩人としての挑戦であり、それに向き合えている今がとっても楽しいっておっしゃっていました。子どもからお年寄りまで、社会的地位や教養レベルにかかわらず誰にでも伝わるやさしい言葉で、まわりくどい表現を一切はぶいて、普遍性を思い描きながら書いているんだ、って。もうね、降参って思いました(笑)。
森山:身につまされる話ですね。
内田:でも私は、直太朗さんの詩って、谷川さんの世界に通じるものがあるって勝手に思っているんですよ。てのひらにおさまる小さな世界を描きながら、時間も空間も越えて広くて深い場所にたどりつける言葉が紡ぎ出されていく。そして、感情はストレートに伝わってくる。どうしたらこんな言葉が生まれてくるんだろう、っていつも圧倒されます。なんでそんなに豊かなんですか? ルーツはどこにあるんでしょう。
森山:先ほど言ったことにも繋がりますけど、できてくる曲がそう言おうとしているから仕方がない、という感じなんです。俺にこんなことを言う資格があるだろうか、こんなことを言っておかしいと思われるんじゃないか、そう思うこともないではないですけど、曲がその言葉を欲しているのだから、それ以外にできることはない。こう歌いたい、これを書きたい、よりも「できちゃったんだからしょうがないじゃん」って。
内田:素晴らしい!
森山:いやいや……。豊かとおっしゃってくださいましたが、僕は言葉が巧みだとは全然思っていないし、やっぱり音楽があって初めて成立するものなんだと思います。
内田:じゃあ、ひとりで曲作りをする場合は、メロディが先?
森山:だいたいは、そうですね。
内田:絶対に言葉が先だと思っていた。それくらい、強い引力がありますよね。もちろん音楽にも、そのなかで泳ぎたいって思うくらい惹かれるものはあるんだけれど……。
森山:日本語も、意味を考えるより、メロディとしてとらえているところがあるんですよね。『カク云ウボクモ』って曲も、ちょっとマニアックなこの響きが素敵だな、と思ったところが起点ですし。いつも、その曲に合いそうな響きの言葉や、そのときどきで気になっていた言葉を入れ込んでいるだけで、深い思索があってのことじゃない(笑)。
内田:言葉の響きからインスパイアされることがあるのか。そういえば、「かくいう……」みたいに日常生活ではあまり使わない古めかしい言葉を使っていることが多いから、ときどき「どういう意味だろう?」って辞書をひくことがあります。『さもありなん』は聴いていると一瞬、違う国の言葉みたいに聞こえることがある。でも、全部をちゃんと聴いていると意味がすとんと落ちてくるから不思議。言葉の器が広くて深いから、音楽に乗ったときの相乗効果が絶妙なんですよね。
森山:僕は也哉子さんみたいに他国の言語を話せないから、日本語だけに特化せざるを得ないというのもありますね。先ほどルーツを聞かれましたが、言葉を通じて、自分のアイデンティティみたいなものを探し続けているんだと思うんです。他国の文化に影響を受けたりしながら変容し続けている日本語という言語を掘り下げていくことで、見えてくる景色があるというのかな……。だから今回のように、自分の感性とは違う角度で紡がれた言葉に潜っていくのはすごく楽しいんだけれど、描かれているものの大きさにどうしたら追いつけるだろう、どうすれば裏側のメロディを具現化できるだろう、って悩みもしました。