世界で唯一「野生化した馬」がいる北海道のまっ平らな孤島。幻想的な島と馬に関わる人々が生み出す“物語のある写真集”

文芸・カルチャー

公開日:2024/3/15

エピタフ 幻の島、ユルリの光跡
エピタフ 幻の島、ユルリの光跡』(インプレス)

 北海道の東、海沿いを通るJR根室本線(花咲線)と並行する道道142号線を車で走っていると、奇妙な景色が海に見えてくる。海の上に板を浮かべたようなまっ平らなシルエットの島、その名をユルリ島という。

 アイヌ語で「鵜の居る島」という意味をもつこの島は無人島で、現在は海鳥の保護や貴重な植物もあり立ち入りが禁止されているが、このユルリ島にはかつて人の営みとともに渡った馬たちがいた。そして無人になったあとも馬たちはこの島に残され、そして野生化した。

 このユルリ島で2011年から撮影を始めた写真家の岡田敦氏の『エピタフ 幻の島、ユルリの光跡』(インプレス)は、この島の幻想的な写真とともに、この特異な島の姿と、人と馬との営みを記した一冊である。

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 ユルリ島は周囲7.8キロを断崖で囲まれた平坦な台地状の島である。小さな無人島ではあるが、そこには野生化した馬たちが暮らしており、その数は多いときで30頭前後が生息していたという。しかし世代を重ねていくにつれて人間の手によって繁殖を抑えるために雄馬を間引かれるなどして年々数を減らし、現在は数頭を数えるのみとなった。そしてユルリ島の馬たちはこの世代で絶える運命にある。

 本書はユルリ島での撮影を始めた岡田氏がこの島と馬に関わる人々の話を集め、霧に包まれた幻のようなこの島の実態を浮かび上がらせる。

 昆布漁で盛んなこの地は、戦後になると昆布を干す場所を求めて人々はユルリ島へと営みを進めた。すでに北海道本土の干し場となる有力な浜はすでに所有されていたために、戦後に復員した人々はこのユルリ島で昆布を干すことになった。周囲を崖で囲われたこの島では、浜から崖上に昆布を荷揚げするのに馬が使われ、島には数戸の家が建ち人々は馬とともに暮らした。しかし時代は移り、人々は島を出ることとなりユルリ島は無人となった。こうして馬たちはそのまま島に残されたものの、島にはエサとなる草が豊富に生えており水源などもあり馬たちは繁殖し野生化した。

 著者はかつてユルリ島に暮らした人々から話を聞くことで、ユルリ島の馬のルーツや当時の島の様子を知ることになる。そしてユルリ島から北海道、ひいては日本という国の営みが「馬」無くしては成しえなかったことへと広がっていく。

 現在、世界を見ても野生化した馬というのは存在しないという。馬は人の手により世代をわたり改良されてきた。日本では明治時代に日清日露の戦争を通じて日本の在来馬種が軍馬には適さないことが明らかになり、政府は国産馬の改良に乗り出す。西洋種と北海道和種(道産子)を交配させることで日本人にとって理想の馬を作り出した。その一大場産地だったのが釧路から根室にかけての一帯で、この地は日本の馬産の聖地とも呼ばれる。

 さらに著者の視点は広がり、馬の生産者へと向ける。馬の生産と経済活動から見えてくるのは、経済動物としての馬の現実と、馬を生業として馬とともに生きる人間の複雑な感情が浮き彫りになっていく。

「人間くらい悪いやつはいない」

 この牧場主の言葉は読者の心に重く圧し掛かる。

 そして本書はさらに北方四島の国後の馬へと広がっていく。ソ連の侵攻によって国後から日本人が逃げたあと、そこには馬だけが残された。現在も代を重ねてかつて日本人が育てた馬の子孫が暮らすといわれる国後だが、現地ではソ連本国から馬が運び込まれたと伝えられるという。実効支配のために先住者の記憶を覆い隠すのが理由か、馬たちの歴史が政治的な思惑にまで触れられることに物悲しさを感じずにはいられない。

 かつて人間とともに暮らし、生活をする上で大きな貢献をしてきた馬は現在ではその力を発揮する場所がなくなり、市場で買い手のつかなかった馬は飼育もされず食肉として扱われる。人間から距離を置いて暮らすユルリ島の馬たちもいずれ絶えるが、この島の馬たちは人間の都合で命を絶たれずにこの島で自由に生き天寿をまっとうするのである。

 ユルリ島は儚さに包まれているように見えるが、その実、馬たちにとってはユートピアなのかもしれない。

文=すずきたけし