用水路で見つかった「魔女」の水死体から始まる物語。麻薬に溺れ、常に朦朧としている青年が欲望と暴力の先に見つけたものとは
公開日:2024/3/13
ある日、少年たちが用水路で“魔女”の死体を見つけるところから物語が始まる。
フェルナンダ・メルチョール『ハリケーンの季節』(宇野和美:訳/早川書房)は、メキシコ、ベラクルス州にあるラ・マトサという架空の村を舞台に、ルイスミというひとりの青年を軸に暴力と欲望の世界で傷つきながらも生きていく人々を描く。本作は渾沌とした現代メキシコの深部へと読者を導き、傷つき苦悩する者たちの絞り出された声を我々の耳元まで届ける強烈な小説である。
麻薬に溺れ、常に朦朧としている青年のルイスミは、欲望と暴力の中で漂うように生きていた。バイク事故で生気を失った父ムンラ、夫に愛想をつかしながらも他の男を漁りに出かける母のチャベラ、従姉のジュセニア、遊び仲間のブランド、ルイスミが連れ帰った13歳の少女ノルマ、そして村で忌み嫌われた“魔女”。本作は彼ら一人一人の視点を精緻に描き、欲望や暴力によってそれぞれの登場人物がグロテスクに絡まり合っていく。無知ゆえの稚拙な選択や間違った行動、暴力でしか物事の解決へと辿り着けない彼らの生きざまには胸が苦しくなるほどだ。
登場人物のなかでも異質で、また興味深い存在であるのが“魔女”である。
かつて古代の民が作ったとされる神殿があった村ラ・マトサは、ハリケーンの崖崩れによって村人数百人とともに土石流で埋まってしまった。その神殿の遺跡に生える薬草で毒を作るといわれる魔女は村人から忌み嫌われてはいたが、村の女性たちはそんな魔女に救いを求める。女性たちは魔女の家に食べものを運び、薬をもらい、また彼女らが抱える問題を魔女は呪術によって“癒し”てきた。本作ではこうした村の女性たちが抱える問題が持ち込まれてくる魔女の物語を通して、虐げられた女性たちの苦悩や争いが浮き彫りになってゆく。
青年ルイスミを取り巻く状況もまたグロテスクで、男性中心主義、女性蔑視、性暴力、ホモフォビアが根深く、正視に堪えないほど描かれる。そして彼とともに暮らすことになる少女のノルマの物語は本書のなかでも最も辛く、醜悪でおぞましい。
本作の特徴として、語り手をひとりの人物に定めず、現在から過去に遡るなどして時制を飛び越えながらもそれぞれの登場人物の視点から別の登場人物を描いている点があげられる。これにより人物の奥深い感情や思考だけでなく、人物間の信頼や不信、尊敬や蔑みといった相手に対する感情のひだまでも浮き彫りになっていく。人物の内面と同時に他者からの視点を当てることにより、この世界の人々の渾沌をより実感させてくれる。
本作の構成もユニークで、段落がなく地の文と会話文が混在する文章は時系列と人物の視点が交錯するカオスな世界を構成するのに仕掛けとしては見事と言うほかない。また著者のフェルナンダ・メルチョール自身も本作の舞台となるベラクルス州出身であることから原文はベラクルスの方言で書かれたという。構成や人物が発する言語への確かなディテールは、同じく暴力の世界を描いてきたコーマック・マッカーシーの作品世界を彷彿とさせる。
メキシコの深部に染み入る暴力と虐待に溢れ、紡がれる言葉もとても強烈ではあるが、本作はイギリスの文学賞で世界的に権威のあるブッカー賞で最終候補となり、本国のメキシコだけでなくドイツやアメリカなど様々な賞で評価されている。世界文学の現在地を知る上でもぜひ読んでほしい一冊である。
文=すずきたけし