芥川賞作家・九段理江の真骨頂! 言葉が壊れた後、人間はどこへ行くのか――圧倒的な純文学体験に度肝を抜かれる

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/3/12

しをかくうま
しをかくうま』(九段理江/文藝春秋)

『東京都同情塔』(新潮社)で第170回芥川賞を受賞した小説家・九段理江氏。受賞後の会見で語った「執筆に生成AIを活用した」という言葉が文学ファン以外の間でも話題になった。同作で描かれたテーマのひとつが「言葉の崩壊」だったと思う。そんな九段氏が『東京都同情塔』の前に発表し、野間文芸新人賞を受賞した作品がこの『しをかくうま』(文藝春秋)だ。本作も、そんな「言葉と人間」の問題によりアグレッシブに挑んでいる。

 文藝春秋社の作品解説によると、『しをかくうま』のあらすじは「馬と人類の壮大な歴史をめぐる物語」だ。これまで、音楽教師や主婦、社会課題への関心が高い少女といった市井の人々の葛藤を通じて世界を描いてきた著者を知る読者からすると、馬というテーマは意外ではないだろうか。実際に本書を読むと、あらすじからは想像がつかない物語の展開と、言葉を用いた芸術としての純文学のスケールに度肝を抜かれる。

 本作に登場する主な人物は、厳しい家庭環境で育つ中、馬に魅せられ競馬中継のアナウンサーになった30代の男。そして、古代、「乗れ」という声に導かれ、人類史上初めて馬に乗ろうとする「ヒ」という名の者だ。時をまたいで描かれる人と馬の物語は、現在から過去、未来へと広がっていく。

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 競馬中継の合間に他のテレビ番組の仕事をそつなくこなす男の日常を一変させるのは、競走馬の登録名の文字数の上限が、9文字から10文字に変更されるというニュースだ。馬の名前が長くなることで、人間が言葉に溺れ、言葉という手綱を失った人類がいずれ滅びると彼は危惧する。そして彼は、馬の言葉を理解するために、愛する競走馬「シヲカクウマ」の馬主のもとを訪れ、人と馬の歴史に耳を傾ける。

 本作は、人が欲望を満たすための「移動」という営みの根源や、言葉に支配される人間の知性を描く。人は、行き過ぎた効率化や、サラブレッドに象徴される優生思想によって言葉や時間の空白を埋めようとするが、それによって生物としての美しさ(作中では「詩」と表現される)が失われていく――そんな著者の危機感が伝わってくる。何が人を人たらしめているのか。欲望や言葉から私たちは逃れられないのか――そんな根源的な問題にも、本作は肉薄する。幸福を追求した成れの果てとしての人間の生き様が描かれるラストも、世界に対する著者の違和感を示していると感じた。

 しかし本作の最大の特徴は、物語を紡ぐ刺激的な言葉だろう。順序が入れ替えられた文章や、カタカナで畳みかける人物名、「オオオカヤマ」「オオオオオカヤマ」などとひらひら変わる人の名前が、言葉に支配された読者の脳内をかき乱す。さまざまな言葉のトリックが私たちの違和感を引っ張り出し、理性に揺さぶりをかける。しかし、軽快なリズムと身近な言葉で綴る文章は心地よく、作中で象徴的なアイテムとして登場するコーヒーのように、優しく沁み込みながら身体を興奮させていく。

 本作では、著者が手がける他の作品よりも登場人物の心情表現が削ぎ落されている。しかしそれは、小説における人物への共感よりも、言葉本来のパワーを信じて駆け抜けた結果だろう。それほど本書には著者の言葉への情熱が漲っている。ダイナミックな言葉に、自分でも知らなかった心の場所を刺激され、本を閉じた後には世界の見え方が変わっている。これぞ純文学を味わう歓びだ!と叫びたくなる作品だ。

文=川辺美希