ナイツ塙氏の新作で描かれる現代のお笑い無法地帯。自由すぎる師匠たちの大活躍。その果てに見えてきた、数多の師匠たちが立ち続ける舞台の魅力とは?
公開日:2024/3/1
あらゆる場面でコンプライアンスが重視される昨今。昭和から平成、令和と時代が進むにつれ、型破りな行動が許される環境は減り、乱立されるハラスメントを避けるように人間同士の関係も希薄になっている感覚はないだろうか。
とくに芸人の世界でコンプライアンスに苦しむ人は多い。手段を問わず「おもしろさ」を追求する芸人の世界であっても、清廉潔白を求める世間の風潮に阻まれて自由に表現できなくなっている。
そんな時代の中で、舞台に命をかけた師匠たちが自由に暴れられる場所。それが浅草にある劇場「浅草 東洋館」だ。
本作『劇場舎人 ずっと売れたい漫才師』(塙宣之/KADOKAWA)は、一般社団法人漫才協会の会長でありM-1グランプリで審査員も務める塙宣之氏(お笑いコンビ「ナイツ」のボケ担当)が、浅草 東洋館をはじめとした劇場、そしてその舞台に立ち続けた師匠たちの魅力を凝縮した一冊である。
昨今のメディアにはほとんど出ていなくても、昭和と平成を生き抜き、一生舞台に立ち続けるお笑いの師匠たち。そんな尊敬すべき師匠たちのエピソードには、今の時代にはない無茶苦茶なおもしろさがたくさん詰まっている。
青空一歩師匠は育毛剤をオリジナルで作っているんです。
たかし師匠は自分の孫だとわからなくて舞台上で「うるせえガキだな!」とキレたそうです。
読むだけで笑ってしまう懐かしさすら感じられる無茶苦茶さに、どこか安心している自分がいる。芸事はもちろん、存在がおもしろいという領域だ。漫才の世界では「人(ニン)」と呼ばれる、芸人自身の持つ魅力がネタの内容と同じくらい重要だと言われるが、師匠たちは人(ニン)が完璧に仕上がっているということなのだろう。
そんなお笑いの極地に立つ師匠たちは、舞台に対するこだわりも半端ではない。事故で骨を折っても右腕を失っても、舞台に立ち続ける。師匠になってから解散してピン芸人になったり、他の師匠と新しくユニットを組んだりと舞台への立ち方もさまざまだ。年齢は関係ない。続けることへの尊敬と共に、芸人であることへの執念のような恐ろしさも感じられる。今の時代に失われつつあるものではないだろうか。
また、本作からは塙宣之氏の芸人としての心境の変化も感じられる。たくさんの師匠たちのエピソードや愛を綴り、漫才協会を発展させる施策を考え、弟子も取るようにもなっている。もちろん漫才も続けるだろうが、後世に受け継いでいく方向へと少しずつ意識を変化させているように感じられた。
本作に書かれているのは、お笑いのテクニックではない。本質だ。
師匠と弟子という繋がり。舞台で無茶苦茶する芸人。現代において失われつつあるお笑いの一面が、浅草 東洋館ではまだ見られる。人の温もりや型破りなおもしろさに触れたくなったら、劇場に行ってみよう。今の時代にこそ必要なものは、劇場にある。
文=河村六四