非婚は結婚の反対ではなく、多様な生き方のひとつ。韓国の非婚ポッドキャストが人気のワケ
公開日:2024/3/1
世界で最も出生率が低い韓国では、「非婚主義」を公表する人々が少なからずいるといいます。『私の「結婚」について勝手に語らないでください。』(クァク・ミンジ:著、清水知佐子:訳/亜紀書房)は、圧倒的言語化力のもと、非婚、非出産をテーマにしたポッドキャスト「ビホンセ」を展開する作家の著者が、馴れ合いも嫌味も抜きで思いの丈を素直に語っています。
そもそも「非」という漢字は「非現実」「非常識」のように、あとに来る事柄が肯定形で「ふつう」の状態だと表現されることが多いです。本書の原題は「いや、いまどき誰が」という意味で、結婚と出産を女性が「当然する」と思われてきた従来の慣習を逆に「非」とする、あるいはその「ふつう」を打ち消す含みを持っています。
非婚に結婚が勝るわけではなく、非婚と結婚を天秤にかけて非婚のほうがいいと思ったわけでもない。私の日常に結婚が入ってくる隙と理由がないことを身をもって実感しながら生きているだけだ。ずっとそう感じてきた私としては、まるで私が、結婚に向かって走っていたかと思ったら急にハンドルを切ってUターンしてきたかのように「なぜ非婚で生きることにしたのか」と聞かれると答えに窮する。
「結婚しない」「結婚していない」といったような、従来否定形で示され続けてきた事柄を肯定形に置き換える。そういった多様な生き方を肯定しようとする企業や個人の模索は、社会の仕組みも変えつつあるといいます。韓国ではロッテ百貨店などの大企業が、40歳以上の未婚の社員に対して、祝い金や休暇などの結婚と同様の福利厚生を適用していると本書のあとがきに記載されています。
パートナーはいるか。結婚しているか。子どもはいるか。こういった質問を初対面の人にするのははばかられる場面が多いとはいえ、そういったやりとりが全くなくなってしまったら、深い議論や感情の交流というのはできなくなってしまいます。SNS等でのこの手の議論は、個々人の立場や境遇が異なるがゆえに平行線を辿ったり、衝突や炎上が起きたりしがちです。
こういうときは経験や感情ではなく、経済の仕組みの議論から入ると意外に物事の筋道を立てやすいと本書を読んで感じました。独身で「自由気まま」に見えても、仕事の不安はあり、通帳の残高を確認もするでしょう。配偶者がいても、いつ死が訪れたり、病におそわれて経済状況が急転したりするかもわからないので安心できません。結婚しているかしていないか、子どもがいるかいないか、子どもを産むか産まないかにかかわらず、「人生に責任を持つ義務のある大人である」という心構えで、毎日を誰もが健全に生きられることが大切なのだと本書は教えてくれます。
私たちがすべきことは「だから結婚しよう!」と主張するのではなく、「格好よく」生きなければ非婚の資格はないかのように考えるのでもなく、結婚しない人も離婚した人も福祉や権益から疎外されずに生きていける社会を共に作っていくことではないだろうか。結婚によって一つになった家族ではないという理由でケアの対象から外れてしまわないように、家族を切り盛りする専業主婦が社会に出たときにキャリア断絶という理由で差別されないように、先に配偶者を亡くした老人が孤独死しないように。
場を育むことや、生活環境に寄与することも広い意味での子育てになる。結婚しているかしていないかにかかわらず、人として自分を労り、同時に他人も尊重する。そんな大局的な視座を持ちたい人にオススメな、題名は若干痛烈ですが実は優しい雰囲気を持った一冊です。
文=神保慶政