アサヒグループ食品社長 親戚の明太子メーカー創業者から学んだ“金銭的利益より大切なもの”。人生に影響を与えた「食」に関する3冊を語る【川原浩・私の愛読書】

文芸・カルチャー

更新日:2024/3/9

川原浩さん

 アサヒグループ食品株式会社の代表取締役社長・川原浩さんは新卒から30年間金融業界で活躍し、2021年から現職に就任した。50歳を過ぎてから全く畑の違う世界に飛び込んだ川原さんの人生には、どんな読書体験があったのだろうか。

 さまざまなジャンルで活躍する著名人たちに、お気に入りの一冊をご紹介いただくダ・ヴィンチWebの連載「私の愛読書」。今回は川原さんに「人生に大きな影響を与えた3冊」をご紹介いただいた。

(取材・文=金沢俊吾 撮影=金澤正平)

ジャック・アタリ『食の歴史』で、自分のやるべきことを見つけた

――本日はよろしくお願い致します。

川原:この取材のお話をいただいてから1ヵ月ずっと悩みまして…「自分の人生に大きな影響を与えた本」という軸で3冊選んできました。

――ありがとうございます。それでは1冊目をお願い致します。

川原:ジャック・アタリさんの『食の歴史』です。3年前、ずっと金融業界にいた私がアサヒグループ食品の社長就任にあたって色々と勉強するなかで出会いました。人類が類人猿の時代から現代まで、何をどのように食べてきたのかが書かれているのですが、「食」を体系的に語っている本って意外と少ないんですよ。なのでとても勉強になりました。

食の歴史
食の歴史』(ジャック・アタリ/プレジデント社)

――特に印象的だった箇所を教えてください。

川原:全10章のなかで6章までは食の歴史が書かれているのですが、ジャック・アタリが本当に言いたいのは第7章「 富裕層、貧困層、世界の飢餓(現在)」からだと思っていて。
まず、2050年に全世界の人口が96億人になり、食糧不足になります。食生活の西洋化もあり、その頃には今よりも1.7倍の食糧が必要だと言われています。1.7倍の食糧を生み出すには、ブラジルの国土1つ分が全て農地にならないといけないと書かれているんです。

――現実的じゃないということですね。

川原:そう、不可能なんですね。現代でも食糧不足の貧困層がいるなかで、それがさらに増えてしまうと。その一方で、貧困層が多いアフリカでも、栄養過多による生活習慣病が増えているんです。要するに、富裕層も貧困層も「食」が原因で栄養バランスがどんどん悪くなってしまうと、ジャック・アタリはかなり悲観的に語っています。

――どういったところが「人生を変えた」のでしょうか?

川原:世界が今のまま進んでいくと絶対に食糧不足になるとすると、「食品」はまだまだ人類のために貢献しなきゃいけない部分がたくさんあると気付いたんですね。そのとき、アサヒグループ食品の社長として、自分のやるべきことが見つかったような気持ちになりました。

川原浩さん

利益追求よりも社会に求められる商品を

――企業として利益を求めるのは当然のことだと思いますが、それ以上に「食」を扱う会社としての社会的責任を感じられたということでしょうか?

川原:いま考えているのは、私たちは社会に求められている商品を作ることで、初めて継続的な売上を立てられるということなんです。逆に、利益だけを追求しだしたら、その場その場のヒット商品は作れたとしても、後世まで長く残る会社にはならないと思います。だから、そういった社会課題解決に貢献するという責任感のようなものに私たちの基盤を置きたいと考えています。

――先日、アサヒビールが「健全で持続可能な飲酒文化を目指す」として、ストロング系RTD飲料商品は今後新発売しないとの報道がありました。消費者のなかでも健康意識が高まってアルコールを控える人が増えているように思います。

川原:仰る通り、飲酒人口は減り続けています。現代の方々って、お酒を飲むこと以外にも楽しい時間を過ごすたくさんの選択肢があるんですよ。私の若い頃とは違うようです(笑)。

 アサヒグループの売上の多くは酒類です。ですが、ビールを作ることが自分たちの仕事だと定義してしまうと、その枠の中にしかいられないじゃないですか。だけど、グループの役割を「みんなに楽しい時間を提供すること」と考えれば、まだまだ私たちにできることはたくさんあるはずです。アサヒグループの食品部門として、その存在意義はさらに高まってくると思いますし、これからがすごく楽しみなんです。

――なるほど。とてもポジティブでいらっしゃるのは、経営者として自覚的な面もあるのでしょうか?

川原:それはものすごく意識しているし、とても大切なことだと思っています。世の中の状況がどんどん変わるなかで、それをチャンスだと捉えるか、リスクだと捉えるかによって、私たちの行動も違ってきますよね。「このヤバさはチャンスだぞ」と思えたら、きっといいことが起こせると思うんです。だから本当に、基本的には変化はチャンスだと考えるようにしていますし、従業員にもそうであってほしいと思っています。

川原浩さん

実は親戚! ふくや創業者の人生を追う『明太子をつくった男』

――それでは、2冊目をお願いします。

川原:『明太子をつくった男: ふくや創業者・川原俊夫の人生と経営』です。タイトルの通り、ふくや創業者の歩みをまとめた本なのですが、2013年に出版されるずっと前、子どもの頃から親によく聞かされた話でして。実は、川原俊夫さんは私の親戚なんですよ。

――なんと! たしかに名字が同じですね。会われたこともあるのでしょうか?

川原:残念ながらお会いしたことはないんです。でも毎年、ふくやさんの明太子を送っていただいていました。

――川原俊夫さんはどのような方だったのか教えてください。

川原:ふくやさんは、日本で初めて明太子を作って売り出したと言われています。戦時中、川原俊夫さんが満州にいたときに食べた唐辛子漬けの明太子を、帰国後に日本で売り出したそうです。それで、ここがポイントなんですが、川原俊夫さんっていう方は、明太子の作り方の特許を取らなかったんです。

――へええ。

川原:周りの人は特許を取りなさいと何度も言ったんだけど、そんなことはしないと。「みんなで明太子を作ればいいんだ」って、他のお店に作り方まで教えてあげたらしいんです。ただ、教えるのは作り方まで。決して「ふくや」の材料の味見はさせなかったそうです。なぜなら、そこを教えるとみんな同じ味になってしまうから。

――それぞれのお店が独自の味を生み出して、切磋琢磨する状況を自ら作られたんですね。

川原:その結果、福岡にはたくさんの明太子屋さんができました。そういった意味では「ふくや」は、いち明太子メーカーとなりましたけども、その代わり「福岡・博多といえば明太子」という産業を生み出したんです。

 この、自分の利益のためだけに動かず社会を盛り上げたという話が、僕は子どもの頃から大好きでした。きっと、川原俊夫さんや、ふくやさんには金銭的な利益以上に大きなものが返ってきたはずだと思うんです。

――素晴らしいですね。先ほどのアサヒグループ食品としての責任感にも繋がるお話です。

川原:ああ…たしかにそうかもしれませんね。「食」って生きるためには不可欠じゃないですか。食が豊かになることで社会も発展していって、発展した社会から自分たちに大きな何かが返ってくると。社会に貢献することが、結果として自分たちの生活を豊かにしていくんだと、この本を読んで再認識できました。

――ちなみに、明太子はお好きですか?

川原:それはもちろん(笑)。もう大好きですよ! 福岡へ出張に行くたびに買いますし、東京でもよく食べますね。

川原浩さん

『釣りキチ三平』でアユ釣りに目覚めた

――では、最後の1冊を教えてください。

川原:『釣りキチ三平』です。小学生の頃に読み始めて、いまでも全巻持っています。今日持ってきたのは「アユ釣り編」。もうこれが大好きなんです。

釣りキチ三平
釣りキチ三平』(矢口高雄/講談社)

――アユ釣り編…?

川原:その名の通り、アユを釣る回だけがまとめられた総集編です。単行本全65巻のなかで様々な魚を釣るわけですが、たぶん矢口高雄さんは、アユがいちばん好きです(笑)。序盤はとにかくアユ率が高くて、アユの生態やアユ釣りの方法が事細かに描かれています。登場人物も、アユ釣りがしたくて刑務所から脱走してくる人がいたり(笑)。

――(笑)。

川原:それで当然、私も子どもの頃にアユ釣りをしたいと思ったワケですが、釣り具が特殊でものすごく高く、とても手が出ない趣味だったんですよ。何十年も憧れを募らせ続け、ようやく2年前からアユ釣りをスタートできました。

――おおー! かなり時間がかかりましたね。

川原:釣り具だけじゃなくて釣り方も特殊で、なかなかやっている人に出会わないんですよね。それが2年前、取引先の会長さんが「俺、もう30年アユ釣りやってんだよ」って懇親会で話してくれて。その場で「会長!教えてください!!」って(笑)。それから10回以上、その会長さんと釣りに行っています。

――少年時代からずっと憧れ続けて、初めて釣れたときってどんな気持ちになるんですか?

川原:よくぞ聞いてくれました(笑)。まずね、アユってきれいな川にしかいないんです。その川に浸かって釣るんですけど、それだけで気持ちよくて最高でしたね。初回はなかなか釣れなくて、ちいさいのが2匹釣れただけでしたけど、とんでもなくうれしかったですね。

――それで最後は美味しくいただいて。

川原:もちろんです。家に持って帰って塩焼きにして食べました。焼くと少し縮むので、もう小魚みたいになってしまいましたけど、本当に美味しかったですし、とにかく最高の経験をしたと思います。

川原浩さん

金融から食品業界へ。異業種に飛び込むことに迷いはなかった

――本日挙げていただいた3冊は、全て「食」に関するものでしたね。

川原:ああ、たしかに。『釣りキチ三平』も食ですね。言われるまで気付かなかったです。
最初にお話しした通り「自分に影響を与えた」という観点で選んだら、たまたまそうなりました。そう言われると『釣りキチ三平』を読んだり、明太子を食べたりしながら食品業界への想いを募らせていたのかもしれません。

――金融会社で働いていた頃から、食品業界への興味はあったのでしょうか?

川原:食品というか、事業会社へのリスペクトはありました。「金融業ってサポーターだな」といつも思っていたんですよ。事業会社が何かやろうとしていることを、金融や情報でサポートするのが自分たちの仕事だと考えていたんです。それはそれでやりがいがあって、すごくエキサイティングだし勉強にもなるんですけど。

 私は、事業会社って自分の存在を世の中に問う仕事だと思うんです。自分たちがいいと思うものを世に出して「そうだね」とみんなが思ってくれたら売れるし、「何か違うんじゃない?」と思われたら売れない。それって、ものすごくダイナミックで価値のある仕事だなと思っていました。

――とはいえ、数十年も同じ業界でやってきて、飲食業界にいきなり社長として飛び込んだのは勇気が必要だったのではないでしょうか?

川原:そうですねえ……失礼ですがあなたは今おいくつですか?

――36歳です。

川原:じゃあきっと、あと数年経ったらわかると思うんですけど、どこかで人生を逆算しだすんですよ。あと何年ぐらい生きる。あと何年ぐらい働ける。待て待て、これしか時間ないぞ!? って。そうすると、もう迷いはなくなりましたね。「このまま死ねないぞ」って。そんなとき、この会社にチャンスをいただけたんです。

――川原さんが、このお仕事にすごく思い入れと誇りを持っていることが伝わってきました。本日はありがとうございました。

川原:ありがとうございました! アサヒグループ食品ぜひこれからも注目してくださいね。

<第41回に続く>