村上春樹史上最も売れた『ノルウェイの森』ってどんな話? 「最高の恋愛小説」と言われるが…/斉藤紳士のガチ文学レビュー③

文芸・カルチャー

公開日:2024/4/22

ノルウェイの森
ノルウェイの森』(村上春樹/講談社)

僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。

飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。
ビートルズの『ノルウェイの森』だった。
僕は混乱した。
『ノルウェイの森』を聴くと、十八年前のことを思い出してしまう。

記憶というのはなんだか不思議なものだ。
その中に実際に身を置いていたとき、僕はそんな風景に殆ど注意なんて払わなかった。
とくに印象的な風景だとも思わなかったし、十八年後もその風景を細部まで覚えているかもしれないとは考えつきもしなかった。

しかし、その風景の中には人の姿は見えない。誰もいない。直子もいないし、僕もいない。
直子が何者であるか、最初のうちは明かされない。読者は主人公「僕」の恋人なのだろうと思いながら読み進めるが、その推察は外れているかもしれないと思いなおす。

「ねえワタナベ君、私のこと好き?」
「もちろん」と僕は答えた。
「じゃあ私のおねがいをふたつ聞いてくれる?」
「みっつ聞くよ」
 直子は笑って首を振った。「ふたつでいいのよ。ふたつで十分。ひとつはね、あなたがこうして会いに来てくれたことに対して私はすごく感謝してるんだということをわかってほしいの。とても嬉しいし、とても━━救われるのよ。もしたとえそう見えなかったとしても、そうなのよ」
「また会いにくるよ」と僕は言った。「もうひとつは?」
「私のことを覚えていてほしいの。私が存在し、こうしてあなたのとなりにいたことをずっと覚えていてくれる?」
「もちろんずっと覚えているよ」と僕は答えた。

触れたらパラパラと簡単に剥がれていきそうな脆さを抱えた直子を僕は好きだった。ただ、直子は僕のことを愛してさえいなかった。

さらに二年遡り、二十年前。
「僕」はある学生寮に住んでいた。十八歳で大学に入ったばかりの頃、同室に住んでいたのは「突撃隊」というあだ名の男だった。吃音症で毎朝六時に『君が代』を目覚し時計がわりにして起床し、ラジオ体操をする風変わりな男だった。跳躍するパートでは、同室の僕が寝ていようがお構いなしに実に高く跳躍し、振動でベッドがどすんどすんと上下した。跳躍をやめてくれ、と頼んでも「ひとつだけ抜かすってわけにはいかないんだよ」と融通がきかない。
ところがそんな突撃隊の話をすると、普段は表情を崩すことすら少ない直子が必ず笑った。突撃隊の存在は、直子との会話の中で欠かせない潤滑油だった。
直子はいつも心ここに在らずで、中身ががらんどうなのではないかと思わせる。

「ここはどこ?」と直子がふと気づいたように訊ねた。
「駒込」と僕は言った。「知らなかったの? 我々はぐるっと回ったんだよ」
「どうしてこんなところに来たの?」
「君が来たんだよ。僕はあとをついてきただけ」

なぜ直子はこうなってしまったのか?
僕がはじめて直子に会ったのは高校二年の春。
僕にはキズキという仲の良い友人がいて、直子は彼の恋人だった。そして、キズキと直子は幼なじみでもあった。
三人で会うこともよくあったが、僕は直子と二人にされると少し気まずかった。
五月のある日、キズキは僕に「玉でも撞きに行かないか?」と言った。四ゲーム。一ゲームは僕が勝ち、残りはキズキが勝った。
「今日は珍しく真剣だったじゃないか」
「今日は負けたくなかったんだよ」
彼はその夜、自宅のガレージでN360の排気パイプにゴムホースを繋いで、窓の隙間をガムテープで目張りしてエンジンを吹かし、自ら命を絶った。遺書もなく、動機も思い当たらなかった。僕はこう思うようになる。

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している

僕と直子は大学生になり、二人の距離は縮まっていった。
僕は直子にクリスマスプレゼントとして『ディア・ハート』という曲が入ったヘンリー・マンシーニのレコードをプレゼントした。直子は自分で編んだ毛糸の手袋をくれた。
そして二十歳の誕生日に僕と直子は結ばれる。直子とキズキはそういう関係にはなっておらず、直子にとっては初めての経験だった。
しかし、その夜から直子は梨の礫になり、まったく会えなくなる。しばらくしてやっと届いた手紙には「大学を一年休学して、神戸の家に戻って施設に入ります」と書かれていた。

夏休みが終わったある日、講義を受けていると「ワタナベ君でしょ」と声をかけられる。サングラスをしたその女性は「演劇史II」のクラスで見かけたことのある一年生の女の子だった。
彼女の名前は緑。緑には彼氏がいたが、緑の家の二階の物干し台から火事を見ながら僕と緑はキスをする。
のちに緑は「あれがファーストキスだったらよかった」と言う。

僕は直子に会いに行く。
施設で直子はレイコさんという女性と同室だった。レイコさんは三十九歳。気だるい雰囲気を漂わせている。ギターを弾くのが趣味でよくタバコを吸った。
直子がレイコによくリクエストしていたのが『ノルウェイの森』だった。

「この曲聴くと私ときどきすごく哀しくなることがあるの。どうしてだかはわからないけど、自分が深い森の中で迷っているような気になるの」と直子は言った。
「一人ぼっちで寒くて、そして暗くって、誰も助けに来てくれなくて。だから私がリクエストしない限り、彼女はこの曲を弾かないの」

直子はレイコを信用していた。

東京に戻ってから僕は緑と頻繁に会い、病院に入院している緑の父親の世話をしたりする。
そして、冬にもう一度直子に会いに行き…。

あらすじの紹介はここまでにしておいた方がいいでしょう。
この先、主人公の「ワタナベ」にどういった出来事が降りかかり、そこにどうやって立ち向かっていくかは是非作品を読んでいただきたい。
主人公はたくさんのものを失い、わずかに何かを得ます。

とても重いテーマの小説とも読めますが、軽快なセリフのやり取りや静かで落ち着きのある文体のおかげで小説としての推進力が高い作品になっています。なので、割とすらすらと読み進めることができると思います。

「あなたって何かこう不思議なしゃべり方するわねえ」と彼女は言った。「あの『ライ麦畑』の男の子の真似してるわけじゃないわよね」
「まさか」と僕は言って笑った。

時に翻訳調だと言われる自身の文体に対するいわば「自虐ネタ」のようなセリフがあったり、ところどころにユーモアがちりばめられていたりするのもこの小説の見どころのひとつ。

この『ノルウェイの森』の惹句として「最高の恋愛小説」というのがあったが、これにはやや違和感を覚える。
『ノルウェイの森』は喪失の物語であり、記憶の物語である。
登場人物たちの恋愛はどれも歪で、不安定で、ぎこちなくて恣意的なものである。
しかし、そんなバランス感覚の中で大切なものやアイデンティティにしがみついて生きている若者の姿が胸を打つ。
これだけ強烈な出来事が起こり、感情が渦巻いているのに、読んでいる間ずっと深い森の中にいるような静寂に包まれるのは村上春樹さんの文章がなせる業なのかもしれません。
日本を代表する現代小説のひとつ『ノルウェイの森』。
是非読んでみてください。

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<第4回に続く>