「すかし」や「ホログラム」… 新1万円札に使われている驚きの新技術/億万長者も知らない!? お金のびっくり事典①

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公開日:2024/3/13

億万長者も知らない!? お金のびっくり事典

 渋沢栄一は1840年、現在の埼玉県に生まれた。はじめは江戸幕府に反対していたけど、いつのまにか最後の将軍・徳川慶喜の家臣となり、慶喜の弟・昭武のヨーロッパ視察のお供をしている。考えがやわらかい、先取りの心を持つ人物なんだ。

 ヨーロッパで知った、新しい技術や産業、近代的な社会の仕組みが、渋沢栄一に大きな影響を与えたんだ。

 帰国した渋沢栄一は、商売や工場に関する法律をつくったり、生糸を生産する工場の富岡製糸場や第一国立銀行(現在のみずほ銀行)を設立したりと、新しい日本の国づくりにつくしたんだ。

 渋沢栄一は、生涯にわたって500以上の会社や銀行などをつくり、「日本近代社会の創造者」「近代日本資本主義の父」などとよばれているよ。

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 津田梅子は、1871(明治4)年、政府使節団とともに女子留学生として、わずか6歳でアメリカにわたった。アメリカで教育を受けて、1882(明治15)年に17歳で帰国したけれど、アメリカ生活が長すぎて、日本語を忘れてしまっていたんだ。

 一度は女学校の先生などになったけれど、再びアメリカにわたり大学で勉強をしたんだ。そして帰国して、36歳で現在の津田塾大学の前身、女子英学塾を開校する。女性の地位向上を目指して、英語教育や、当時としては画期的な個性を尊重する教育に努め、女性の高等教育の基礎を築いたんだ。

 新札の津田梅子の肖像は、女子英学塾開校の36歳ごろの写真を参考に、少し年齢を上にしたイメージで描かれているんだって。

億万長者も知らない!? お金のびっくり事典

 北里柴三郎は1894(明治27)年、香港にいた。そのころの香港はペストという、おそろしい感染症が流行していて、多くの人たちが命を落としていたんだ。ペストにかかると皮膚が黒くなるので、「黒死病」ともよばれた。14世紀のヨーロッパではなんと、人口の3分の1が命を落としたそうだよ。

 細菌学者だった北里柴三郎は、ペストの予防と治療法を見つけるために香港にやってきたんだ。そしてわずか2日で、ネズミがペスト菌を運んでくることを突きとめ、その予防法と治療法を開発したんだ。

 北里柴三郎は、北里研究所を設立して狂犬病やインフルエンザ、赤痢などの予防や治療の研究を続け、「近代日本医学の父」といわれているんだ。

<第2回に続く>

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