高田純次「80歳を超えたら100m走を9秒くらいで走ろうと思う」。「適当男」が『最後の適当日記(仮)』に込めた思いを聞いた〈インタビュー〉
公開日:2024/3/14
「適当男」として何冊も自著を刊行してきた高田純次さんが、ついに『最後の適当日記(仮)』(ダイヤモンド社)を上梓。その内容といえば、何も書かれていない日があるし、一文字しか書かれていない日も…。ただ、時々妙に心に沁みる言葉があり、どこを切り取っても笑えるのに、なんだか深くて癒される。この日記の面白さと尊さこそが、高田さん自身の人物像なのかもしれない。「適当男」とは何たるかを、本人へのインタビューで探ってみた。
●80歳を超えたら100m走を9秒くらいで走ろうと思って
――2008年の『適当日記』から約16年が経ち、『最後の適当日記(仮)』が刊行されました。前作も持っているのですが、帯がないので電車の中で読むとちょっと恥ずかしいです。
高田純次(以下、高田):帯がないとな。ギャグを先に言っちゃうみたいなもんだから。電車の中はダメだね。ちょっとあの人おかしいよ、ってことがバレちゃう。帯があれば、まだ隠れてるからさ。
――そうですね。帯がないと天狗の部分が丸見えで…。
高田:そうそう、前作で天狗を出して味を占めたもんだから、今回の表紙はバスローブ姿。ちょっと聞いたんだけど、舘ひろしさんは、全裸にバスローブだけ羽織って仕事場に行ってるらしいよ。仕事場に全裸で行くってすごいよね。舘ひろしさんだから許されるけど、俺が全裸で行ったら完全にアウトだね。天狗は、普段から慣れるように、つけたまま寝てるよ。
――寝返りが大変そうですね(笑)。前作は「気軽に読めて、気が楽になる」と電子書籍でもたくさん読まれ、ダ・ヴィンチ電子書籍アワードの特別賞を受賞されていました。
高田:そうだっけ。もう昨日のこともほとんど忘れてるから。77歳のじじいに10年前のこと言ったってわかんないから、せめて明後日のことにして。あれ、明後日って、前だっけ、先だっけ? もうわかんなくなってきちゃった。だんだん細胞も衰えてくるし、しょうがないよね。ちょっと前までは10人くらい軽く女の子をやっつけてたのに、今はマイナスひとりになっちゃったもんな。
――マイナスひとりですか(笑)。
高田:そう、マイナスひとり。それにしても、自分が77歳になるとは思わなかったね。みんな30代や40代の頃はそうじゃない? 俺も80歳になったときのことなんて考えてないけど。そうね、80歳を超えたら、100m走を9秒くらいで走ろうと思ってる。…あれ、何の話だっけ?
――(笑)。今日はせっかくなので、『最後の適当日記(仮)』の中からいくつかお話を伺いたくて。
高田:いいよ。本になった時点で何を書いたのかほとんど忘れちゃってるけど。
――たとえば、今日は2月14日ですが、昨年の2月14日の日記では「毎年スタッドレスタイヤを変えようかどうかを考える日」と書かれていました。
高田:昔はバレンタインなんてなかったから。クリスマスもないし、正月もなかったよ。
――正月はありそうですけど…。
高田:正月はあったか。クリスマスもあったね。変な話だけど、バレンタインデーって血の虐殺だよな。なんかすごい殺人事件があったじゃない(注:聖バレンタインデーの虐殺)。まあ、だから思いつくままに書いたよ。
●適当って何なのか、わからないのがきつい
――俳優の松山ケンイチさんが「高田さんのようになりたい」と仰っていた、と書かれた日もありました。
高田:それは松山ケンイチさんの間違いだね、たぶん。僕は今、松山ケンイチさんの年齢に戻りたいくらいだから。そもそも、松山さんと会ったことないから。奥さんの小雪さんはね、ハワイにいたとき、ずいぶん向こうから小雪さんみたいな背の高い人が歩いてくるなって思っていたら、それが本当に小雪さんだったんだけど。
――他にも世の中には「高田さんのようになりたい」という人がたくさんいるようで、そろそろ次の「適当男」が生まれてもいい頃かもしれません。
高田:僕自身が意外とほら、誰も認めてないだけで、聖人君子だから。「適当」って僕が言い出したことじゃなくて、どこやらの編集者が考えてくれたみたい。これが「適切」なことしか言わない適切男だったら「そんなのみんなわかってるよ」って言われるだろうね。適当って、イメージ的にはC調のほうに揺れるじゃない? 現実には、「適当にやっといてくれ」って言うくらい、物事がある程度うまく当てはまるってことだよね。だから、いい言葉を持ってきたよね。俺が「適切男」だったらこんなにインタビューのオファー来ないよ(笑)。
――あらためて、いい言葉だなと思います。
高田:面白いでしょ。ちょっとしたニュアンスでね。
――それにしても、高田さんの「適当さ」ってどういうところなんでしょう。
高田:ずっと適当男でやってると、適当って何かなと思ってね。お茶を飲むにも、頭からかけて垂れてくるのを飲むのがいいのか、自分の乳首に洗濯バサミを挟んで気持ちいいっていうのが適当なのか。適当って何なのかわからなくなる。これがきついね。
――前例がないだけに、高田さんが先頭を走って「適当男」というジャンルを作っているのだなと感じます。
高田:うん、そう言われるのは嬉しいよね。僕は、喋ってるうちの95%が嘘なんだけど、5%は本当のことを言ってるんですよ。でも誰も本当だと思わないから、95%が本当のことで、5%が嘘だったとしても気づかれない。時々35%…いや、3%か2%くらい本当のことを言うんだけど、それさえも嘘だとすると、「すごいです」と言われたりして。
――何が嘘で本当なのかわからなくなってきました…。
高田:やっぱり人間、それぞれ生きていて考え方が違うから。面白いことって何なのか、断定するのが難しいよね。悲しいことって、誰でも悲しいじゃない。職を失って金をなくしたとか、体の調子が悪いとか。だけど笑いっていうのは、誰でも笑うわけじゃないんだよな。
――高田さんの作り出す笑いは、人を傷つけない笑いだと、巷では言われているような気がします。
高田:大丈夫、俺が傷ついてるから。
――(笑)。
●この歳になっても自分探しの旅
高田:僕なんか中途半端で、お笑いとかコントとかをちゃんとやってきたわけでもないし、劇団は劇団でも俳優としてのベースがないし、マジックなんかもできない。中途半端で77年生きてきちゃった。だけど、今さら自分を変えてもしょうがないよ。体の中の血が“中途半端”でできちゃってるから。今から血を変えちゃったら、すぐ死んじゃうかもしれない。
そういう意味では、オセロみたいに白黒はっきりしていればいいんだけど、人間の世の中には、あやふやなものがたくさんある。だから、俺だけじゃなく、みんなが生きていけるのかもね。
――白黒はっきりさせすぎないのが、いいんですね。
高田:ま、できることならずっと白でいきたいかもしれないけど、心の中に悪魔が芽生えるときもあるからね。前歩いてる人が素敵だから、さわっちゃおうか!? ダメだ、それは悪いことだからやめようと思うじゃない。だいたいさ、キスするときに吸ったりするじゃない。誰が決めたんだろうと思って時々吹いてるんだけど、いい加減にしてくれって言われてね。
――(笑)。何が正しいのか決めるのも難しいですね。
高田:でもまあ、そう考えると、そんなことで77年生きてきたなんて、たいしてロクなこと考えてなかったんだよね。若いときはそれなりに、もう少し知的な仕事に就くとか、そういう気持ちもありましたよ。たとえば、人のためになりたいとか。でも、ずっと人のために生きてる人がいるかなと思うし。人それぞれ、生きることの正解がないよね。若いときに「これが人生の正解ですよ」って言われたら、一応それを目指すけど、本当にそれがいいのかどうか。俺なんか、この歳になっていまだに自分探しの旅ですよ。
――70代になっても自分探しの旅、それも悪くなさそうですが。
高田:最近、絵を描かせてもらってるけど、絵がうまいなんて言われて、俺みたいな絵でいいのかって、困ってるんですよ。上手い、下手っていうのも第三者の考えで。キャラクターの絵くらい描けたほうがよっぽどいいって俺は思うんだけど。ただ、『じゅん散歩』がなかったとしても絵を描き続けたいと思ってるよ。
●今の仕事がみなさんの天職
――ダ・ヴィンチWebの読者は30~40代が多いのですが、高田さんが考える、この頃にやっておいたほうがいいことを教えていただけませんか?
高田:とりあえず国家試験、取っとこうか。だいたいみんな学校を出て仕事してる年代だから、仕事の悩みはやっぱり多いじゃない。俺なんか、高校になっても何していいかわかんなかったし、大学行けば女の子とお付き合いできるかなって思ってたけど、大学進学がダメになっちゃったから、どうやって生きていこうかと悩んで。今思えば、若い頃、手に職をつけておけば良かったと思うよ。子どもの頃とか、自分がやりたいことを見つけるのが早ければ早いほど人生楽しめると思うし、やっぱり技術を持ってると違うよね。
――高田さんも、今からその時代に戻れたら、国家試験に挑戦したいですか。
高田:とりあえず、国家試験だね。30代で宅建、40代で社労士。で、50代で、とりあえずスケボーを滑れるようにならないと。趣味のひとつとして。
――(笑)。反対に、若い頃に、あんなに悩まなくて良かったと思うようなことはありますか?
高田:俺も30~40代はほとんど悩んでましたよ。30代といえば、宝石販売会社を辞めた頃。人間、自分の仕事に慣れてくると魔が差して、他にも何かやりたいと思うのよ。よく「天職」って言うでしょ。あの言葉があること自体がおかしい。みなさんの今やっている仕事が天職だと思うから。30~40代って、20代に比べると考え方がある程度落ち着いてるから、いろんなこと考えるよね。ただ、タイミングっていうものがあって、俺も今から医者になろうとは思わないけど、30代だったら思っただろうね。
――30代から医者に?
高田:以前ね、ある放送局に勤めていた30代の女性が、お医者さんになりたいと言って。国立大学を出ていたから、勉強が何年分かカットされたのかな。で、住んでるマンションを売って試験を受けたら、北海道のほうで受かって。そこでアルバイトしながら、何年か前にお医者さんとなって帰ってきましたよ。俺がチャラチャラしてる間に、その人は自分の目標を達成して帰ってきた。すごいことだよね。俺の体を診てくれ! とはまだ言ってないんだけど。女性は強いよね。
取材・文=吉田あき、撮影=後藤利江