小学3年の時に母親にパチンコを教えてもらった。芸人・脚本家・俳優として活躍するシソンヌ じろう氏の故郷愛溢れる初エッセイ
公開日:2024/3/22
「ふるさと」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。学生時代によく通った地元の喫茶店や本屋さん、通学路で毎日通っていた商店街、家族でよく行った公園…『シソンヌじろうの自分探し』(じろう/東奥日報社)は、それぞれの心の中にあるふるさとを呼び起こしてくれる一冊だ。
本書は、青森県弘前市出身のお笑い芸人シソンヌじろう氏が地方紙に連載中の「シソンヌじろうの自分探し」の3年分の内容を単行本化した初エッセイだ。人気芸人でありながら、最近では脚本家や俳優としても活躍するシソンヌじろう。そんなじろう氏のルーツは、地元である青森県弘前市にある。ふるさと弘前市で少年じろう氏が大人へと成長するまで、どんな環境で育ち、何に影響されてきたのか…今のじろう氏をかたちづくるルーツに迫った一冊となっている。
じろう氏が生まれ育った青森県弘前市は、弘前藩の城下町として発展し、現在も津軽地方の中心都市として機能している街だ。街なかには神社仏閣などの歴史的建造物が多く立ち並び、中心部から少し離れると「津軽富士」と呼ばれる岩木山の麓にりんご畑が広がっている。1年のうち約5ヶ月は厳しい寒さと雪に覆われる。
じろう氏は3人兄姉の末っ子で小児喘息持ちだったことから、母と過ごした思い出が多くあるという。週に一度の病院通いはもちろん、映画館や路地裏にある洋食店、近所にある餅屋や洋菓子店の甘いもの、山菜のむき方…母に連れて行ってもらった場所や、教えてもらったというエピソードが盛りだくさんだ。特に印象深かったのは、母と、母の姉(伯母)と3人で人生初のパチンコに行くというエピソード。
“昔は大人が同伴していたら子どももパチンコ屋に入れたので、小学3年生の僕が入店しても何の問題もなかった。いい時代だ。母と伯母と3人並んで座り、訳もわからず「羽根もの」のような台を一緒に打った。僕が当たりを引くと玉がたくさん出てきて、母は僕以上に大喜びしていた。母に連れられて玉を持ってカウンターへ行くと、茶色の紙袋いっぱいのお菓子と交換してもらえた。人生初パチンコは大切な思い出として今もしっかりと頭に残っている。”
―P121「西パチで学ぶ」より抜粋
親にパチンコのやり方を教えてもらったことがある人は、日本にどれほどいるだろう。今では考えられないエピソードだが、そこに治安の悪さは感じられず、当時の田舎らしいゆるやかで景気の良さそうな雰囲気が伝わってくる。ちなみに別の回では、父から麻雀を教えてもらったエピソードも描かれている。
本書でじろう氏自身も語っているが、じろう氏の周囲にいる家族や大人たちが本当に温かく素敵な人たちだったんだなと思わずにはいられない。当時の大人たちは特別なことはしていないと思うかもしれないが、どこか地域全体で温かく子どものすることを見守っていたのではないかと思う。今はほとんど失われてしまったその温かさに、読み進めるたび勝手になつかしさを感じて泣きそうになってしまう。
また、じろう氏がよくコントで披露する「おばさんキャラ」のルーツに迫った回では、じろう氏自身が幼少期からおばさんたちに囲まれ、たくさん可愛がられてきたと語られている。
“弘前で過ごした18年間、町に溢れるおばさんたちと長い時間を過ごしている間に僕の中に「おばさニズム」の種がまかれ、東京に出てその種が芽吹き今に至るのかもしれない。僕は東京で津軽のおばさんになった。”
―P51「おばさんたち」より抜粋
じろう氏がコントで表現するおばさんは、まさに津軽のおばさんそのもの。そこにはおばさんへのリスペクトと愛があり、この土地でこんな風におばさんに囲まれて育っていたからこそ、身近に存在する個性的なおばさんたちを巧みに表現できているのだろう。おばさんたちなくして今のじろう氏はいないのだと思うと感慨深い。
地元弘前市のさまざまなエピソードの中には、今はもうなくなってしまった店もたくさん登場する。高齢化と過疎化の波に押し寄せられ、今にも消えてしまいそうなその土地の名店は全国各地にあるだろう。いつまでも無条件にあるわけではないからこそ、じろう氏のようにお店に足を運ぶことが何よりの応援になる。自分のふるさとは、自分で守らねば。そんな思いが沸々と湧いてくる。
誰にでも思いを馳せるふるさとがある。今度のGWには帰省しようかな。そう思わせてくれるじろう氏のエッセイ本。4月には桜の名所で有名な弘前公園で「弘前さくらまつり」がある。本書にもエピソードとして登場するので、桜が咲いて弘前市が一層賑やかになる春に、本書片手にじろう氏のルーツをたどってみてはいかがだろうか。
文=鈴木麻理奈