ホラー映画『シャイニング』ってどんな映画? 記憶に残る、斧で扉をぶちやぶった狂気のシーンの秘密

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公開日:2024/4/1

シャイニング
シャイニング』(スティーヴン・キング/文藝春秋)

「ホラーの帝王」といわれるスティーヴン・キング。2024年は同氏のデビュー50周年イヤーだ。著作の中でも映画化されて特に有名なホラー映画『シャイニング』(スタンリー・キューブリック監督/1980)を紹介する。

舞台はアメリカ、自然豊かなコロラド州。山奥の豪華なホテルの管理人職を得た小説家志望のジャック(ジャック・ニコルソン)は、妻・ウェンディー(シェリー・デュヴァル)と、霊感の強い息子・ダニー(ダニー・ロイド)と共に、冬の豪雪の間の管理人として住まうことになる。実は過去に管理人が家族を惨殺するという事件が起きており、ホテル全体がさながら「事故物件」のようであることが明らかになってもジャックは気に留めない。しかし、ダニーの持つ「シャイニング」(テレパシー)の力は、ジャック一家が恐怖の世界に迷い込んでいくことを予期していた…。

 着飾った双子の少女が廊下でじっとこちらを見つめている。女性が逃げ惑いドアのそばに隠れていると斧がドアを突き破り、狂った男がドアの隙間から顔を出す。『シャイニング』を観たことがなくても、こういった場面抜粋を見たことがある方は多いのではないだろうか。観たことがなくても「ああ、あの映画ね」となるような作品だと思う。

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 そのような「記憶に残る」シーンというのはどのように生み出されるのか? その秘密は「不自然さ」にあると筆者は考える。たとえば、主演のジャック・ニコルソンの「怪演」といわれるような演技。「自然な演技で良かったね」と、ともすると映画では「自然さ」が評価されがちだが、スタンリー・キューブリック監督作は「自然さ」を極力排除しようとすらしているように思える。

 本作前後の2作品ずつをピックアップしてみると、「風変わり前提」な作品群のど真ん中に『シャイニング』が位置していることがわかる。奇想天外なSF映画『時計じかけのオレンジ』(1971年)、18世紀ヨーロッパの栄枯盛衰を絵巻物のようにドライに描いた『バリー・リンドン』(1975年)、ベトナム戦争中を強烈に風刺した『フルメタル・ジャケット』(1987年)、ニコール・キッドマンとトム・クルーズが共演して話題になったキューブリック監督の遺作サスペンス『アイズ・ワイド・シャット』(1999年)。たとえば、『アイズ・ワイド・シャット』は冒頭から、設定自体は主人公たちの日常の流れの中で、周囲の人々を含めて話し方・動きがかなり不自然で際立っているため、「自然」と「不自然」のギャップがわかりやすい。

 本作においてジャック一家は、大波に飲まれるような感じではなく、潮が満ちていくようにジワジワと「不自然の波」に侵食されていく。その「ジワジワさ」と「気づいたときにはもう呑まれている」感じが、観ていて恐怖を感じさせるのだろう。アルコール依存症を患っていながらも、ジャックは「大丈夫だ」といった雰囲気で、家父長らしい堂々さで勤務を始める。しかし、段々とそのハリボテのようなプライドはメキメキとヒビが入っていくように崩壊して、不自然さが台頭してきた。正気なのか、狂気なのか。善良なのか、凶悪なのか、観客も段々と混乱する。

 映画公開時にはそのプロセスの解釈が原作と異なったため、スティーヴン・キングからスタンリー・キューブリックに批判がなされたという。小説では比較的平易に描写できる頭の中の思考というのは、映画ではモノローグやテロップに頼ることになるため、「小説とは違うアプローチ」とも捉えられるような表現になったのだろう。

 ちなみに、ロケ地となっているスタンリー・ホテルはいまだ営業中とのこと。ただし、外観を含めてセットを建てて撮ったシーンも多いようなので完璧に同じではないが、コロナ禍も収束し自由に行き来ができるようになったため、映画を観た後に訪れてみてもいいかもしれない。

文=神保慶政

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