読むだけでセンスが良くなる本『センスの哲学』。ゴッホの絵や餃子の音楽性にまで言及する芸術論とは

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/4/5

センスの哲学
センスの哲学』(千葉雅也/文藝春秋)

「この人のツイート、センスいいわぁ」「私、家具を選ぶセンスないから」「あの人って高そうな服着てるけど、着こなしのセンスが悪いよね」

 ……といった形で、私達が日常会話で何気なく使っている「センス」という言葉。その定義は非常に曖昧で、基準も人それぞれだ。誰もが気軽に発するわりに、非常にとらえどころのない言葉だといえるだろう。

センスの哲学』(千葉雅也/文藝春秋)は、そんなセンスの定義を探求しながら「センスが良くなる方法」を探っていく内容。そして、「この本は『センスが良くなる本』です」とまで言い切っている凄い本だ。

advertisement

 そう聞くと「ハウツー本めいた内容なのか?」と感じるかもしれないが、本書の目指すセンスの良さは、「優等生的なセンスの良さ」「教科書的なセンスの良さ」とはかなり違う。というのも、本書では「センスとは、上手よりもヘタウマである」という定義が登場するからだ。

上手/下手の基準の外にあるヘタウマにこそ「センスの良さ」の秘密がある

 ヘタウマとは「上手」とも違うし「下手(ヘタ)」とも違うものだ(この言葉自体にピンと来ない人はGoogleで検索すると美術史的な解説も出てくるので読んでみてほしい)。

 著者が絵を描くことを例に定義するところでは、「ヘタ」というのは「モデルを再現しようとして不十分にしかできないこと」。分かりやすく言えば、実物そっくりに描こうとしているけど描けていない(実物に対して足りていない)状態だ。その逆に「上手」というのは「モデルをうまく再現できている状態」といえるだろう。

 一方の「ヘタウマ」は、「再現がメインではなく、自分自身の線の運動が先にある」絵のこと。そして「ヘタ」のようにモデルの再現が「足りていない」状態ではなく、むしろ「余っている」ようなズレがある絵のことだ。そして著者は、ヘタウマ的な「余り」をポジティブに捉えることこそが、センスの良さにつながると強調している。

 そこで実例として挙げられるのが、写真のような再現性の高さはなくとも、非常に個性的な味があるモネやゴッホの絵だ。「モネもゴッホも、言ってみればすべてヘタウマなわけです」という著者の言は、これまた思い切った言い切りだが、読んでいくと深く納得できる話だった。

 つまり、著者の定義する「センスの良さ」とは、「上手/ヘタ」の地平では捉えきれないものといえる。そして、「ゴッホが絵を描くセンス」や「ゴッホの絵を『いいな』と思えるセンス」こそが、著者の考える「センスの良さ」というわけだ。

「丁寧な生活はサスペンス」「餃子は音楽」

 本書は平易な言葉を使いながらも、実はかなりハードコアな“芸術論”を展開している本でもある。著者が哲学者の千葉雅也さんということもあり、フロイトやラカン、ベルクソンといった思想家の概念を参照し、現代アートの作品を例に取り上げながら、蓮實重彦による映画・文学の批評に近いアプローチで論が進められていく。

 また、あらゆる芸術ジャンルが、「リズム」や「ビート」といった音楽用語で解析されていく点も興味深い。この点は、ピアノが弾けるだけでなく、若い頃から美術作品を制作しており、哲学者としてデビュー後に小説作品も発表している(芥川賞候補作あり!)千葉さんならではの書きぶりで、非常に知的好奇心を刺激される書物になっている。

 そして「芸術」と「日常生活」を地続きのものとして論じているのも、本書の特徴の一つと言える。本書には「創作行為の根底には『選ぶ』ということがあります」という言葉も登場するが、「家具を選ぶセンス」と「絵を描くセンス」もつながっている……というのが著者の考え方だ。

 そんな視点から、われわれの日常生活にある身近なものも、芸術論的に分析・考察されていくところも非常に面白い。

 たとえば「丁寧な生活」とは「目標達成を遅延し、余分なサスペンスを楽しむこと」であり、「時間を掛けて、途中で展開されるリズムを味わうこと」である……という納得の深い分析が登場する。「餃子は音楽なんです」という強烈なパンチラインも登場する。

 そうした批評的な視点に触れることで、本書は「生活を芸術的に捉える方法」も理解することができ、その面白さも体感できる本となっているのだ。

 そして「センスが良くなること」を目指すことが、最終的に「個性の肯定」や「人間らしさの肯定」につながっていく点も非常に素晴らしい。

 ……といった形で筆者なりに「この本はどんな本なのか」をまとめてみたのだが、本書は「全体としてどうかよりも、部分を味わうことを優先する」「ものごとをリズムとして脱意味的に楽しむ」という提案をしている本でもある。

 千葉さんの文章の「うねり」や「ビート」を自ら体感することでしか得られない面白さがある本なので、興味をもった人はぜひ自身でも読んでみてほしい。

文=古澤誠一郎