【安部公房・生誕100周年】失踪者を捜索する探偵が、やがて自分を見失う不条理小説『燃えつきた地図』
公開日:2024/4/6
都会の喧騒にまみれていると、自分の輪郭がどんどん揺らいでいくのを感じる。自分は何者なのだろう。雑踏の中、無数の他人がそれぞれの道を進む中で、自分は何処に向かえば良いのだろうかと、立ちすくんでしまう。
そんな都会を生きる孤独を描き出したのが、安部公房による『燃えつきた地図(新潮文庫)』(安部公房/新潮社)だ。この物語では、探偵が失踪者を捜索する。そう聞くと、「ミステリー」を想像するだろうが、むしろ、この物語は、その対極にあるのではないだろうか。読めば読むほど、謎は深まり、胸の内にモヤモヤと不安が充満していく。そんな、道を失ったような気持ちにさせられる不条理小説だ。
ページをめくれば、物語はこんなエピグラフで始まる。
都会——閉ざされた無限。けっして迷うことのない迷路。すべての区画に、そっくり同じ番地がふられた、君だけの地図。だから君は、道を見失っても、迷うことは出来ないのだ。
続いて、《調査依頼書》が載せられ、とある団地につながる道の詳細な描写が描かれる。そのリアルな描写を読み進めている時は、まさかここが、不思議な世界への入り口だとは誰も気が付かないだろう。T興信所の有能な探偵である「ぼく」は、その団地に住む女性から、半年前に失踪した夫・根室洋を捜してほしいという依頼を受けた。だが、その女性の話はあいまいで、要領を得ない。失踪者の足取りを追ううちに、いくつかの事実は明らかになるが、その行方は杳として知れない。
現実感のある描写から始まったはずの物語は、どんどん現実味を失っていく。それは、まるで悪い夢を見ているかのよう。依頼人のアルコール中毒の女性、情報提供するようでかえって混乱させてくるその弟、虚言癖のある失踪者の元部下……。失踪者の関係者たちは、どの人物も胡散臭い。何だかぼんやりとしていて、肝心な情報がつかめない。いくら調べを進めても、キーになる何かにたどり着いた気になっても、それはすぐに失われる。そのことに、徒労感を感じずにはいられないし、ソワソワと落ち着かない気分にさせられる。
そして、調査を進めていくうちに、「ぼく」は、「調査中の『彼』が、自分の影と、ぴったり重なり合ったような気」がしてくるのだ。自分を見つめるほど、見えてくるのは、空虚ばかり。やがて、「ぼく」は、自分自身さえ見失っていく。見慣れたはずの風景が分からなくなるということに、こんなにもゾッとさせられるだなんて。失踪者を追っていたはずの「ぼく」は、追われる側になる。ミイラ取りがミイラになるそのさまには、思わず、息を飲む。恐怖さえ感じさせられるのだ。いつの日か、自分も、「ぼく」のようになってしまうのではないだろうか。いつの日か、自分も、ふと、失踪したくなる日が来るのでは、と考えずにはいられない。
これは、安部公房だからこそ描けた物語だろう。都市を生きることの孤独。普段の生活の中で、ぼんやり感じる寂しさや違和感を、この物語は、苦しいほどに炙り出してくれる。メビウスの輪のような、謎めいたクライマックスも一読の価値あり。安部公房、生誕100周年である今年、あなたも、この物語の織りなす、もの悲しくも不気味な世界を是非とも体感してみてほしい。
文=アサトーミナミ