夫にだけ暴力や暴言を止められず、キレ散らかした後は自己嫌悪。自分と向き合い負のループから抜け出すまで
公開日:2024/6/19
アンガーマネジメント、という言葉がある。自分の中に湧き上がる怒りをコントロールして、円滑な生活や人間関係を手に入れよう、という話だが、人によっては「そんな簡単にできれば誰も苦労はしない!」と、さらにそれで余計なムカムカを溜め込んでしまう人もいるのではないだろうか。
そんなアンガーマネジメントの方法のひとつとして有名なのが、「怒りのピークである6秒間をやり過ごす」という6秒ルールである。しかし怒りで頭に血がのぼっている時に、そんな冷静な方法を思い出せるはずもなく。半ば反射で大声や、手・足などの暴力が出る。物を投げる。そんな乱暴な行動の後に、自分の荒っぽさを後悔する…。自分でもどうしようもない「怒り」を抱えがちな人にぜひ触れて欲しいのが、『キレる私をやめたい ~夫をグーで殴る妻をやめるまで~』(田房永子/竹書房)だ。
本コミックエッセイの著者の悩みは、自分の夫へ過剰なまでの「怒り」をぶつけてしまうことである。
普段はどちらかといえば温厚で、荒っぽいことも好きではない性格。しかし時々夫に対して無性に腹が立つと、手に負えない獣が暴れるように夫に対して怒りをぶつけてしまう。
暴言や大声、泣き喚く。物に当たる。自暴自棄になって家から飛び出す。相手に暴力をふるう。いわゆるDVと呼ばれる行為は男性から女性に向けてのものが話題にのぼることが多い。しかし、本書のように女性から男性へ向けた暴力行為も、立派なDVのケースのひとつである。
とはいえ著者自身も、怒りでわけがわからなくなる自分に対して「嫌だ」「こんなふるまいを止めたい」とも思っている。思ってはいるがそう簡単に自分の挙動は止められず、「どうしてこうなってしまうのか」と悪循環の思考サイクルに囚われる日々。
著者も触れているように、いわゆる女性の暴力的ヒステリーを理論や体系立てて改善・治療するためのノウハウは、これだけ情報が溢れている今でも非常に少ない。
ヒステリックな己の一面を治そうと様々なことに挑戦する中、出会ったのが「ゲシュタルトセラピー」だった。「ゲシュタルトセラピー」を通して、己を客観視する方法を知っていく。過去の母親との関係から、自身のキレやすい一面に気づいた著者。昔の母親とのやりとりを一人二役でこなすことで、これまで上手に自覚できていなかった自分の心に気づき、衝動的な怒りを少しずつコントロールする術を手に入れるのである。
怒りの制御に留まらず、自分で自分の心にきちんと耳を傾け、自分の気持ちや思考を正しく把握すること。これは感情のコントロールや、引いては自分が「生きやすく」生きるために、とても重要なことだとも言える。
喜び、怒り、嬉しさ、悲しみ。喜怒哀楽と呼ばれる様々な感情は、人それぞれの中にあるある程度形式の決まったトリガーがきっかけで引き起こされる。自分が何をすると嬉しく、楽しくなるのか。誰といる時に怒りを感じることが多いのか。どういった時に悲しくなるのか。セラピーに通い続ける中で、著者はそんな自分の感情・行動パターンに気づいていく。
もちろんそれがすべてではないかもしれない。けれど多少なりとも傾向と対策が掴めれば、何を根拠に自分でも前後不覚になるほど怒りに支配されるのか。何をしている時に自分の気分が落ち込んでしまうのか。事前にそういったマイナスに陥る自分を、回避できるかもしれないのである。
重ねて言えば、それは自分1人で見つけるのは難しいかもしれない。
自分が人と違うところ、自分だけが持つ特徴やポイントは、結局他の誰かと比較することでしか気づけない。自分ではおかしいと思っていたことを他者から「別に普通だよ」と思われることもあれば、まったく違和感のないことを「それはおかしい」と言われることもある。
自分1人の中で凝り固まっていた常識。それを崩してくれるのもまた、自分では気づけない他人からの視点なのだろう。
本著にはコントロールできない怒りを制御するための、具体的な行動や思考についても記されている。
が、これはあくまで著者の場合には有効であっただけの話。あなたが抱える問題に対しては、もしかしたらまったく別のアプローチが有効な手段になるかもしれない。とはいえ、こうしてキレる癖を改善した著者の姿は、同じように「キレる自分」を治したいという人にとって、ある希望ともなるのではないだろうか。
コントロールできない怒りで大事な人を傷つけ、そして自分自身もボロボロに傷ついてしまう前に、コミックエッセイという手軽な作品で、その改善の入口を見つけてみて欲しい。