作家・柚木麻子がガチでラーメンを作ると、頑固店主に変貌してしまった? その結果、辿り着いた新たな視点とは?〈インタビュー〉
公開日:2024/4/10
柚木麻子さんの最新作『あいにくあんたのためじゃない』は、他人から一方的にレッテルを貼られ、理不尽な思いをさせられる現実に反逆し、「自分」をとりもどす人たちを描いた短篇集。「女人禁制」の食べ物・ラーメンを描くため、スープや麺まで手作りし、こだわりの頑固店主に変貌してしまった柚木さんが得た新たな視点とは? コロナ禍を通じて得た体感とは。小説と同じくらいパワフルな、柚木さんの創作の源についてうかがいました!
――本書の初めに収録されている「めんや 批評家おことわり」は、SNSで炎上して仕事が激減したラーメン評論家・佐橋が、謝罪し、かつて出禁となった人気ラーメン店を再訪するというお話です。
柚木麻子(以下、柚木):雑誌『エトセトラ』の「NO MORE 女人禁制!」特集に寄せて書いた小説です。女人禁制の歴史をひもときながら、女性を排斥する文化の背景を探るというまじめな特集だったんですが、なぜか私は「食べ物ネタで」と指定された。どうしようかなと考えていたときに、ふと、ラーメンって男性のものであるというイメージが強いなと思ったんですよね。当時、ラーメン評論家の言動やラーメン屋さんにまつわるあれこれがSNSで炎上することが多くて、そこにはやはり、マッチョな世界観が影響しているのではないかとも思った。老いも若きも、男も女も、みんな好きな食べ物であるはずなのになぜだろう……と、まずは自分でラーメンをつくってみることにしたんです。
――それはもちろん、インスタントなどではなく。
柚木:ラーメンの専門書を集め、寸胴鍋を買ってきて、見よう見まねでスープをつくってみるところから始めました。麺は買ってきたものだったけど、煮卵くらいはつくったかな。そうしたら、子どもにも友達にもめちゃくちゃ好評だったんですよね。もともと料理は好きでふるまうことも多かったんですが、こんなに喜ばれたのは初めて。みんな、ラーメンは好きだけど、子ども連れだとお店に行くのは躊躇する。家のなかで、こぼしたり汚したりするのを気にせず、ゆっくりラーメンを食べられるのが嬉しかったみたいなんですよ。それで私、すごくやる気が出ちゃって、麺を打ち、スープを改良し、メンマ以外はすべて手作りできるようになって。
――すごい。
柚木:おもしろいもので、ラーメンって語りたくなる何かがあるみたいなんですよ。評判が評判を呼び、テレビ局のディレクターとか、アイドル好きを通じて出会った芸能のお仕事をされている方とか、いろんな人が私のラーメンを食べてくれるようになって。「このスープはあの店に似ている」「今はこういう味が流行」なんて情報もどんどん集まってきた。そうなるとますます私のラーメンもアップデートされていき、4カ月がたったころに何が起きたかというと、私自身がものすごく頑固で威圧的なラーメン屋の店主みたいになっちゃったんです。
――ポスターで、いかつい顔して腕を組んでいるような。
柚木:そうそう。スープを残そうもんなら「なんで残した?」って見ちゃうし、「おう、うまいか?」って食べている人を眺めながら圧をかける。ラーメンは、魔物ですよ。こうなると、つくりはじめる前に想定していた「男性の中にあるミソジニーが女性を排斥し、ただの食べ物でしかないラーメンを男性のものにしてしまった」みたいな結論で小説は書けないですよね。だって、私自身がいつのまにか、憎んでいたはずのものと同一化してしまっていたんですから。
――なぜ、そんなふうになっちゃったんでしょう。
柚木:人の上に立ちたいという気持ちは、男女関係なく誰もが持ち合わせているんでしょうね。チャンスがないから蓋をしているだけのことで、スイッチが入れば人に褒められたい、語りたいという欲が発動して、王様になろうとしてしまう。それは私も例外ではないのだと身をもって知ったあとでは、小説に対する向き合い方が変わりました。これまでの私は、女性同士の連帯や食べ物など、自分が好きなものを深掘りして、取材を重ねて小説に落とし込んできた。そのぶん、興味のない対象は、『若草物語』のお父さんみたいに最初から存在しないもののように扱ってきた。でももし、口うるさくてマッチョなラーメン評論家やおこりんぼうな店主といった、自分が苦手で嫌いな存在に対する解像度も上げることができれば、もっと小説の幅が広がるのではないかと。
――それで、今作では佐橋の視点で、小説を書いたのでしょうか。彼にひどい目に遭わされた人たちではなく。
柚木:そういうことです。ラーメン作りで参考にしたものに、伊丹十三の『タンポポ』という映画があるのですが、この作品に限らず、伊丹十三が描く「敵」は、解像度が非常に高いんですよね。『マルサの女』にしても、税金をとりたてる側の心情・事情だけでなく、税金を隠す悪人たちの右往左往がものすごくみっともなく、リアリティをもって描かれるから、おもしろいんです。
――たしかに。佐橋の視点で、自分は悪くないという理由が切々と描かれるから、ちょっと感情移入もしちゃいました。だからこそ、後半で彼の視点がひっくりかえされる展開が、胸に響きます。
柚木:決して「この人にも理由があるから許そうね」ということではないんです。ただ、主張を通すためにはまず敵を知らなくてはならないのだと、先日お亡くなりになったユニセフの前会長である赤松良子先生もおっしゃっていました。小説『らんたん』を読んで、私に会ってみたいとコンタクトをとってくださったのが縁で、お付き合いさせていただいていたんですが、赤松先生が男女雇用機会均等法を成立させるために何をしたか、というお話がまあ、おもしろくて。たとえば、保守派の議員は、一度でも食事に行った相手のことは悪く言わない、「あいつはああ見えてわかってる奴だよ」なんてほだされるという特性を突いて、敵であるはずの議員との会食を重ねて、根回しをしたというんです。
私もそうですが、エンタメにおいては、ついつい記号的な悪として敵が描かれてしまいがち。これまで自分もしていた、嫌いな価値観を遠ざけ、ただ否定・拒絶するだけで終わるのでは、ダメだって気づいたんです。自分にもそういう部分があるとか、こうすれば変われるという視点がないと。でも、敵を研究し知りぬくことが赤松先生の強みであったように私も敵の解像度を上げることができれば、これは小説家として強力な武器になると改めて思いました。
――その視点を持って、「めんや 批評家おことわり」を書いてみて、何がこれまでと違いましたか。
柚木:最初はもっと、佐橋をけちょんけちょんにやっつけてやるつもりだったんですよね。でも、佐橋みたいに、男社会で評価されないタイプの人間が、ラーメンを語りはじめた瞬間、みんなが耳を傾けてくれて、評価してくれるどころか、ときには感謝してくれるというのは、ものすごく快感だっただろうなあ、と思います。同時に、自分の居場所であるラーメン文化にそぐわない人たちは、邪魔に見えてきてしまったのだろうな、と。子連れの母親や若い女性が業界に参入し、ラーメンが開かれた存在になっていくことで、自分の取り分が減ってしまう危機感を覚えた。根っからの嫌な奴だったわけではなく、その焦りと不安が他者を攻撃し、排斥する行動に繋がったのだろうと思ったら……同情するわけではないけど、納得がいきました。攻撃されることに対する恐怖も、和らぎますよね。
――その焦りと不安を、これまで以上に解像度高く描かれたからか、ラストは佐橋自身をも解放するようなラストになっていますよね。本書で、「めんや」以降に書かれたのはラストに収録された「スター誕生」だけですが、こちらも似た印象を受けました。
柚木:例えば失言を繰り返す政治家、被害者ムーブで知らず知らずに差別する人たちは、その裏で私たちの抱える何百倍もの不安を抱えている、変わりゆく流れについていけなくて苛立っているのだ、と思うと、ちょっと冷静になれますよね。ラベリングされ、いいように扱われることに、ずっと怒りや悲しみをいだいていたし、自分も若い頃はそうやって他者を踏んづけてきたよなあ、でもそうは言ってもNOを言わなきゃとか、ずっとぐるぐる考えてきたのですが、ちょっと冷静になってみれば、余裕があるのはむしろ私たちなのかもしれない、という視点を手に入れたことは大きな経験でした。「スター誕生」も、崖っぷち元アイドルが起死回生をはかって、SNSでバズった一般人の主婦を利用しようとする話ですが、誰かを利用しようとしている時点で、一人ではどうにもならない状況に追い込まれているってことじゃないですか。
――一般人の人気にすがらなければならないほど、人気が低迷しているということですもんね。
柚木:作家あるあるなのかもしれませんが、こういうことはよくあります。たとえば媒体に、女性の運動の歴史とか最近読んで面白かったシスターフッドがテーマの文学とかハラスメントをなくす方法について、好きに語ってください、と呼ばれて、喜んで引き受けますよね。でも出来上がった誌面を開いてみれば、私の何百倍も知名度がある有名人の「行きすぎたポリコレがキャンセルカルチャーを生む、芸術を殺す」「女性の連帯ブームが疑問」みたいな意見も取り上げられて、なんだか私が極端な思想側で、そうか、まあいろいろな考えはあるけど、バランスが大事だよね、みたいに感じられる作りになってるんですよ。
――そんなことあるんですか。
柚木:珍しいことじゃないですよ。「いろんな意見を載せることで、読者さんに議論のきっかけを与えたい」なんて姿勢で組まれた企画は要注意です。「あなたの考え方に賛同しているので、その方向性でお話しいただける人を集めました」っていうならいいけれど、両論併記って言われたときは全力で逃げろと、若手の作家たちにも伝えています。保守的なことを主張したいけれど一方的だと思われたくない、自分たちはちゃんとわかっているんだぞと言いたいときのガス抜きとして利用されてしまうから。テレビで言うなら、田嶋陽子さんはずっとそういう扱われ方をしてきたわけですよね。
――ああ……ヒステリーを起こしている、これだから女は、みたいな印象を植えつけられて、反対の意見に誘導するやつですね。
柚木:以前は、頑張って話したインタビューがガス抜きおよびすごいトンチキ扱いされていることが恥ずかしくて、嫌で嫌で仕方なくて、なんにも言ってないに等しいような無難な回答ばかりしていた時期もありました。だけど、ふと思ったんです。私なんかにとりあえず声をかけなきゃいけないような、媒体も媒体で追い詰められているのかもしれない。盤石に評価されているようで、実は人気が下がっているんじゃないか。価値観が古いとか叩かれることも増えているんじゃないか。既存のファンも残しつつ新しいファンも獲得するにはどうすればいいか、試行錯誤している最中なのかもしれない。
だとしたら……と冷静になって調べてみると、意外と失態をおかしていたり、ボロが出てきたりするんですよね。であれば、ですよ。媒体側の焦りを突いて提案し、こちらの要求を通すこともできるじゃないですか。
――赤松先生方式ですね。
柚木:そうです。友達になるわけじゃないけど、交渉の土俵にあがって、ちょっと押し勝つこともできる。他人にナメた態度をとられたとき、たいていは「自分はその程度の存在なんだ」と卑下してしまうし「なんで言い返せなかったんだろう」と悔しくもなる。でも、自分の落ち度を責めるより、「私みたいな下っ端をつかまえて、こんなことをわざわざ言ってくるということは……?」と相手の真意をさぐりながら戦うすべを、年を重ねてできるようになってきました。その実感もまた「スター誕生」にはこめています。
――本書に収録されている小説で、「めんや」以前に書かれたものは、コロナ禍を反映したものが多いですね。
柚木:何があっても友達とわかちあえれば大丈夫、おいしいごはんを食べに行けば元気が出る、という私にとって、家から出ることができず、誰とも会うことができなくなったコロナ禍は、エポックな出来事だったんですよね。Zoomを使いこなしてオンライン飲み会をし、もはや誰も利用していないClubhouseという音声SNSで、日々しゃべりたおしていたんですけど、Clubhouseって本来は人と交流する場なんですよね。誰も使い方を知らないから、全然、知らなかったんです。
――じゃあ、お一人でずっと、しゃべっていたんですか。
柚木:そうです。そうするうちに、一人、二人、と聴衆が増えて、気づけば200人くらいを相手に毎日1時間くらいトークしていました。で、あるとき、聴衆の一人に言われたんです。「どうしていつも一人でしゃべってるんですか?」って。どうやら、何か確固たる意志をもって一人語りをしていると思われていたようで……。それからはSNSを駆使して、ドイツなどの遠い地にも友達ができ、遠隔で会ったこともない人たちに助けられたり、逆に助けたりみたいなことをするうちに、学生時代の友達がコロナ禍ゆえに誰にも頼らず1人で出産するということを知って。たまたま、彼女と私の母親の住んでいるところが近くて、「なにか買って向かわせようか?」なんて言ったりして。
――まさに小説「トリアージ2020」と同じ展開ですね。
柚木:実際は実現しなかったんですけど、思いつきとしておもしろいな、って。「パティオ8」は、コロナ禍で在宅勤務になったがゆえに、中庭で子どもを遊ばせることにクレームをつける住人に対し、他の住人たちが結託してやりこめてやろうとするお話ですが、実際、似たような問題が起きたという話を聞いたことがあって。そいつの商談を奪ってやればいいんじゃないか、と怒りにまかせて思いついたことを、物語にしてみました。
――小説だけでなく、物語が生まれる背景もすごくパワフルですよね。理不尽を強いられることに対する怒りや、誰かを助けたいという想いで、現実を動かしていくパワフルさに、読む人はみんな救われるような気持ちになるんだと思います。でも、短期的に手を差し伸べることが、決してその人のためになるわけではないということも書かれていて……。
柚木:私自身が、すぐに力技で一瞬で解決してしまいたくなる人間なんです。たとえばコロナ禍で困窮している友達が、今すぐにでも笑顔になるためにはどうしたらいいのか、お金で解決できることなら私が出す!ってやっちゃいそうになる。でも、人生をひっくりかえせるような大金を提供できるならともかく、その場しのぎの善意は、相手をかえって疲弊させたり、絶望させたりすることにもなりかねない。
――『BAKESHOP MIRAY’s』がまさにそういうお話でした。さびれた商店街から抜け出したいと願う若い未怜の、ベイクショップを開きたいという夢を、都会から来た年上の秀実がアドバイスし、そこそこの値段のベーカリーをプレゼントしてしまったことで、関係がいびつになってしまうという……。
柚木:他人にラベリングされるつらさは私も十分知っているはずなのに、ついつい、私もやってしまう。こんなにいい子なんだから、今は困窮していても頑張れば抜け出せるはずだ、きっといい方に向かっていくはずだ、と思い込みを押しつけてしまうんです。そもそも困窮している人は心も疲弊していて、チャンスがあるからといって飛びつくだけの気力がない。大事なのは、たとえば津村記久子さんの『水車小屋のネネ』で描かれていたように、お金ではないところで、長期的に寄り添うために何ができるのかを考えなくてはいけないのに……。
――『オール・ノット』でも、同じテーマが描かれていましたよね。
柚木:まさに、この作品は『オール・ノット』の前日譚。どうすれば秀実は未怜を救うことができたのか、ということをとことん考えた結果、あの物語が新たに生まれました。そして、今作でも描いていることですが、仮にサポートが思うようにいかなかったとしても、無意味なわけじゃないという気持ちもあって。そのサポートをきっかけに別の縁や助けが舞い込んできたり、ギリギリで踏みとどまれるものがあったり、何かに繋がるのではないかということも描きたかった。
――それも、読んでいて救われる部分でした。安易に手を差し伸べたことで、たとえ相手との縁が切れてしまったとしても、そういう手助けの積み重ねで、物事はよくなっていくはずだと信じたいな、と。
柚木:安易なサポートで失敗、ということは、誰しも覚えがあると思うんですが、それを責める風潮も良くないと思うんです。女性支援の批判のされかたを歴史的に見ても思うのですが、性的なつながりも血縁関係もないのに、女性が自分より困窮している女性をサポートする状況って、今の社会を変えたくない人にとって一つの恐怖でもあるんじゃないでしょうか? 秀実の行動を、商店街のおじさんたちが責めたのも、善意だけで女性同士が繋がっていくことに、なんらかの脅威を感じるからなのではないかと。秀実の行動は突飛だし、正しいとは言えないかもしれないけれど、彼女のように気軽に若い女の子を助けようとすることが、もっと当たり前になっていけばいいなと思います。
――「商店街マダムショップは何故潰れないのか?」も、マダムたちがひそかに街と女性たちを守っているというお話でしたね。まさかの展開でした。
柚木:昔から不思議だったんですよね、商店街にあるマダムショップは、客が入っているようにも見えないのに、いったいどうして成り立っているのか。コロナ禍を過ぎても、ほとんど潰れていなかったんですよ。調査した結果わかったのは、要するに、資産家の税金対策でかまえられたお店なんですよね。輸入雑貨店が多いのは、買い付けに行くといって海外旅行もできるから。観察していると、マダムショップのマダムって、いっつも梱包作業しているんですよ。それも、似たような境遇のお友達と商品のやりとりをしているからで、一般の客なんて求めていないんです。なので、私みたいなのが店に入ると、100パーセントびっくりされます。なんなら、ものすごく不安そうな顔で、はやく帰ってくれないかなという様子で見守られる。
――本作の描写にもありましたが、実際に体験されたんですね(笑)。
柚木:しました。商品も、買いました。「領収書ください」って言うとますますぎょっとしていました。そんなこと、言われたことないんでしょうね。そんなマダムの裏の顔を、妄想全開で書いたのがこの小説です。
――敵の解像度を上げる、という発見以前の、柚木さんが本当に好きなものを全身全霊をかけて書いた、真骨頂だなと思いました。
柚木:ありがとうございます。「商店街マダムショップ~」にも理不尽な目に遭う女性がいろいろと出てきますが、敵の解像度を上げてみてわかったのは、セクハラやパワハラをしてしまう人って、目の前にいる人が自分のために存在していると勘違いしてしまうんですよね。だから、いやな思いをしたときに、自分の落ち度を責める前に「ああこいつ、焦ってんな。将来に不安を感じてどんづまりなんだな」って一度冷静になることも大事だし、「あいにくあんたのため(に私は存在しているわけ)じゃない」って言葉を呪文に、自分を守っていただきたいなと思います。
取材・文=立花もも、撮影=後藤利江