紫式部『源氏物語 十七帖 絵合』あらすじ紹介。長年のライバルと対決! 権力をめぐる父親たちの負けられない戦い
公開日:2024/4/8
平安時代の王朝文学である『源氏物語』は、教科書に掲載される有名な文学作品です。しかし、古文で書かれていることや長編であることから、全文を読んだことがある人は少ないかもしれません。全体のあらすじを知りたいという方のために一章ずつ簡潔にあらすじをまとめました。今回は、第17章「絵合(えあわせ)」をご紹介します。
『源氏物語 絵合』の作品解説
『源氏物語』とは1000年以上前に紫式部によって書かれた長編小説です。作品の魅力は、なんといっても光源氏の数々のロマンス。年の近い継母や人妻、恋焦がれる人に似た少女など、様々な女性を相手に時に切なく、時に色っぽく物語が展開されます。ですが、そこにあるのは単なる男女の恋の情事にとどまらず、登場人物の複雑な心の葛藤や因果応報の戒め、人生の儚さです。それらが美しい文章で紡がれていることが、『源氏物語』が時代を超えて今なお世界中で読まれる所以なのでしょう。
「絵合」とは、平安時代に流行した遊びの一つで、競い合う人物が左右に分かれて互いに絵を出し合い、判者が優劣の判定をするものです。この章では、絵を好む冷泉帝の前で、斎宮女御(源氏の養女)と弘徽殿女御(権中納言の娘)が持ち寄った絵の優劣を競います。帝の寵愛を懸けた戦いの裏には、源氏と権中納言の存在があります。権中納言は、以前の頭中将で源氏の親友でありライバルで、女性を巡っての小競り合いはお決まりとなっていますが、今回は政治生命を左右する戦いです。娘を勝たせるために熱くなる権中納言に呆れながらも密かに本気を出す源氏のやり取りが面白い章段です。
これまでのあらすじ
須磨から都へ戻った源氏は、華々しく政界復帰を果たした。朱雀帝が譲位し、冷泉帝(故桐壺院と藤壺の子となっているが、実の父は源氏)が即位し、ますます源氏の権勢は強まった。帝の交代に伴い、伊勢の斎宮を務めていた六条御息所の娘が帰京するが、間もなく御息所は急死する。御息所は色っぽい話には巻き込まないようにと念を押した上で前斎宮の世話を源氏に託すが、源氏は美しいと聞く前斎宮に関心を寄せていた。そして、以前から前斎宮に好意を寄せる朱雀院の思いを知りながら、冷泉帝への入内を画策する。
妻・紫の上は源氏との再会を喜ぶが、明石の君との間に生まれた姫君の誕生を知り嫉妬する。源氏は内大臣となり以前のように恋人のもとへ通うことも軽々しくできなくなっていたが、荒れ果てた邸で暮らす末摘花と再会し彼女の純真さに心を打たれ、援助を約束する。また、若かりし頃に一度強引に関係を持った空蝉と久しぶりに手紙のやり取りをする。以前は源氏を強く拒絶した空蝉だが、源氏への思いに心が揺れた。
『源氏物語 絵合』の主な登場人物
光源氏:31歳。須磨から都へ戻ると内大臣に昇格し、権勢を誇る。
朱雀院:34歳。冷泉帝に譲位。源氏の腹違いの兄。
冷泉帝:13歳。故桐壺院の皇子として即位。実は桐壺と源氏の不義の子。
斎宮女御(さいぐうのにょうご):22歳。故六条御息所の娘で、前斎宮。冷泉帝の後宮に入内。
弘徽殿女御(こきでんのにょうご):14歳。権中納言の娘。斎宮女御より先に入内していた。朱雀院の母とは別人。
権中納言(ごんちゅうなごん):以前の頭中将(とうのちゅうじょう)。源氏の親友でありライバル。
『源氏物語 絵合』のあらすじ
故六条御息所の娘・前斎宮は源氏の養女となり、冷泉帝の母である藤壺の熱心な後押しにより入内(冷泉帝の妃として後宮に入ること)が決まった。以前から前斎宮に好意を寄せていた朱雀院は、前斎宮の入内を惜しみ手紙と数々の贈り物を贈った。源氏は朱雀院の長年の思いを知っていただけに、気の毒に思い前斎宮に手紙の返事を書くように促した。
冷泉帝は女御の華奢で奥ゆかしい様子を気に入って、先に入内していた弘徽殿女御と同じように斎宮女御とも夜を過ごしたが、日中は年の近い弘徽殿女御と子供っぽい遊びをして過ごすことが多かった。当初は距離があった冷泉帝と斎宮女御だが、絵を好む帝と絵を上手く描く斎宮女御は次第に親しくなっていった。
弘徽殿女御の父である権中納言は、このことに対抗心を燃やし今風の目新しい作風の絵などを集めて帝を楽しませた。源氏方でも、斎宮女御がのびのびと描いた絵を始め、由緒ある昔物語の絵などを紫の上と共に選定していった。その中には、源氏が須磨で描いたものがあり、この時初めてその見事な絵を見た紫の上は、当時を思いだし源氏とふたりで涙した。
宮中は絵の話題で持ちきりとなり、藤壺が物語絵の論評の優劣を競う絵合を催したが勝負はつかない。同じ勝負なら帝の前で決着をつけようという源氏の一言で、源氏方(斎宮女御)と権中納言方(弘徽殿女御)の左右に分かれて帝の前で絵合が行われた。判定は源氏の異母弟である帥の宮(そちのみや)が行ったが、それぞれが揃えた作品を前に勝負は拮抗した。これで最後の一番というところで、源氏が自ら須磨で描いた絵が披露された。一同はその見事な作品に涙し、勝負は源氏方の勝利で決した。
栄華を誇る源氏であったが、この頃からいつか出家をする日のことを思い、静かな山里に御堂の建立を始めた。