父権社会の拷問器具「コルセット」を静かに淡々と描写する恐ろしさ。「北斗賞」を受賞した佐々木紺の第一句集
公開日:2024/4/14
静かな俳句である。遠くの灯台の光を眺めるように、虫メガネで手元を拡大するように、丁寧に、静かに、日常が語られる。
佐々木紺の第一句集『平面と立体』(文學の森)は、第十三回「北斗賞」を受賞し出版された。「北斗賞」は、俳句の未来を開く若い俳人を輩出することを目的とした賞である。40歳までの俳人を対象に作品150句を募集し、第13回は40篇の応募があったという。『平面と立体』は6章から成る。最初の句はこのようなものである。
忘れゆくはやさで淡雪が乾く
Ⅰ「おぼえて、わすれる」
なめらかで、優しい手触りのする導入である。淡雪が乾く、その瞬間に私が忘れてしまうのはどのような光景だろうか。
街欠けてゆき紫陽花に置き換はる
Ⅱ「平面と立体」
一章とは少し雰囲気が変わり、章タイトルが指すように「こちら側に図形が飛び出る」ような構造をしている。手の込んだ丁寧な句が並ぶ。
ここまで第一章、第二章と続けて読み、続く第三章に入って、読者は句の密度が変わったことに気づく。「なめらか」「丁寧」だった句とは、明らかに手触りが違うのだ。第三章「夢を剥がす」では、句の配置に上下の差をつけ、視覚的にも楽しい章になっている。
逃げてきてまたあやとりの果ての川
蠟梅のほころび下まつげが長い
Ⅲ「夢を剥がす」
佐々木は2014年に「BL俳句」を知って俳句を始めたという。だからだろうか、「夢を剥がす」は全体を通していわゆる「BL読み」をすることができる。そこはかとなく官能の気配がするのだ。
白菊の家族であれば隠さねば
遠き夜の父を弑する窓の雪
Ⅳ「コルセット」
父権社会の拷問器具としての「コルセット」。それを指差し、叫んで主張するのではなく、佐々木はただ淡々と描写している。そのほうが恐ろしく感じる章である。
本稿の一行目を繰り返そう。佐々木の俳句は静かである。もちろん主張したいことはある。表現したいこともある。けれど、それをそのまま投げつけるのではなく、いったん引き取って、整えて、こちら側にそっと手渡してくる。絢爛な装飾はない。ただ我々も知る「日常」が静かに置かれているのだ。
あとがきには、佐々木のこのような言葉がある。
〈本当は全部、すみずみまで鮮やかに覚えていたいし、なにも残らなくなるまで忘れてしまいたいのです。俳句をつくるときはいつもどこかでそう思っています。〉
これから佐々木の灯台が照らす先は、虫メガネを通して発見した景色は、どのようなものだろうか。まずは目の前に置かれた『平面と立体』を味わうことで、俳人としての門出を祝いたい。
文=高松霞