バレエを踊ること、観ることで人生を祝福してもらえる感覚になる『spring』恩田陸インタビュー
公開日:2024/4/7
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2024年5月号からの転載です。
『チョコレートコスモス』では演劇、『蜜蜂と遠雷』では音楽(ピアノ)。小説家の恩田陸は、人間が身体を駆使して行うライブ芸術の魅力や魔力と、真正面から向き合う長編作品を約10年に一度のペースで発表してきた。その最新のトライアルとなる長編『spring』の題材は、バレエだ。
取材・文=吉田大助 写真=冨永智子
「舞台鑑賞は趣味なんですが、これまでは演劇がメインで、バレエを観るようになったのはここ10年ぐらいです。ミュージカルから入っていってコンテンポラリーを観るようになり、最後にクラシックバレエに辿り着いたんです。ちょうどその頃、編集の方から“次はバレエの小説はどうですか?”と声をかけていただきました。確かに、演劇、音楽と書いてきてさらにもう一つハードルを上げるとしたらバレエかな、と。書くのが難しいだろうと思ったからこそ選んだんですが……大変でした」
演出振付家、舞踊家の金森穣へのインタビューが、最初の取材となった。
「金森さんは理論家で、ダンスについての言葉をたくさん持っている方です。振り付けの仕方だったり、一つの舞台をどんなふうに作るかについては詳しくお話を伺えたんですが、“踊っている時のことは言語化できないんですよね”と。だったら小説にするのは無理じゃん、と一瞬諦めかけました(笑)。でも、言語化できないものを言語化するのが、作家という商売。やるしかない、と腹を括った瞬間でもあったんです」
主人公の成長物語ではなくバレエの世界の話を書く
「専門用語は極力、使わない。バレエを観たことない人でもわかりやすいように、イメージが浮かぶようにと心掛けて書いていきました」
小説は全4章で、章ごとに語り手が変わる構成だ。物語の中心にいるのは、天才バレエダンサーにして天才振付家・萬春(よろず・はる)。
「彼の名前は『春の祭典』(*ストラヴィンスキー作曲、ニジンスキー振り付けで1913年に初演されたバレエ界の不朽の名作)から取ったんですが、英語のspringには春以外にもいろいろな意味がありますよね。例えば、跳ねる、芽吹く、湧き出す。それらを各章のタイトルにして、それぞれの動詞に合うようなお話を書いていこうと決めました」
第1章「Ⅰ 跳ねる」の語り手は、中学3年生の深津純だ。ドイツの有名ダンスカンパニーが日本で開催したワークショップで、のちに同級生であると判明する春と出会う場面から物語は始まる。〈違和感と渾然一体になった存在感〉。語り手自身も同世代の男性バレエダンサーの中では抜きん出た才能の持ち主であるからこそ、春との違いが際立つ。クラシックバレエとコンテンポラリーの違いについて講師から問われた時、春が選んだ言葉も極めて個性的だ。
「“クラシックバレエは花束で、コンテンポラリーは樹木だ”と答えるんですが、確かに彼ならそう考えるだろうなぁという不思議な納得がありました。小説を書きながら、私自身も春という人間について少しずつ理解していく感覚があったんです」
純と春は15歳で渡独し、現地のバレエ学校へ進学。同じダンスカンパニーの所属となり、ともに第一線で活躍し始める。二人の特別な絆が描き出されていった先に現れるのは、春が振り付け、二人で踊った作品『ヤヌス』。
恩田が過去に演劇や音楽を題材にした際は、少年マンガの異能バトルものを思わせるトーナメント・バトル形式が採用されていた。しかし、今回はだいぶ様子が違う。
「バレエを題材にしたお話の王道は、主人公のダンサーがライバルと出会って、大きなコンテストで戦って……という展開だと思うんですが、そういった成長物語を書くつもりはなかったんですよね。だから、春をダンサー兼振付家にしたんです。振付家はダンサーであったり舞台関係者たちと、密にコミュニケーションしなければ成り立たない仕事です。関係性が描けるんですよ。春という存在を通して、バレエという世界の話を書きたかったんです」
バレエという世界の住人には、鑑賞者も含まれる。第2章「Ⅱ 芽吹く」の語り手は、春の叔父・稔だ。大学講師でバレエ経験は皆無だが、春の踊りに魅了され、自分なりの解釈を施してきた。そして、春の内面の宇宙を豊かにする役を担った。
「天才と呼ばれるもの以外の、いろいろな種類の才能について書いてみたかったんです。例えば、春のバレエ教室の先生は、ダンサーとしての天才的な能力はなかったけれども、バレエを教える才能があった。稔の場合は鑑賞する能力があり、教養的な面で春のバレエに影響を与えている。それも、ひとつの才能ですよね」
本作はバレエの話ではあるけれど、バレエだけの話ではない。人と人との繋がり、そこで現れる相互作用について描かれた物語でもあるのだ。
観客の代わりに踊ってくれている
第3章「Ⅲ 湧き出す」では、作曲家の滝澤七瀬を語り手に据えた。
「バレエにとって音楽は本当に大きい存在なので、作曲家からのアプローチを書いてみようと思いました。調べてみると振付と音楽、振付家と作曲家の関係って、それこそ作品単位で全然違うんです。春と七瀬は駆け出しの頃からタッグを組んで、ともに成長してきたからこそ、わがままも言えるし無理も言える。二人が全幕もののバレエに挑戦する場面は、書いていて特に楽しかったです」
それにしても……本作のために小説家は、いったい幾つのオリジナルのバレエ作品を創造したのだろう!?
「数えていないんですが、2桁は作っています。この曲でこういうコンセプトの踊りにして……というふうに演目を考えるのは、ものすごく楽しかったんですよ。実際に書くのはしんどかったんですが(苦笑)」
作曲家である七瀬の語りには、自身の感覚が滲み出ていると言う。
「例えば“変わらないために変わり続ける”という七瀬の言葉は、私の小説家としての実感そのものだなぁと思います。それから、“舞台の上のダンサーは、みんな観客の代わりに踊ってくれてる”という言葉。バレエに限らず舞台芸術ってそういうものなのかもしれない、と思うんです。自分では絶対踊れないダンスや、普段は絶対口に出せないような言葉を、舞台上の演者が観客の代わりに表現してくれる。それを観ることで、人生を生き直すような感覚になる。生きていることを祝福してもらえているような感覚になるんだと思うんです。きっとバレエを踊るダンサー自身も、祝福されているんですよね」
物語の総仕上げとなる第4章「Ⅳ 春になる」では、意外すぎる人物が語り手に選ばれた。
「誰に語らせるかは、ギリギリまで迷いました。最終章だけ三人称にする、という案もあったんです。でも、本人に語ってもらうのが一番この物語には相応しいのかな、と。春の視点から、バレエという世界を思いっきり描いてみようと決めました」
その結果、バレエと出会えた喜び、バレエを通して仲間たちとの出会いを得た喜びが、文章の隅々に宿っていった。ラストに登場するのはもちろん、オリジナルの舞台作品。それは観る者と演じる者の垣根を超えた、祝福のダンスだ。第一章以来となるダンサーの内面描写は、圧巻の一言。
「バレエはどうしてこんなにも面白いのか、観ていてこんなにも心を揺さぶられるのか、自分なりに思うところをある程度言語化できたかなと思っています。そこには読者さんに向けて、“バレエを観てみてね”という願いも込めたつもりです」
バレエの魅力と同時に小説というジャンルの魅力も知らしめる、バレエ小説の金字塔が誕生した。
恩田 陸
おんだ・りく●1964年、宮城県生まれ。92年、『六番目の小夜子』でデビュー。2005年『夜のピクニック』で第26回吉川英治文学新人賞と第2回本屋大賞、06年『ユージニア』で第59回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門賞、07年『中庭の出来事』で第20回山本周五郎賞、17年『蜜蜂と遠雷』で第156回直木賞と第14回本屋大賞を受賞。