“だってそういうものだから”世の中の定説を覆す家族のミステリー『家族解散まで千キロメートル』浅倉秋成インタビュー
公開日:2024/4/6
※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2024年5月号からの転載です。
〈この家族。本当にこんな形で終わっていいと思う?〉
この問いに、家族の実情はどうあれ、多くの人が反射的に「どうにかならないか」と考えるのではないだろうか。浅倉さんの新作はこの文章が冒頭に掲げられていることで、読者は、解散しそうな家族が再生することをどこかで願いながら読んでしまう。それこそが、浅倉さんの仕掛け。
取材・文=立花もも 写真=ホンゴユウジ
「何事においても、反射的に出てしまう最初の反応が最良とは限らない、と疑ってしまうたちで。たとえば友達から結婚の報告を受けたらまずは“おめでとう”と言うし、夢を諦めるかどうか相談されて、初手で“諦めたほうがいいよ”とは言いませんよね。同様に、家族についても基本的にはみんな“解散しないほうがいい”と思っているけど、それって本当に真実なのか?と問いかけたくなってしまうんです。今作で描いた喜佐家の母親・薫さんは、いつも家族を優先して動く、世間的に見ればすばらしい母親だけど、それも果たして本当に“いい”んだろうかと」
本作の主人公・周が、母について回想する場面がある。父と不倫相手の現場を目の当たりにした翌朝、泣き腫らした目でいつもどおりの朝を演じ「お母さんは強いんだから」と言った彼女を、周は〈立派な人だなとは、なぜか思えなかった〉と。
「彼女が固執する、そして世間一般的によしとされる“家族を守る”とはどういうことなのか、今作を通じて描いてみたかったんですよね。そもそも、守り続けることよりスクラップ&ビルドを成すほうがすごいことのような気がするのに、なぜ解散がマイナスに受け取られるのか。そもそも家族とは何かを考えるために、担当編集さんたちとお互いの家族について、友達にも話したことのないような実情まで語り合ったんですけど、どこにも“普通”ってないんですよ。たとえば我が家ではある時期まで卵かけごはんを“やまたこ”って言っていたように、家族にしか通じない言葉があったり、独特のルールで縛られていたり、どの家庭もちょっとずつ、変。それなのにみんな、自分たちは普通だと信じている。だから喜佐家も、一見するとなんの変哲もない家族として描こうと思いました。だけどいったん内側に入り込むと、そこかしこが歪であると少しずつ気づいていくように」
なぜ家族のことになると特別になってしまうのか
本作は、喜佐家の実家が解体される3日前から始まる。長兄は結婚し、姉は恋人と半同棲、29歳の周も結婚して家を出ることになり、広い古民家は両親の手に余る。そもそも父は年中不在で、たまに帰っても厄介事しか持ち込まない。家の解体は、実質、家族の解散だ。というわけで、父を除く家族が久しぶりに集結することになるのだが、そこで発見されるのが、なんと仏像。しかも、青森の神社で盗まれたご神体に瓜二つ。そして先日まで父が旅していたのはどうやら青森。……と、家族の解散どころではない問題が発生する。
「何かを運ばせよう、と思ったんですよ。家族みんなで、何かを返す旅に出るのがいいな、って。というのも僕は旅行嫌いで、2022年に仕事で佐賀の嬉野温泉に行ったのが、ここ10年で初めての関東甲信越脱出だったんですね。そのあと、原作を務めるマンガ『ショーハショーテン!』のために大阪を取材し、気づきました。日本って、意外と小さい!(笑)。舞台設定をもう少し広げても大丈夫なんじゃないか、と初めて思えたんです。というわけで、今回は北に移動させようと思ったんですが、肝心なのは何を運ぶか。最初は血の付着した3億円や死体の写真なんてものも考えたんですけど」
一気にものものしい雰囲気に変わり、とても家族の解散どころではなくなりそうである。
「そうなんですよ。そこまで深刻ではないけど、家で見つけたらぎょっとして、どうしても返しに行かなきゃならないものってなんだろう、と思い浮かんだのがご神体でした」
それが、本作では家族というテーマに絶妙に絡み合う。ご神体とは、蓋を開けてみればただの鏡だったり老樹だったり、なんの変哲もないモノである。だが長い年月をかけて崇め祀りたてられることによって、不可侵の聖域へと変わっていく。家族もまた、同じ。婚姻や血の繋がりを社会全体で崇めた結果、簡単に壊してはならないものとなった。
「何がそんなに大切なの、と誰に聞いても“だってそういうものだから”という答えしか持たないところも共通していますよね。作中で、なぜ浮気はよくないこととされるのか、姉の恋人が周に聞く場面があります。周は“裏切りだから”“守るべき節度だから”と答えるんだけど、本当にそうなのか、いったい自分たちは何に縛られているのかと問い続ける姉の恋人に、逃げるしかなくなる。なぜなら“そういうもの”とされていることの根っこをいちいち考えるのって、とても面倒くさいから。実はこれ、僕自身の体験にも基づいていて、以前恩師と食事をしているときに“芸能人の不倫なんてどうでもいいよね”という話をしたあと、ぽろっと“まあ身内だったらいやですけどね”と言ってしまったんです。それこそ無意識に、反射的に。恩師は“他人と身内で感覚が変わるなんて不思議だね”と言った。今回家族小説を書くことになったのは、編集者からの提案でもあったけど、僕の根っこにはずっと恩師の言葉がくすぶり続けていたのだと思います」
美しい物語にしたくなる、魔力をもっているのが家族
だから、家族は対話を重ねるのである。仏像を運ぶ車中で、建前を捨て、感情をぶつけ、自分たちの本音をさらけだしたあと、それでも家族を結びつけるものはあるのか、見極めようとする。その姿に触れて、読者も揺れる。もう解散しちゃえばいいじゃん、と呆れる気持ち。そして、どうにかこの家族がやり直すことはできないのか、と願う気持ち。だが、すんなり美しい話に転んでくれないのが浅倉さんの小説である。
「どんでん返しを求められている自覚はありますしね(笑)。ただ、そんな僕でさえこのまま美しい物語に終着させるのもありなんじゃないかと思わされる魔力をもつのが“家族”なんだと思いました。“そういうもの”にしてしまいたい─家族の絆はすばらしいんだって結論で終わらせたくなる気持ちも、よくわかると。だけど僕たちの現実は、思った以上にグラデーションの中にあって、家族でも価値観やセクシャリティはさまざま。家族を守ろうとする薫さんの強すぎる思想が、子どもたちに反動を与えたように、全員が同じほうを向くことなんてできないんですよ」
やみくもに守ろうとしても無理なのだ。喜佐家も、過去に問題が起きたときに大丈夫なふりをするのではなく、ちゃんと向き合って解決するべきだった。臭いものに蓋をし続けてきた結果が、父の所在不明と仏像盗難である。だがそもそも“本当に”父が犯人なのだろうか──?
「結局、むりやり一つにまとめようとするから事態も歪になっていくわけですよね。僕が、めんどくさい奴だと思われても物語を通じて問いかけることを続けたいのは、“そういうもの”に呑み込まれた先には、あまり居心地のいい未来がない気がするから。家族については誰も画一の答えを出せないとわかったからこそ、ハッピーエンドとは言い切れないざわつきを物語に残すことで、誰かが何かを考えるきっかけになったらいいなとも思いました。創作で世の中がいい方向に変わるなんてことは絶対にないと思うけど、それでも、書き続けていれば何かが変わるはずだと信じることが、僕の中にある、唯一のきれいごとだから」
浅倉秋成
あさくら・あきなり●1989年、千葉県生まれ。『ノワール・レヴナント』で講談社BOX新人賞Powersを受賞しデビュー。今年映画化される『六人の噓つきな大学生』は、本屋大賞ノミネートおよび山田風太郎賞と吉川英治文学新人賞の候補に。ほか著作に『俺ではない炎上』など。『ショーハショーテン!』は『ジャンプSQ.』にて連載中。