結婚相手はコネ入社で親は還暦インフルエンサーの金持ち? 娘の婚約を機に考えさせられる「家族」のありかた

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/5/13

娘が巣立つ朝"
娘が巣立つ朝』(伊吹有喜/文藝春秋)

 なぜ、あんな人と結婚してしまったんだろう。そう口にしながらも、離婚という決断に至らない母を見るたび、何度も思った。私は同じ失敗はしない。ちゃんと相手を見極めて結婚をする、と。

 しかし、そんな決意も虚しく、数年前、私は長らく連れ添った夫と離婚。それ以降、ずっと考えている。夫婦を続けていくために一番大切なこととは、何なのだろう…と。

娘が巣立つ朝』(伊吹有喜/文藝春秋)は私と同じく、夫婦の在り方に悩む人にとって考えさせられる一冊だ。本作は娘の婚約を機に、1組の熟年夫婦が自分たちの関係を見直す長編の家族小説である。

 娘の真奈が家を出ていき、4年ほど夫婦2人での生活を送っていた高梨健一・智子夫妻。その日常は真奈の婚約を機に、大きく変化していく。

advertisement

 婚約者の渡辺優吾は、身なりも受け答えもしっかりしている好青年。だが、生育環境の違いや潔癖な一面があり、健一たちはどこか話が嚙み合わない。真奈は、上手くやっていけるのだろうか。そう思いながら出席した優吾の両親との顔合わせで、健一の不安は増大する。優吾の両親はアラウンド還暦のインフルエンサーとして活躍しており、自分たちより、はるかに裕福な暮らしぶりでもあったため、価値観が合わなかったのだ。

 一方、真奈も顔合わせの席で優吾がコネ入社していたことを知り、生育環境の違いを痛感。理想的な結婚式も、大きく異なっていた。だが、真奈は彼に疎まれたくない思いから、自分の意見を伝えることができず…。結局、結婚式は優吾の両親が仕切ることに。真奈が望んでいた小さな会場でのアットホームな式とは対照的なセレブ婚を行うことになってしまった。

 戸惑い、悩む娘の姿を目にした智子は、真奈が引け目を感じずに結婚式を挙げられるよう、試行錯誤。老後用の貯金を切り崩し、結婚式への資金援助を増やそうと夫に提案する。

 だが、役職定年が近づき、介護施設に入所する母を見舞う日々を送っている健一は将来への不安から、智子の考えに賛同できず。これにより、夫婦仲はギクシャクしてしまう。晴れの日を前に、それぞれの悩みと向き合うこととなってしまった高梨家。父、母、娘は悩み迷いながらも、心地よいと思える家族の形を模索し始める――。

 健一や智子、真奈の視点を交えて物語が進んでいく本作は、登場人物の誰かに自分が重なる一冊。描かれている心理描写に、心を掴まれることが多い。

 例えば、自分に自信がない真奈が結婚式の準備を通し、人として成長していく過程にはうるっとさせられる。憧れの彼と婚約できたものの、思い描く将来設計に大きな違いがあると知った真奈は困惑。だが、悩みながらも前に進もうとする姿が胸を打つ。

 ぶつかり、傷つきながらも優吾と家族になろうとする真奈の奮闘は、赤の他人と家族になることの難しさと尊さを教えてくれる。既婚者の方は、自分の手で作った家族の価値を改めて痛感するはずだ。

 また親世代は、自分たちの結婚生活を回顧し、寂しさを隠しながら婚約期間中の娘を見守る高梨夫妻の複雑な心情に泣かされることだろう。結婚生活が長くなると、人は「夫婦だから分かるだろう」と今ある関係に甘え、パートナーへの感謝や気遣いがおざなりになってしまうことも少なくないものだ。

 だが、本当は夫婦だからこそ口に出さなければ分からないことのほうが多いのかもしれない。不機嫌な夫への接し方に悩み、無理に明るく振る舞う智子や、収入と健康面への不安を家族に相談できず、娘の婚礼と老後の貯え、両方の工面に頭を抱える健一の姿は、そんな気づきをもたらす。

 2人の切ない孤独や家族なのにどこか遠い距離感に触れると、読者も自分たち夫婦の関係を見直したくなる。もし、家族の形や夫婦関係に行き詰まりを感じたら、自分には何ができるのか。本作は、そんな問いを読者に投げかけているようにも思えた。

 離れたり結びついたりしながら、それぞれが求める家族の形を掴もうとする高梨家の奮闘は他人事と片付けられるものではない。ぜひ、本作を手に取り、家族と心の交流を交わしてみてほしい。

文=古川諭香