健康を望みすぎずに楽しく老いる。現役医師が見た、健康に執着しない生き方――『健康の分かれ道 死ねない時代に老いる』久坂部羊【評者:斎藤 環】

文芸・カルチャー

公開日:2024/4/10

現役医師が考える、まちがいだらけの「健康」願望。
久坂部羊『健康の分かれ道 死ねない時代に老いる』

久坂部羊『健康の分かれ道 死ねない時代に老いる

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むしろ積極的に「死に時」を考えておくことを推奨する――現役医師の健康観とは?

【評者:斎藤 環】

 現在六十二歳の評者は、年齢相応に健康には気をつかっている。毎朝の青汁とカスピ海ヨーグルトはこの十年は欠かしたことがないし、毎日腕立て伏せとスクワットを続け、週に二回は八キロのランニングを自分に課している。さらに毎年、自費で人間ドックを受けている。目下の悩みは高血圧と高めのγ-GTP、そして胆のうのサイレントストーン(無症状結石)だ。
 本書『健康の分かれ道』の著者、久坂部羊氏は、評者よりは少し年長だがほぼ同世代の医師。その健康観を知るべく本書を手に取った。さぞ前向きな健康増進法が記されているに違いないという先入観は、冒頭であっさり覆される。健康には「出口」があり、いつまでも健康を追うものではない、などと医者らしからぬ文言も記されている。ははあ、してみるとこれは、よくある健診批判、医療批判の類いかな、と思いながら読み進めると、どうもそういうことでもないらしい。健康に関する本で「極論」が書いてあればまず警戒しつつ読むことにしているのだが、本書には珍しく「中庸」の雰囲気があるのだ。
 実際、著者は健康診断をあまり意味のないものと考え、自身ではもう受けていないと述べている。健診をまったく無意味とは言わないまでも、それで早期発見できる病気はごく限られるし、むしろ些細な異常を大げさに取り上げられて健康不安が高まってしまうという問題が指摘されている。なるほど、確かにうなずけるところはある。評者も先日受けた人間ドックで、微小な腎結石と胆石については精密検査を受けるように紹介状を渡された。まあ評者自身も医者なので、背景事情はわからないでもない。異常値が見つかっても「このくらいなら大丈夫」とは絶対に言えないのが今の医療事情だからだ。うっかり「大丈夫」なんて言おうものなら、胆石発作を起こしてしまった場合に責任を追及されかねない。紹介状はそうした事態を回避するためのアリバイという意味もあるのだ。
 著者は現代の多くの人々が抱いている「いつまでも若く元気で生きていたい」という願望に疑問を呈する。むしろ積極的に「死に時」を考えておくことを推奨する。著者が紹介する医師へのアンケート結果によれば、医師の多くが望む死因ががんであるという。癌はある程度死期を予測でき、進行も比較的ゆっくりなので、死を迎える準備に十分な時間をかけられるからだ。この件で評者がいつも思い出すのは、稀代のアニメーション作家・今敏のラストエッセイ「さようなら」だ(公式ホームページで読める)。四十六歳の若さで膵臓がんで亡くなったその最期の日々は、自身の仕事の引き継ぎから遺された人々への配慮に至るまで、評者が知る限り最も完璧な終活だった。
 著者が本書で紹介している六十代で胃がんがみつかり、一切の治療を拒んで亡くなった内科医の最期の見事さにも同様の感慨を覚える。評者はこれまで、いわゆる「ピンピンコロリ」を漠然と希望していたが、著者が指摘するとおり、ピンピンの度が過ぎるとなかなかコロリとは逝けないらしい。緩和ケア医療の発達ぶりを知るにつけても、進行がんに罹患したら積極的な治療は避けて、在宅でケアを受けながらの死が理想的なのかもしれない。
 ただ、おそらく著者は万人に向けて「どうせ死ぬんだから諦めろ」と言いたいわけではないだろう。評者が本書に読み取ったメッセージは、いたずらに「若さ」や「生きのびること」それ自体に執着しすぎてはいけない、というものだ。やりたいこと、やるべきことがある人にまで「それは諦めろ」と言いたいわけではないはずだ。幸い評者には、この年齢、この立場になってようやく可能になった「やるべき仕事」が山積している。そのすべてをこなしきれるとは思っていないが、限界が来るまでは仕事を楽しみたいと考えている。
 そのためにも健康でいたいとは考えているが、健康のために何もかも犠牲にしようとは考えていない。だから今後、健康上の理由で仕事が楽しめなくなったら、いつでもリタイアする覚悟はある。もしそうなったら、著者の言うような境地を目指したい。
 「健康のためによけいなことはせず、人の悪口を言わず、自慢もせず、細かい事にはこだわらず、人と比べず、足るを知り、失敗しても笑ってすませ、無駄があってもよしとし、人に何か言われても気にせず、死が迫っても、ただ静かに笑っている」。
 本書を読むことは、自らの死生観をあらためて問い直し、先の見えてきた自分の人生をどのように引き受けるべきかを考える上で、実に貴重な機会だった。
 

【作品紹介】
『健康の分かれ道 死ねない時代に老いる』

健康の分かれ道 死ねない時代に老いる
著者:久坂部羊
定価: 1,012円 (本体920円+税)
発売日:2024年04月10日

健康願望が健康を損ねる!? 死ねない時代の健康とは何か、現役医師が迫る
老いれば健康の維持がむずかしくなるのは当たり前。老いて健康を追い求めるのは、どんどん足が速くなる動物を追いかけるようなもの。予防医学にはキリがなく、医療には限界がある。健康を害してないのに、病気かどうか気を揉む人にこそ、本当は何を診断されているのかを知ってほしい。絶対的な安心はないけれど、過剰医療を避け、穏やかな最期を迎えるために準備すべきことを、現役医師が伝える。

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