日露戦争後は出版社や書店が迎えた転機! 読書人口が急増した大正時代/なぜ働いていると本が読めなくなるのか②

文芸・カルチャー

公開日:2024/4/22

なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆/集英社)第2回【全8回】

「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」…そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないでしょうか。「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者の三宅香帆さんが、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿ります。そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは?『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』は、すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作品です。

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なぜ働いていると本が読めなくなるのか
『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆/集英社)

読書人口の増加

 大正時代、日本の読書人口は爆発的に増大した。

 日露戦争後、国力向上のために全国で図書館が増設された。小学校を卒業した人々の識字率を下げないために採用された手段が、読書だった。地方に至るまで日本の隅々に図書館が誕生し、それによって爆発的に読書人口は増えた(永嶺、前掲『〈読書国民〉の誕生』)。

 さらに大正時代、出版界において現代にまで続く再販制──再販売価格維持制度が導入され始めた。これは出版社側が定価を決定する制度で、これによって客に本が値切られることがなくなる、画期的な制度だった。さらに委託制度が広まり、書店は売れる見込みのある本を大量に仕入れることができるようになった。当時、書店の数も急速に増加。明治末の書店数は約3000店だったのに対し、昭和初期には1万店を超えるようになったというのだから驚きだ(小田光雄『書店の近代―本が輝いていた時代』)。

 さらにこの時代、時間もあり読書への意欲もある、「大学生」という身分の青年が増えた。私立大学が次々と認可され、高等教育を受けられる人口が増大した(澤村修治『ベストセラー全史【近代篇】』)。この影響は大正時代のベストセラーにもよく反映されている。たとえば阿部次郎『三太郎の日記』(第壱:東雲堂、第弐、第参:岩波書店)、あるいは夏目漱石『こころ』(岩波書店)。同じ1914年(大正3年)に刊行されたこの2冊の本は、旧制高校の学生たちを中心に必読書として売れたらしい。どちらもエリート階層向けの内容に思えるが、それらの本が売れるだけの読書人口が学生たちの間で増えていた。

 当時、出版界はベストセラーを生むに足る制度を整えている最中だった。一方で読者側もまた図書館の充実、書店の増加、そして高等教育機関の拡大によって、読書人口そのものが増えていた。まさに読書の拡大期──それが大正時代だったのだ。

日露戦争後の社会不安

 そんな大正時代の出版界が右肩上がりだった話だけ聞くと、さぞかし華やかな出版事情だったのだろう、と想像してしまう。しかし大正時代のベストセラーを眺めると、なんだか、かなり内省的──というか、はっきり言ってしまえば、ものすごく、暗い。

 文芸評論家の瀬沼茂樹が『本の百年史―ベスト・セラーの今昔』にて「大正の三大ベストセラー」として挙げるのは、以下の3冊だ。

『出家とその弟子』(倉田百三、岩波書店、1917年)
『地上』(島田清次郎、新潮社、1919年)
『死線を越えて』(賀川豊彦、改造社、1920年)

 どれも10万部以上売り上げたベストセラーである。が、これだけ売れた書籍たちのテーマが、揃いも揃って、生活の貧しさや社会不安への内省なのだ。親鸞とキリスト教という宗教をテーマにした作品や、貧乏な少年による成長物語、と聞くと、現代だったら「なんか暗くて売れなそう」と感じてしまうのではないか。しかしこれらの暗い本がベストセラーになるほど、大正時代の人々は社会不安を抱えていたらしい。令和においても疫病や戦争、増税など社会不安を抱えている人は少なくないだろうが、実は大正時代も負けず劣らず社会不安の時代だったのだ。

 当時の日本は、大きな行き詰まり感と社会不安に覆われていた。日露戦争によって巨額の外債を抱えた政府による増税、そして戦後恐慌による不景気が社会を襲う。1905年(明治38年)の日比谷焼き打ち事件や1918年(大正7年)の米騒動といった、都市民衆騒擾も起こった。ちなみにこれらの暴動には、職人や工場労働者などの若い男性が大勢参加した(松沢裕作『日本近代社会史―社会集団と市場から読み解く 1868-1914』)。暴動が絶えないくらい、若者のストレスは極致に達していた。

<第3回に続く>

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