芸人の描くコミックエッセイはなぜこんなに面白いのか? 矢部太郎とバッドボーイズ清人が執筆後の感情を語り尽くす【インタビュー】
公開日:2024/4/19
カラテカ・矢部太郎とバッドボーイズ・清人。この春、矢部は『プレゼントでできている』、清人は『おばあちゃんこ』を上梓した。「言葉を操り人を楽しませる」専門家である芸人が出版においても高い適性を発揮することは、いまや当然のことと認識されているが、ふたりが選んだのは「自らの実体験をもとにストーリーを考えて、絵も描く」コミックエッセイというジャンル。1997年デビューの同期でともにコンビではボケ担当、優しげでほのぼのとした空気をまとうなど、共通点も多いこのふたりが描いたのはどんな物語なのか。発売直後のふたりに話を聞いた。
取材・文=編集部 写真=三宅勝士
漫画家になるともなりたいとも思ってなかった
矢部 (『おばあちゃんこ』を開きスタッフクレジットに佐田正樹の名前を見つけて)協力ってあるけど塗ってもらったりしているんですか?
清人 いや、してもらってないです。
矢部 じゃあ、何の協力なんですか?
清人 同じ3月22日に佐田の本(佐田のホビー2)も発売されたんですよ。全くの偶然なんですけど。それで、制作途中から対談とか動画収録を一緒にしてもらったり、そういうのです。
矢部 ひょっとして佐田さんがベタを塗ってるのかと思った(笑)
清人 いや、佐田は塗らない(笑)
矢部 じゃあ、清人さんが100%手描きで? すごい!
清人 途中で嫌になりましたけど……。
矢部 そういう話を超聞きたい。なかなか近くにこういう話をできる人がいなくてわかってもらえないから。
清人 よかった、会えて(笑)
――ちょっと堅いですけど、会うのは久しぶりなんですか? おふたりは同期ということですが、出会った頃のことは覚えてますか?
清人 いや、『おばあちゃんこ』を描いている最中に会う機会があって、iPadでのマンガの描き方を聞いたりしました。結局、全部手描きになっちゃったんですけど……。出会いは矢部さんは覚えてないかもしれないけど、20年くらい前に、夏祭りの営業に一緒に行ったんですよ。
矢部 あれかな、栃木市の「なつこい」という夏祭りかな。清人さんが東京に出てきて結構すぐの頃でしたよね。
清人 出会ってからつかず離れずで、会えば談笑するけどお互いの性格もあって、どちらかが誘って飲みに行ったり出かけたりはできなくて。ずっとそんな距離感で今まできたんです。矢部さんはめちゃくちゃ繊細なんですよ。
矢部 先生?
清人 違う! せんさい! 言われなれてるから先生に聞こえちゃうんですよ! 『プレゼントでできている』を読ませてもらったけど、僕なんかじゃ気づかない細やかな感情が描かれていますもんね。
――矢部さんが“先生”と呼ばれるようになったのは、2017年に出された『大家さんと僕』のメガヒットと手塚治虫文化賞の受賞からだと認識しています。でも初著書『語学の脳みそ』は2002年と、かなり早かったですよね?
矢部 『進ぬ!電波少年』の「〇〇人を笑わしに行こう」がきっかけの本ですね。出演したあとに「出しませんか?」って声をかけていただいたんです。でもマンガではないし、自分で書いたものではなくて、しゃべったのをまとめてもらったものなんです。
――当時から、「いつか自分は自らの絵とストーリーのマンガを描くことになる」と想像していたんですか?
矢部 まったくです。それこそ『大家さんと僕』を描いたその時に初めて想像したくらいで。それまでは、漫画家になるともなりたいとも思ってなかったです。清人さんはずっと描いてたの?
清人 僕はいつか描きたいなと思ってきたから、矢部さんが作品を出して賞を受賞したりしているのを見て「すごい」と思ったし、パイオニアだと思って目指してきた。
矢部 「大家さんとの仲良い関係性が作品になるのでは」ってあるマンガ原作者の方に言っていただいたんですよ。最初は映画にしようという話だったんですけど、なかなか映画って実現するのは簡単じゃなくて、「もう矢部君が自分で描いちゃえば」ってなって。
清人 その時は躊躇する気持ちはなかったの? 「僕が絵を描くの?」みたいな。
矢部 絵を描いてフリップネタをやったり、チラシの絵を描いたりはしていたので、絵を描くのは好きだったし「できるんじゃないかな」とは思ってましたね。
清人 じゃあ、自然な流れで気がついたらそうなっていた、みたいな感じだったんですね。
矢部 自然というか、電波少年の頃は芸人で食べていけると信じていたんです。でも、「あれ、いけないなあ……」みたいな(笑)。だから、マンガ描いたら食べていけるかな、っていう考えもよぎったりして(笑)。ま、食べていける、とまでは考えてなかったですけど。
――清人さんはどうだったんですか?
清人 矢部さんと近いんですけど、60くらいになっていずれ芸人として食えなくなった時に、セカンドライフのために備えておこうかな、マンガを描けたらいいなくらいの感じでした。落書きレベルですけど、小さい頃からずっと絵やマンガを描いてきたので。
矢部 芸人になってからも描いてたんですか? 描けたらいいなって思ってただけ?
清人 芸人になって以降はまったく描いていなかったんですけど、8年くらい前に急に思い立って描き出したんですよ。入門書を古本屋さんで購入してペンをそろえて、でもどこにも応募することはなく……。作風は全然今回とは違って、自分の話じゃなくて空想のものでした。
――おふたりの作品は、分類すると「コミックエッセイ」になると思いますが、芸人さんにとって矢部さんの存在は大きいですよね?
清人 いつも、ど真ん中にいます。『大家さんと僕』があまりにセンセーショナルだったんで。芸人にとって矢部さんがコミックエッセイの先駆けじゃないですか。
矢部 もともとマンガの中でもエッセイ寄りの、そういうジャンルが好きだったというのはありますね。西原理恵子さんとか。
清人 実は僕はコミックエッセイという言葉を知らなかったんです。だから自分がやろうとしていることが、矢部さんと同じジャンルっていうことも2年くらい前に知ったんです。当初、『おばあちゃんこ』は小説で書くことを考えていたんですけど、その頃に関係者から「清人さんはこっちじゃない?」って『ちびまる子ちゃん』を渡されて、「こういう描き方があるんだ」って思って、それで舵を切ったんですよ。
矢部 え~!? 『ちびまる子ちゃん』を読んでなかったんですか!? 衝撃(笑)。でもそっか、『りぼん』で連載されてたから、ちょっと清人さんからは遠かったのかもしれないですね。
清人 ちびまる子ちゃんがコミックエッセイの元祖だってその人に教わりました。
「笑いが全て」みたいな感覚があるけど、それだけではないんじゃないか
――ここからはお互いの本の感想をうかがいたいと思います。清人さんは『プレゼントでできている』を読んでいかがでしたか?
清人 絵のタッチはもちろんですけど、全部が矢部さんらしいんですよ。『プレゼントでできている』ってタイトルを見て、まず「ん?」ってなったんです。正直内容が想像できなかったんですけど、冒頭が『モンゴルの絨毯』という話から始まるじゃないですか。テレビの企画でモンゴルから来日してきた家族と矢部さんが一緒に暮らすことでいろんなギャップを知って矢部さんが戸惑う様子と、そのギャップの理由をいずれ知っていくことをめちゃくちゃ面白く描いているんですけど、この始まり方がすごく好きなんですよね。マンガのテーマと矢部さんの作家性がこの一話で理解できたし一気に引き込まれました。あと僕、『あげるともらう』という話、あれが一番好きなんです。急に恋愛チックなんですけど、矢部さんは受け取らずに別れちゃうんです。これ、めちゃくちゃ矢部さんっぽいんです。リアルに想像できますもん。
矢部 なんか……ね。ちゃんと断った方が良いですよね……。
清人 矢部さんは普段もマンガも多くを語らないじゃないですか。こっちからしたらそれが想像が膨らむ余白だからすごく心地いいんですけど……それでもやっぱり描いていて切なくなるものなんですか、矢部先生も。
矢部 ……恥ずかしいですよね。でも、100%そのままマンガに落とし込んでいるってわけでもないですから。
清人 矢部さんは、人前では話せないような恥ずかしいことを、マンガの中ではさらけだせるという感じなんですか?
矢部 普段、人と会って時間を頂戴して話すとなると、こんな自分の思い出語りしてもな、というところもありますからね。本だと興味を持って手に取ってくださる方だから、それくらいわがままを言ってもいいのかなと思ったり。お笑いだとオチのない話をするのって、なかなかできないじゃないですか。でも、そうじゃなくても本はいいっていうのは、すごい広がるんですよね。
清人 すごいわかります! これまで泣く泣く捨ててきたエピソードを拾えますもんね。
矢部 芸人をやり過ぎて「笑いが全て」みたいな感覚があるけど、それだけではないんじゃないか、っていう。
清人 この主題で描こうと思ったきっかけはあったの?
矢部 引っ越しする時に、捨てるものと捨てられないものが出るじゃないですか。ある時、捨てられないものってもらい物が多いな、なんでだろうなって思ったんです。プレゼントってもらってうれしいけど、捨てるうしろめたさとか捨てられない、わだかまりみたいなものも与えたりするんだなと。だからいい面とよくない面もある「なんともいえないもの」でもあって。そういうことを考えていく中で、このテーマで描きたいなと思ったんです。あと、「人」のことを描きたかったんです。僕にプレゼントをくれた人たちのことを描き残したいな、というのも大きな動機でした。
「いなかった」ことにはしちゃいけない、そんな使命感があった
――矢部さんは「おばあちゃんこ」を読まれていかがでしたか? 両親が不在でものすごく貧しい環境の中で、目の不自由なおばあちゃんとその三人の息子たちと過ごした実体験を描いた、捉えようによってはかなりハードな内容ですけど。
矢部 僕もめちゃくちゃ清人さんっぽいなあ、と思いました。僕はすごい感動して、とてもいいなと感じたんです。たとえ清人さんと同じことを経験しても、絶対こうは描けないから、やっぱりそれは清人さんだから描けたんだと思うんです。芸人としての清人さんはワードのセンスがすごいんですね。何とも言えない強さというか、どっしりしたところから来るボケみたいな。さらにちょっと達観してるところもある。『おばあちゃんこ』を読んで、ああ、これは幼少期の経験から来ているのかな、と思うところがあったんです。物語としてすごく大きなものであって、今回は序章でこれからまだまだ広がっていくものだと感じました。
清人 矢部先生にそんなふうに言っていただけて幸せです(笑)。
矢部 描かれているのは凄い経験なんです、小学生だった清人さんが「地獄だ」っていう表現を使うくらいの。でもそれを受け入れているというか、しょうがないよね、みたいな感じがすごいするんです。そこから生まれてくるユーモア、あたたかさ。清人さんが描いていることはきれいごとじゃないな、すごいなと思いました。
清人 絵のタッチを編集の人とすごい話し合ったんです。例えば当時同居していた酒乱のおじさんが家庭内暴力をふるうシーンがあるんですけど、絵のタッチひとつでグロテスクになる恐れもあったんです。でも、なんとかそうならないように抑えられたな、と感じているんです。
矢部 ……やっぱりすごい優しいですよね。清人さんはすごく優しいから。
清人 確かに、佐田には描けないですね(笑)。
矢部 そうですね(笑)。きよっぴの人に知られたくないような、恥ずかしい気持ちも正直に描いているじゃないですか。でも、程度の差こそあれ、みんながそういう思いを抱えている。自分の中のうしろめたさみたいなものを教えてくれる。
――清人さんが今回、このテーマで描こうと思った理由はあるんですか?
清人 10年くらい前にばあちゃんが亡くなってから、家族がどんどんいなくなったんですよ。僕はばあちゃんと長男のマサおっちゃん、次男のかーぼ、三男ののり兄ちゃんという5人家族で暮らしてたんですけど、マサおっちゃんも亡くなって、のり兄ちゃんはずいぶん前に失踪して消息不明で、かーぼは体を壊して施設に入ってどんどん頭の中から過去が消えていっていて。だからもう思い出を共有する相手がいないんですよ。僕には兄弟もいないし。今考えてもひどい環境だったし、楽しいと思えることなんてほとんどない一家だったんですけど、それでも「いなかった」ことにはしちゃいけない、そんな使命感があったんです。
矢部 これで「いた」っていう証明になりますもんね。清人さんの家族は確かにいたんだって。
過去に出会った人たちについて考える時間が持てたことが本当によかった
――矢部さんも清人さんも、実際に体験した「過去」を作品に昇華しているわけですけど、時間をおいてからあらためて追体験をする作業は、かなりしんどいことでもありますよね。
清人 描いている最中に泣きはしなかったですけど、やっぱり切なくなりましたね。マンガを描くために、当時の自分とか家族のいる風景を俯瞰で見ることになるんで。自分の後姿を大人になってあらためて見ていて、このアングルはやばいなって、ちょくちょく思いました。
矢部 絵を描くというのは対象を「よく見る」ということですから、思い出もよく見ることになっちゃうから……。描いていて切なくなったり苦しくなることはあるんでけど、そこに酔うことは危険だな、と僕は思っているんです。すごく「苦しい」って思うんですけど、感情に流されないように気をつける……。もちろん感傷とか苦しさはありますけど、それをそのまま描くのは……恥ずかしい……うん、生の感情を人に見せることがすごく恥ずかしいだけかもしれないです(笑)
清人 僕はどうなんだろう……感情をコントロールしてたのか、してなかったのかわからない。難しいですよね。当時の僕である「きよっぴ」は今の僕とはもちろん違うし、かといって別人でもないし。でも、当時の僕や家族を思い浮かべて描き上げた絵を見て「こんな寂しい絵になってしまうんだ」みたいに感じることは結構あるんですね。だから、感情に流されるというか当時は当事者だったから気づくことのなかった感情に今さらながら気づいて、その感情はそのまま描いている、ということかもしれないです。
――描き終えて、過去が愛おしくなりましたか?
矢部 愛おしさというか、いっぱい考えられてよかったなって。その人について。作品になって世に出たこともすごいうれしいんですけど、描くことによって、過去に出会った人たちについて考える時間が持てたことが本当によかったなと思います。マンガにしなかったら、その機会は永遠に訪れなかったので。
清人 正直なところ感情が追い付いてなくて、一生懸命記憶と向き合っている最中にまだいるんです。でも、物語の中心人物“ではない”人たちにものすごく会いたくなりました。特に上京してからは彼らのことをほとんど思い出しもせずに生きてきてしまったので。でも、描いていると当時の彼らの表情とか所作とか出来事が次々に浮かんできて、当時は理解できなかった感情に気づいたりもして。もうほとんどの人が亡くなったり居場所がわからないんですけど、会いたいってすごく感じています。と同時に、後悔の念もにじんでくるな、と感じました。
矢部 プレゼントって、もらったらお返しをしないといけないという気持ちが湧いてくると思うんですね。でもお返しできないまま亡くなった方とかもう会えない人がいて、それに対して後悔みたいな気持ちは僕はすごくあるんです。で、そういうことを思っている人はきっとたくさんいるんじゃないかと思うんですね。それで思うのは、後悔をどうやって消化して今後を生きていくか、ということを最終的には描きたくなってきたかもしれないということなんです。清人さんの作品と近いかもしれないですね。僕も清人さんも、もう会えない人のことを描いているという点で。
清人 ばあちゃんに対しては育ててもらった感謝こそあれど、後悔はほぼない(笑)。小学生にしてはよくやったし、亡くなるまで面倒を見続けることもできたから。でも、次男のかーぼに対しては、後悔というか無力感を感じながら描いていたんです。かーぼは家族で唯一まともな存在で大好きだったんですけど、なにをしてもうまくいかない、なんかかわいそうって子供ながらに思わざるを得ない、そんな人なんです。今の僕なら、旅行に連れていったりご馳走したり、愛情を形にできたのに……。かーぼは体を壊して施設に入っているから、今からそうすることもできない。子供だった僕にできることは何もなかったことは理解したうえで、でも後悔というか無力感をどうしようもなく感じながら描いてましたね。
矢部 もらい続ける立場から、与えられる側になったのにということかもしれないですね。僕、『大家さんと僕』の後に、「これから漫画を描くとしたらどういうものを描くんだろう」と考えたんです。その結果が今回の作品になったんです。受け取るだけでなく与えることを考えるようになったことを、成長っていうのかもしれないなと思います。
清人 それは本当にそう。僕、描くまでやっぱり辛かったんです、当時の暮らしがいまだに。でも、こうして本になった時に、あの頃の家族を包み込めるような、そんな気持ちになったんです。それが成長なのかはわからないですけど、辛さよりも感謝とか許せる気持ちが大きくなりました。
矢部 「もらっている」っていうことは「繋がりがある」ということじゃないかと思うんです。もらったり与えたりする「繋がりの中に僕たちはいる」っていうことを意識すると、生きづらさというものが少しは減るんじゃないかなと。やっぱり、どこにも繋がっていないということが人間は一番怖いので。
【プロフィール】
矢部太郎
1977年東京都出身。高校の同級生だった入江慎也とお笑いコンビ『カラテカ』結成し、97年デビュー。2017年、初めて描いた漫画『大家さんと僕』がベストセラーになり、第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。そのほかに『大家さんと僕 これから』『「大家さんと僕」と僕』(共著)『ぼくのお父さん』『楽屋のトナくん』『マンガ ぼけ日和』がある
X: @tarouyabe
Instagram:ttttarouuuu
バッドボーイズ清人
1978年福岡県出身。高校の同級生だった佐田正樹とお笑いコンビ『バッドボーイズ』を結成し、97年デビュー。2010年に自伝的小説『ダブル★ピース』を刊行。Xやウォーカープラスでの連載の後、今年3月に初となるコミックエッセイ『おばあちゃんこ』を発表
X:@kiyotomanga(漫画専用)
X:@kiyotooomizo
Instagram:badboys_kiyoto93