世界で2900万部売れた中国SF『三体』。女の子にベルトで殴り殺されるショッキングなシーンから始まる壮大なSF物語〈大森望さんインタビュー〉
公開日:2024/4/18
中国SFのベストセラー『三体』シリーズの文庫化が遂に始まった。世界で2900万部、日本では単行本の三部作累計100万部突破という大ベストセラーとなった劉慈欣(りゅう じきん)による『三体』は、本国中国ではすでにテレビドラマ化され日本でもWOWOWオンデマンド、U-NEXTなどで【梅】現在配信中。またNetflixでも『ゲーム・オブ・スローンズ』のクリエイターチームが映像化し現在絶賛配信中と、中国SF『三体』の盛り上がりは継続中である。
本記事では『三体』祝文庫化ということで、本作の翻訳者の一人であり書評家の大森望さんに『三体』の魅力についてお話をうかがった。
世界的ベストセラーSF『三体』日本版刊行まで
――2019年に早川書房から日本語版が刊行され話題となった劉慈欣(りゅう じきん)さんによる中国SF小説『三体』シリーズですが、遂に文庫化となった今回、訳者のお一人である大森望さんに改めて『三体』の魅力などをお伺いしたいと思います。
まず、2019年に日本語版『三体』が登場するまで国内での中国産SFはそれほど活発に刊行されてはいなかった印象ですが、なぜ国内でこれほどまで『三体』が話題になったのでしょうか
大森望さん(以下、大森):中国のSF長編はそれまで日本ではまったく翻訳されていませんでした。実績はゼロです。でも、だからこそ興味を引いたのかもしれません。同様の状況だったアメリカでも、『三体』が英訳されると大評判になり、2015年には翻訳作品として初めてヒューゴー賞(歴史あるSF・ファンタジー作品の文学賞)を受賞。その結果、三部作の英訳版のセールスは100万部を突破したんです。その情報が日本にも入ってきて、『三体』に対する期待はものすごく高まっていた。満を持して日本語版登場ということで、翻訳刊行が遅れたことが結果的によかったのかもしれません。
――原書が中国で発売されてから日本語版が出るまで10年以上経っています。
大森:中国のSFを翻訳する土壌がそもそもまったくなかったんですね。翻訳の検討が始まったのは、ケン・リュウによる英訳が出版されて、それがヒューゴー賞を受賞してからだと思います。ヒューゴー賞長編小説部門の受賞作は邦訳刊行されるのがあたりまえなので。
――中国とSFとの結びつきで連想するのはテッド・チャンや、近年ですとケン・リュウといった作家が思い浮かびますが、『三体』の劉慈欣さんとの大きな違いはなんでしょうか。
大森:テッド・チャンやケン・リュウの作品は英語で書かれた作品で、小説の中身も完全に英語圏のSFです。本人たちも中国SFの文化に触れて育ったわけではなく、英語圏のSFで育ち、英語圏のSF作家になった人たちです。テッド・チャンの両親は中国から台湾に渡った人たちですが、家庭では英語を使っていたそうで、チャン自身は中国語がほとんどわからないし、中国文化にも触れてこなかったそうです。 ケン・リュウは中国生まれで、中国語は不自由なく読んだり話したりできますが、作家としてはアメリカで育ったので、中国系アメリカ人作家ではあっても、“中国のSF作家”ではないですね。しかしケン・リュウは自作が中国語に訳されたことをきっかけに同時代の中国SFに興味を持ち、それらが英語圏でまったく知られていない事態を改善すべく、自分で英訳しはじめた。英語圏における現代中国SFの受容はそこから本格的に始まりました。とくに日本で重要な役割を果たしたのは、ケン・リュウが英語に翻訳したものを集めたアンソロジー『折りたたみ北京』(同タイトルでハヤカワ文庫SFより刊行)です。ケン・リュウはすでに日本でも『紙の動物園』の成功で人気作家になっていましたから、そのケン・リュウの折り紙付きの作品なら――ということで日本の読者も安心して手に取った。その評価が非常に高くて、中国SFを受け入れる土壌ができました。
――私が初めて劉慈欣という作家と『三体』を知ったのも『折りたたみ北京』に収録されていた短篇の「円」でした。「なんじゃこりゃ!?」みたいな(笑)。
大森:いかにも中国らしいですよね。秦の始皇帝が3000万人の兵を集めて人力コンピュータを作るという。以前にも人間でコンピュータを作るという発想はあったんですけど、あれを中国でやるとリアリティがある。しかも始皇帝にしたのがすごくよかった。
あれは『三体』の作中に出てくるVRゲームの一エピソードを抜き出して改稿し、短篇に仕立て直したものですが、主人公を荊軻(けいか)にして、暗殺のために送り込まれた男が代わりに人列コンピュータを作りはじめるという改変歴史SFになっています。
――『折りたたみ北京』の「円」解説に『三体』という小説から抜粋した章の改作だと書いてあって、元本の『三体』はどんな小説なんだ?と思いました。
大森:『三体』の一部を独立した短篇にした「円」が日本のSNSで大評判になったことで、(『三体』に登場する)地球三体協会の人たちが三体人を迎える準備を整えていたかのように、日本でも『三体』を迎え入れる準備が整えられていたという(笑)。
――そう考えるとケン・リュウの功績は大きいですね。
大森:中国生まれなんだけど、英語圏のSF作家として評価も知名度もあるケン・リュウがいてくれたおかげで、理想的な橋渡しになったと思います。日本でも英語圏SFの翻訳に関しては長い歴史がありますから、ケン・リュウが英訳したアンソロジーの日本語訳というワンクッションをはさんで、ご本尊の『三体』を中国語から翻訳するというのは理想的な順序だったと思います。
――バラク・オバマ元大統領やマーク・ザッカーバーグも、『三体』を読んだといわれますが、アメリカでも中国のSFが読まれているのも興味深いです。
大森:たぶんアメリカでも日本と同じような感じだと思うんですね。米中貿易摩擦とか、外交問題とかいろいろあって、正体の見えない大国・中国に対する興味と関心がある。何を考えてるかわからないけど、SFを仲立ちにすればと理解できるんじゃないかと。SFというものが中国とアメリカの間の共通言語として機能していると思います。
僕は劉慈欣さんとほぼ同世代なので、アーサー・C・クラークとかアイザック・アシモフといったSFの黄金時代といわれている1940年代・50年代のSFの影響を受けていることが手に取るようにわかる。小松左京の『日本沈没』の影響もあるし、田中芳樹『銀河英雄伝説』の一節が作中にいきなり引用されたりする。中国語のSF長編を読んだのは『三体』が初めてでしたが、グローバルなSF文化を共有している同世代の仲間の作品というイメージで読めるんですよね。
そのおかげで『三体』は、8割ぐらいが共通言語のSFで書かれていてよくわかる。残り2割の中国ならではの部分が新鮮なアクセントになって、非常にわかりやすく吸収できる。いまさらアメリカのことを知ろうと思ってSFを読んだりする人はいないと思いますが、『三体』については、外国の読者の中国に対する興味が普通のSFにない牽引力を生み出していて、そこは中国SFならではかなと思います。
『三体』の魅力
――大森さんご自身は、『三体』のどのあたりに魅力を感じていますか
大森:いろんな要素がありますね。『三体』が話題になって、なんかすごいらしいと聞いて文庫を手にとって読み始めた人は、1967年から始まる冒頭で、100人中99人が「え? 思ってたのと違う!」と感じると思います。「これいつまで続くの?」という感じで。けどその意外性インパクトという意味ではすごくよかった。文化大革命の糾弾集会で、年端もいかない紅衛兵の女の子たちに理論物理学教授である葉哲泰(主人公の父親)がベルトで殴り殺されるというショッキングなシーンから『三体』は始まるんですけど、体制翼賛小説みたいなのを想像していた人にはそうじゃないってことが出だしからわかるので、ある意味ではそれが品質保証になる。そうは言ってもなかなかSFにならないところがあって、「こんな話を読むために『三体』を買ったんじゃない!」と思った人はバーンって現代パートまで飛ばして、文庫で言うと77ページの「第二部 三体」から読み始めてもらえればいいと思います(笑)。
――中国語版は第一部の順番が違うんですよね。
大森:中国語版の原書は今回の文庫版の77ページから始まるんです。実際、ほとんどの中国人読者はそういう順番で読んでいます。雑誌連載時は文革のシーンから始まっているが、単行本刊行時に順番を入れ替えた。中国の若い読者には文革がアピールしないと出版社が判断したのか、それとも政治的な忖度が働いたのか。ともあれ中国版は、汪淼(ワン・ミャオ)が出てくる現代パートから始まるので、エンタメ的には読みやすくなっていますね。葉文潔(イエ・ウェンジエ)が主役の過去パートは、回想シーン的に途中に挿入されています。今回の文庫版を77ページから読みはじめると、それを追体験できる。そうすると、現代の科学者がよくわからない世界的陰謀に巻き込まれ、自分が撮ってる写真に謎の数字が写り始めて……というホラーっぽい導入になる。
――先に謎の真相を巡って静かなサスペンス部分があり、そこから一気に壮大なスケールのSFを力技で読ませる豪快な小説という印象になりますね。
大森:そうです。すごいサスペンス風というか、謎の呪いみたいなものを解くために主人公が一生懸命頑張る、という鈴木光司の『リング』みたいな話ですね。一体どうすればこのカウントダウンが消せるんだ? とか、このカウントダウンがゼロになったときに何が起こるのか? という。まあね、なぜ汪淼(ワン・ミャオ)一人のために三体人はあんなに手間をかけるのか、考えてみると不合理なんですが、そういうことはあまり気にしない(笑)。小説を面白くするためには何でもやるみたいな感じです。SFとして理屈で考えたらやっちゃいけないことも劉慈欣は併記で全部やっているんです。
――娯楽小説ですね。
大森:そう、娯楽小説なんです。エンターテインメントとしてのSF方向の面白さ、SF的虚仮威しに全振りしています。智子(「ソフォン」人類科学の発展を阻害すべく、三体星人が11次元の陽子を改造した原子よりも小さいスーパーコンピュータ)もそうですけど、「僕の考えた超兵器」みたいな小学生が考えそうなネタでも、それをSFオタク的な突き詰め方であらゆる手を使ってリアルに見せようとしているので、そこがSFファン的にはぐっとくる。まったくSFを知らない、「初めて読んだSFが『三体』です」みたいな人でも、「なんかわからないけど、すごい」というのが伝わるんだなっていうことがわかって、それは発見でしたね。
――まさに勢いのある虚仮威しのSF小説ですね。
大森:日本でものすごく大ヒットしたジェイムズ・P・ホーガンの『星を継ぐもの』(創元SF文庫)も、科学者がひたすら議論して仮説合戦しているだけみたいな小説にもかかわらずずっと売れ続けて創元SF文庫最大のヒットになっているんですけど、他で見たことがないようなでかいスケールのとてつもない話っていうのは、多少古めかしくても、理屈によくわからないところがあってもやっぱり面白い。だから『星を継ぐもの』の次に来たのが、『三体』三部作みたいな感じだと思います。
『三体』の翻訳
――『三体』の訳者は大森さんを含めて7名ほどいますが、訳者の中で大森さんはどういった役割だったのですか
大森:中国語から日本語に訳された原稿は巻ごとに訳した人が違うし、一冊の中でもいろいろ分担が違ったりするんですけど、僕は中国語はわからないというか、中国語からいきなり翻訳はできないので、基本的にその原稿をもとに、中国語のテキストや英訳版を参照しながら訳語を選択して、SFとして、あるいはエンターテインメントとして仕上げるというか、リライトするというアンカーマン的な役割ですね。
――苦労されたことはありますか。
大森:英語のSFだと翻訳するときにカタカナが多くなる問題っていうのがありますが、中国のSFは逆に漢字が多くなる問題がありました。英語のSFは登場人物やコンピュータ用語など普通に使われるカタカナがたくさん出てきて読みにくいと言われるんですけど、中国では登場人物も漢字だし、専門用語も中国語に引きずられてそのまま翻訳されて漢字になっちゃうことが多いんですね。なのでその辺のバランスと、意図的に現代パートはカタカナを多くするようにすることもあるし、あと全体を通したキャラクターの統一とかですね。劉さんは人物の内面を描く役割で登場人物を配置するタイプの作家なので、ある程度その役割に合わせて口調とか、あるいはその現代パートと過去パートで文体を変えるとか、そういう感じですね。いままで(中国SFの翻訳の)お手本があまりなかったので、そこを作っていくのがちょっと大変でした。
――文庫化に際して変更や加えたところなどはありますか
大森:(単行本時の)最初はシリーズ作品や劉さんの他の作品を読んでいない状態でしたけど、文庫化では前日譚も含めてキャラクターを見直したり全体のトーンを揃えたりしたつもりです。『三体』に登場する丁儀(ディン・イー)という科学者が『三体0 球状閃電』でも後半に登場して若い頃の型破りキャラみたいな感じになっていますが、『三体』のキャラとの間に落差があるので、もうちょっとイカレた感じにしました(笑)。中国版やNETFLIX版のドラマも見て、キャラクターの演出の参考にしています。
『三体』著者、劉慈欣の作家性
――劉慈欣さんは、例えば短篇集『円』を読むと作品それぞれが社会風刺だったりと、寓話的な物語が色濃く出ていますが、『三体』はそこまで社会風刺や寓話的なものを感じない印象でした。
大森:中編の『白亜紀往事』(早川書房)もそうですが、短篇ではワンアイデアでリアリズムというよりも寓話的な話を書くことが多くて、そこにオリンピックの話や政治的なメッセージを入れているかのように見える作品も多い。けど劉さん本人の公式的な立場としては政治的なメッセージ、あるいは社会風刺のような目的のためにSFを書くことはなくて、SFを書きたくてSFを書いているんだっていうことは繰り返し言っています。自分はSFファンなので、SFは道具じゃなくて目的なんだ、と。もちろんそう言わざるを得ない立場もあるでしょうけど、SFファンとして割と納得できるところです。『三体』についても、日本と中国の話のようにも読めるし、米中の話みたいに読めるみたいなところもある。SFは昔からその時代の社会情勢や作者の思想を反映しているところがありますから、もちろんそれに着目する読み方もありうると思います。
『三体』では侵略された歴史や戦争の歴史をあたかも下敷きにしているかのように見える部分もあるけど、たぶんそれは一面的に見られないように周到に配慮しているところが結構あると思います。
「ギャグじゃない。ちゃんと書いてる」
――大森さんは様々な媒体で『三体』を紹介していますが、ネタバレはどのくらいまでされているんですか?
大森:媒体次第ですが、地球が侵略される話です、っていうのは最初から言っちゃうことが多いですね。それもネタバレなんだけど。第二部のキモの暗黒森林理論を紹介するケースもあって、ここまでしか言っちゃダメみたいなのはありません。出版は映画と違ってあんまりネタバレについて規制とかはないので。
――地球外生命体との接近遭遇ぐらいはまったくOKなんですね。
大森:それを言わないとどんな話なのかまったくわからないので。
――まさにそういう話だと思って『三体』を読んだらいきなり文革の話なので初めて読んだときは面喰らいました(笑)。そういえば短篇集『円』に収録された「郷村教師」という話も中国の貧しい農村の先生の話ですが、次の行でいきなり2万年にわたる銀河とか恒星間戦争の話になったので同じく面喰らいました。
大森:そうなんですよ。『三体』でも、村の貧乏な子どもたちが、向学心に燃えてて山を越えて葉文潔のところを訪ねてくる「おしん」みたいな話と、智子(ソフォン)を作るときの、惑星全体を覆うような二次元の膜に回路を焼きつけるみたいな場面が並列される。しかもあれ、最初は二次元展開に失敗して一次元にしたせいで、よくわからない糸みたいになった陽子が降ってきてうっとうしいっていうシーンまであって、完全にギャグかと思いますけど、劉さんに聞くと「ギャグじゃない。ちゃんと書いてる」と(笑)。
――そのイマジネーションの力技で押し切られる感じが読んでいて逆に清々しくて気持ちがいいくらいですね。最後にこれから『三体』を読もうと本書を手に取った方にひと言お願いします。
大森:物価が上がって生活が大変とか、運動しても体重が減らないとか、いろんな日常の悩みがあると思いますけど、そういうのはどうでもいいという気がしてくるのはスケールの大きなSFの効用だと思います。日常的なリアリティもありつつ、ぶっ飛んだところに連れてってくれる『三体』は特にそういう効用の部分が大きくて、二巻の終わり頃には一巻はなくてもよかったんじゃないっていうぐらいになるんですけど(笑)、三巻になるとそれすらどうでもよくなる。どんどんスケールが大きくなっていくエスカレーションの面白さっていうのはたぶんSF以外の小説ではなかなか味わえないところだと思いますし、『三体』にはそんなSFの面白さの大部分が詰まっています。
取材・文・撮影=すずきたけし
※文庫版『三体II 黒暗森林』は4月、文庫版『三体III 死神永生』は6月刊行予定
大森望さんオススメの中国SF小説
『円 劉慈欣短篇集』(劉慈欣:著、大森望、泊功、齊藤正高:訳/ハヤカワ文庫SF)
『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』(ケン・リュウ:編、中原尚哉・他:訳/ハヤカワ文庫SF)
『金色昔日 現代中国SFアンソロジー』(ケン・リュウ:編、中原尚哉・他:訳/ハヤカワ文庫SF)