sumika片岡健太のエッセイ連載「あくびの合唱」スタート!「“あくびぐらい”と許し合える関係でいられる人と生きていきたい」

文芸・カルチャー

公開日:2024/4/26

こんにちは。片岡健太と申します。
神奈川県川崎市出身。sumikaというバンドでボーカル&ギターと作詞作曲を担当しています。
2022年6月に『凡者の合奏』という自身の半生を振り返る内容の本を出版して以来、約2年ぶりにエッセイを書かせて頂くことになりました。

あくびの合唱

第1回『あくびの合唱』

有り難い機会。
何を書こうかなと考えながら、交差点で青信号になるのを待っていたところ。
反対側で信号待ちをしていた、70-80代くらいの夫婦から目が離せなくなった。

なぜなら、驚くほど2人が似ているのだ。
笑った時に目を細める感じや、ふと真顔になった時、会話中に頷く速度も一緒。左右を見るタイミングや、後ろを振り返るモーションも一緒。
いくつか情報を隠されたら、どちらがどちらとも当てられないくらい似ている。

結婚した当初の2人はどうだったんだろうか。
似ているから結婚したんだろうか。
それとも、こんなに似るなんて全く予想していなかったんだろうか。

誰かと一緒に生活をするようになると、次第に人々は似てくるという話を聞いたことがある。

同じことで笑い、同じことで怒ったりするうちに、表情筋の使い方が似てくる。同じものを食べて、同じような時間に眠るからシルエットも似てくる。似たくもないのに、いつも見ているから反射的に似てくる。といったような話を、異口同音にさまざまな場所で聞く。

見た目だけではなく、困難に対する価値観や、互いに共有しておきたい事柄など、内面から似ていって、それが外見に表れるパターンもあるようだ。

その度合いに関しては、やはり過ごしてきた時間に比例しているのではないか。
いくらセンセーショナルな出来事があっても、1個や2個で人々は簡単に似ないはずだ。こればかりは、質より量な気がする。ゆっくり流れてゆく習慣の中で、少しずつ少しずつ似合っていっているのだと思う。

勿論、エアコンの温度調整、清潔さの度合い、金銭感覚、食の好み、インドア派かアウトドア派か、子供の育て方、せっかち?マイペース?など言い出したらキリがないくらいに相違点もあるだろう。喧嘩中の恋人や家族や友達や仕事仲間を思い出させてしまっていたらごめんなさい。

しかし、それでも人間関係が長続きしているのであれば、お互いに妥協点を見つけたのか、忍耐力を身につけたのか。はたまた言語化できない何かがあって、その上で成り立っている生活が確かにあるのだと思う。褒められたくないかもしれないが、その変化は凄いことだと僕は思う。

個人的には「似ているね」は褒め言葉ではないので、他者に対してこの言葉を使うことは少ない。けれど、自分の心の中で“この人と似ているな”と思って顔がニヤけるのであれば、それはきっと幸せなことなのではないだろうか。

僕は結成して11年になるバンドの一員だ。
全員年齢がバラバラなこともあって、はじめの頃は外見も内面も全く似ていなかった。
聴いてきた音楽も違う。育ってきた環境も違う。お腹が空くタイミングがバラバラで、誰かの食欲に合わせることが苦痛だった。自分がゆっくり眠りたい時に他のメンバーのテンションが上がって、やかましくてイライラした。到底書き切れないほど、僕らはバラバラだった。

けれど、ただ一点“いい音楽が作りたい”という気持ちだけは皆一緒だった。全員でそこを目掛けて歩んでいくうちに、不思議とお互いのズレを、ストレスに感じないようになっていった。

笑った時の目元が似てきて、気付けば、“嬉しい”というタイミングが一緒になり、“辛い”というタイミングが一緒になり、スタジオ内でボイスメモを録る際に「せーの、ドンポイ」という謎の呪文を唱えてから始めるところまで一緒になった。一緒になりたかったことも、全然一緒にならなくていいところも、同じように生活を営んでいる僕たちは少しずつ、似てきている。そして今の僕は、それが少しも嫌ではない。

もしかしたら交差点の向かいにいる夫婦も、“明日も一緒に生きていきたい”という気持ちだけしか最初は似ていなかったのかもしれない。
それが木の幹となって、枝葉のように他の部分がうっかり育ってしまったのかもしれない。

途中でその枝が折れたり、育った葉が枯れたりしたこともあっただろう。
しかし、そんなことは二人にとって文字通り枝葉のような話で、幹が倒れない限り、根幹は変わらず、色々な箇所が自然と似合っていくのだと思う。
「お似合いですね」という言葉も、そのような経緯を辿って生まれてきたのかもしれない。

―反対側の青信号が点滅し始めた。

自分の周りにいる人と、どんなところが似合っていたら楽しそうかなと考えてみた。
すると“あくび”というワードがひょいと出てきた。

僕はあくびが好きだ。
どんなに頑張っている人でも出てしまう、あの一瞬の隙が好きだ。
「タイ行きたい」みたいな韻踏になっていますが本気。

あくびをすると、大抵目の前のことに集中していないと思われがちだ。
身体的なあくび、精神的なあくび、どちらに対してもこの時代は少し厳しすぎるように感じる。
他者の失敗にも、自分の失敗にも厳しい。
甘やかしたり、許したりすることが苦手だから、明日も明後日も引きずってしまう。
疲れたから少し休みたい。けれど絶対に言えない。そんな場所ばかりだ。

「休んでも自分のポジションを保証してくれるような環境があるなら休みますよ」
「休んでいる間に勝手に勉強してくれるようなマシンがあったら休みますよ」
「家事や育児を誰かが責任持ってやってくれるなら休みますよ」

という声が上がるでしょう。
そうなんです。この世界では思いっきり休んだ人が目立ちやすい設計なんです。
「やりたいことやって生きてて、なんだか楽しそうだね〜」って言われちゃう率95%ぐらいのバンドマンだって、しんどい時はありますよ。けれど、休んで本当に幸せになるなら休みますけど、そうじゃないことだって一杯ありますからね。休むぐらいだったら動いていた方が幸せってことも沢山あります。どこまでいっても、この世は割り切れません。

そんな世界でお互い生きていくのであれば、“あくびぐらい”と許し合える関係でいられる人と生きていきたいと思いました。枝葉ではなく、幹の部分で、似た者同士が周りに少しでもいてくれたら、きっと生きやすくなるのではないだろうか。

たっぷり湯を溜めた風呂に浸かりながら、ダラダラと動画を見る。
脳がヘロヘロになるまでゲームをやり尽くす。
1日1個と決めていた甘いお菓子を3個食べる。
リッチな値段の生ビールを買って帰る。
今日の僕のあくびは何にしよう。

毎月ここで文章を書かせて頂きます。
長い人生の中で、一瞬で終わるあくびを、お互い認め合いながら、この世界を生きていきましょう。せめてこの場所では甘やかし合いながら、慰め合って日々を生き抜いていきたい。

今、信号が青になりました。それではまたここで。

あくびの合唱
撮影=片岡健太

編集=伊藤甲介(KADOKAWA)

<第2回に続く>
片岡健太
神奈川県川崎市出身。sumikaのボーカル&ギターで、楽曲の作詞作曲を担当。キャッチーなメロディーと、人々に寄り添った歌詞が多くの共感を呼んでいる。これまで4枚のフルアルバムをはじめ、精力的に楽曲をリリース。ライブでは、人気フェスに数多く出演するほか、自身のツアーでは日本武道館、横浜アリーナ、大阪城ホールなどの公演を完売。2023年には、バンド史上最大規模の横浜スタジアムワンマン公演を成功に収めるなど、常に進化し続けるバンド。