NHK総合でドラマ化『つまらない住宅地のすべての家』が文庫に。平凡な住宅地に脱獄犯が接近中というニュースに、住民たちは…?
PR 公開日:2024/4/22
電車の車窓から住宅街を眺め、「この灯りのひとつひとつに人の営みがあるのか」と途方もなさに圧倒されたことはないだろうか。『サザエさん』のエンディングのように各戸にスポンと人が吸い込まれ、それぞれの暮らしぶりは外側からはうかがい知れない。ひとり暮らしもふたり暮らしも大家族も、家という根城に文字どおり根を張って生きていることに、なんだか底知れないものを感じてしまう。
NHK総合でドラマ化され、このたび文庫になった『つまらない住宅地のすべての家』(津村記久子/双葉文庫)は、こうした人々の営みを解像度高く描いた群像劇だ。「つまらない住宅地」というだけあって、舞台は時間が止まったような町。その一画の路地に、10軒の家が立ち並んでいる。
住民たちは、濃淡はあれどそれぞれ事情を抱えている。妻が家を出ていったが、近所にはそれを隠して暮らす父と息子。身勝手極まりない理由から、女児の誘拐を企てる青年。扱いづらい息子を倉庫に閉じ込めようと計画する夫婦。母親が男に入れあげ、育児放棄されている小学生姉妹。そこまで大きな問題を抱えていなくても、大学講師の夫婦は学生の厄介な要求に悩み、母を亡くしたばかりのひとり身の女性は遺品の山を前にため息をつく。どこかにいそうなリアリティがあり、作中では描かれないこれまでの人生すらもうっすら見えてくるようだ。しかも、著者はこれらの家庭のうち、どこかひとつをクローズアップするのではなく、10軒ひとつひとつを均等に照らしていく。
そんな10軒に、刑務所を脱走した女性受刑者がこの町に近づいているというニュースが飛び込んでくる。1000万円を横領したとされる日置昭子は、かつてこの近所に住んでいたらしい。住民たちはにわかに色めきたち、やたらと張り切る自治会長の発案によって、夜間に交代で見張りを行うことになる。
ここから、ほとんど行き来のなかった10家族に接点が生まれ始める。見張りをするうえで邪魔になる枝を刈るために、老夫婦が隣家の青年に声をかける。老夫婦からおすそわけされた牛すじ煮込みがきっかけで、見張り中、「隣駅においしい居酒屋があるよ」なんて話題が生まれる。悩みを語り合うことはなくても、一緒に夜食の揚げそばを食べ、七並べをして、他愛ない会話をするだけで、よそゆきの表情が少しずつ緩んでいく。
物語中盤になると、逃走犯である日置昭子にもスポットが当たり、一部の住民との関係も明らかに。優等生だった彼女がなぜ横領に手を染めたのか、どうしてこの住宅地に向かっているのかが語られ、サスペンスとしても読みごたえがある。
住宅地の人々が一致団結して脱獄犯に立ち向かう熱い物語でもなければ、地域の絆だの共助だのといった話でもない。だが、古びた家の住民たちに“ご近所さん”という第三者が関わることで、彼らが抱える諸事情にもささやかな変化が起きる。それは、誰かが窓を開け、ふっと風が抜けることで部屋の空気が澱んでいたことに気づくような、ちょっとしたことかもしれない。でも、こういう出来事があるから人生って面白いのかなと思わせてくれる。人には人の地獄があるけれど、地獄ばっかりでもないじゃん。人間って案外悪くないじゃん。そんなつまらないほど当たり前な、でもしみじみとうれしい事実に気づかせてくれる一冊だ。
文=野本由起