【芥川賞候補】『アイスネルワイゼン』ってどんな話? とにかく性格は最悪、悪口ばかり言う32歳ピアノ講師が癖になる
公開日:2024/4/26
口を開けば、誰かへの悪口と、自分を大きく見せようとする言葉ばかり。そんな自分が好きではないけれど、肥え太らせた自尊心は抑えきれない。「私は悪くない」「私は悪くない」と、気付けば、始終唱えている。そう言い張ることでしか、自分を守ることができない。——そんな痛々しい主人公の姿に、共感なんてしたくないのに、自分の嫌なところを見せられたような気分になった。その作品とは、『アイスネルワイゼン』(三木三奈/文藝春秋)。第170回芥川賞候補に選ばれた傑作だ。
主人公は、32歳の琴音。とある事情で会社を辞めることになり、フリーのピアノ講師として働いているが、稼ぎは決してよくなく、親を頼らなければ家賃も払えない。仕事を紹介してもらっても失敗するし、中学時代の友人と久しぶりに会っても、不穏。恋人とも上手くいっていない。
この物語は、会話文が多用されているから、とても読みやすいのだが、読めば読むほど、ヒヤヒヤさせられる。琴音はとにかく性格が悪い。さっきまで愛想よく対応していたはずなのに、当人が目の前から消えれば、他の人にその人物の悪口ばかり言う。それも一度や二度ではない。それを何度も何度も繰り返すのだ。「ああ、なんでそんなこと言っちゃうの!」「ここは絶対謝るべきところなのに……」。そんな風に、心の中で思わず、琴音に呆れ、叱り飛ばしたくなる。だけれども、ハラハラさせられる場面は続くのに、それがおかしみを持って描かれるからクセになる。どんどん墓穴を掘っていく琴音のことが放っておけなくなる。
琴音も大概だが、他の登場人物だって、嫌な奴ばかりだ。琴音に仕事をくれた友人にしろ、彼女が伴奏を担当することになる歌手も、口を開けば悪口ばかりで、悪意を感じずにはいられない。だけれども、琴音の中学時代の友人・優は違う。優はどこまでも優しく、その夫や子どもだって温かい。でも、どうしてだろう。琴音の視点で見れば、そんな優しさはうっとうしく、憎らしくさえ思えてくる。何だか気持ち悪い。善意さえ、琴音にとっては毒。そして、琴音は優のことを攻撃せずにはいられないのだ。
「嫌いになってほしい」琴音は言った。「嫌いになってほしくて言った」
「人のふり見て我がふりなおせ」ではないが、この作品を読むと、自分のことを顧みずにはいられなくなる。私はここまでは、琴音ほどは性格は悪くないと思いたい。だけれども、誰の心の中にも暗い感情はある。人の善意にかえって傷つけられることも、それに反抗したくなることもある。琴音の性格がこんなにも歪んでしまったのは、彼女が孤独で、満たされてなくて、空っぽであるせいなのだろう。そのことに琴音自身が気付いた時、彼女は一体どうなってしまうのか。あなたも、そんな自分に気付き、崩壊してしまう前に、この本で奏でられる夜想曲に、どうか耳を傾けてほしい。
文=アサトーミナミ