最強の蒙古帝国の襲来「元寇」にどう立ち向かう? 直木賞作家・今村翔吾が描く感動歴史小説『海を破る者』
PR 公開日:2024/5/24
「戦争反対」。誰もがそう思っているはずなのに、なぜいつまでも争いは絶えないのだろうか? どうすれば愚かな戦いは無くなるのだろうか?
その答えが、この小説にはある。
『海を破る者』(今村翔吾/文藝春秋)は、鎌倉時代、元寇に立ち向かう御家人、河野家の人々と、その「繋がり」に涙する感動の歴史小説である。
伊予の御家人・河野六郎通有(こうの・ろくろう・みちあり。以下、六郎)は、若き河野家の当主。武士でありながら漁師の腕もあり、海を見てその果てに何があるのか、どんな地があり、どんな人がいるのか。夢想して楽しむような、少し風変わりで平和主義の青年だ。
かつて「源、北条に次ぐ」権勢を誇っていた河野家は、先祖の代で戦に敗け領地を減らされ、その上に肉親同士の空しい争いもあり、落ちぶれてしまっている。六郎はそんな河野家を支える有能な当主だが、己の父を殺した伯父に対し、表面的に和平を保っているものの、その心には消せない不信感を抱えていた。
ある時、六郎は湊(みなと)で売られていた奴隷の金髪碧眼の少女・令那(れいな)と、六郎と同年代の青年・高麗人の繁(はん)と出会い、彼らを河野家に迎え入れる。
※高麗=おおよそ今の朝鮮半島。
二人は当初、六郎に対し好意的ではなかったのだが、六郎の誠実さや人間味に惹かれ、心を開いていく。
六郎にとっても、二人との出会いは「大きな気づき」を得るきっかけとなった。外見や言語が全く異なる異国の人々でさえ、他人を信じ「繋がり」を持とうとしているのに、河野一族は肉親同士で争い、また自分自身も、血の繋がりを持つ伯父を信用していない。この不思議さ、愚かさに、六郎は気づくのである。
もう一つ、異国の人間と親しい関係になったことで、六郎は大きな疑問を持つようになる。
例えば、日本人が元(げん)によって殺されたと聞けば激しい怒りを覚えるのに、それが高麗人だと、「かわいそう」とは思うものの、激しい感情に駆られることはない。この違いは、一体どこから生まれてくるのだろうか、と。
時代は折しも、元寇という日本史上、1、2を争う大国難の時。最強の蒙古帝国との戦争に、六郎率いる水軍も参戦することとなる。戦う相手は自分の国を侵略しに来た、言わば「悪」。しかし六郎は感じる。「なぜ、人は争わねばならないのか」と。そして彼は、この戦において目覚ましい船戦を繰り広げるばかりか、敵兵に対し、誰もが驚くような行動を取るのだが――。
本作は、世界で戦争が溢れている今の時代にこそ、大勢の人に読んでほしい一冊だ。
「戦争反対」と、誰もが平和を願っているのに、それが叶わないのは、単なる言葉では「足りない」からではないだろうか? 頭で理解することは出来ても、心に響かない。だからこそ、私は物語があると思う。
物語を通し登場人物に感情移入し、本当の意味で戦争が「愚かなこと」だと心から感じ、涙した時――。六郎の行動が変わったように、私達の行動も変わってくるのではないだろうか。
本作を読んだ後に、読者が抱く「戦争反対」という気持ちは、読む前と大きく変わっているはずだ。そんな物語の偉大さを、体感してほしい。
文=雨野裾