“ヤングケアラー”の実態を正しく理解できている? ノンフィクションで描かれる『48歳で認知症になった母』とその子どもの生活
公開日:2024/6/6
コミックエッセイというジャンルの大きな魅力のひとつに、これまで自分の人生で体験したことのない、誰かの経験に気軽に触れられるという点がある。
自分の知らなかった新たな価値観を知ることのみならず、実際に今この国で、あるいはこの世界で起こっている、大勢がもっと知るべき社会の課題や問題について。実際に自分が体験したり、周囲に当事者がいなかったりしても、ノンフィクションゆえの実感を伴って知ることができる。
マンガ形式の気軽な読書で視野を広げる体験ができるのは、コミックエッセイが持つ非常に大きな「物事を伝える力」でもあると言えるだろう。
『48歳で認知症になった母』(吉田美紀子:漫画、美齊津康弘:原作/KADOKAWA)で描かれているのは、近年社会問題としても注目が集まりつつある「ヤングケアラー」についてだ。
本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを、日常的に行う環境下に置かれた子どもであるヤングケアラー。本作は若年性認知症の母を抱えヤングケアラーとなった一人の少年・やっちゃんを主人公とし、彼が置かれたあまりにも過酷な環境が、素朴なタッチでありながらも現実味を伴ったストーリーで描かれている。
五人家族の末っ子に生まれたやっちゃん。年の離れた姉と兄、そして水産会社を経営する父は忙しく顔を合わせる時間も少ない中、優しい母だけが家族の中で唯一、彼と共に過ごす時間が多い存在だった。
優しくて明るく、料理も上手で身なりにもいつも気を遣っていた、自慢の母。だがやっちゃんが小学生の頃、少しずつ母親の様子がおかしくなっていく。
掃除や洗濯、料理。日頃から普通にできていた家事が、少しずつできなくなり始める。そんな母に医師が下した診断は、若年性認知症だった。
まだ40代という若さで、少しずつ人としての当たり前の暮らしができなくなっていく母。散らかり放題の家の中で、夜ご飯を作ってくれる多忙な父の帰宅はいつも夜11時頃。
お腹が空いたらお菓子や簡単なインスタントラーメンで母と空腹を凌ぐ。そんな生活が、当時のやっちゃんの当たり前の暮らしだった。
当時は今ほど要介護者の支援制度自体が社会に浸透していない時代。若年性認知症の母を身内でしか支え合うことができなかった、そんなやっちゃんの成長過程や暮らしぶりを、ほぼそのままに描いたノンフィクションエッセイになっている。
近年ようやく少しずつ、その存在が周知され始めたヤングケアラー。
本作のやっちゃんのように、様々な事情から周囲の人々や社会に助けを求められなかった子どもたちも多く、その存在が長年世間から断絶されていた点も、この社会問題の大きな負の一面である。
近年ではその存在や呼称の認知度も高まり始めてはいるものの、多くの場合当事者である子どもたちが実際に見た景色や、実際に彼らが置かれた環境を知る機会はまだまだ少ない。
そんな数少ない機会とも成り得る本作に触れたことで、おそらく大きなショックを受けた読者もきっと少なくないはずだ。中には主人公であるやっちゃんのあまりにも過酷な環境に、作品を読んでいて辛くなってしまう人もいるかもしれない。
そして、「助けたい」という気持ちはあれど、「それでは私たちにできることは何か?」と問われると、彼らを救うために実際に取れる具体的な行動の選択肢はほぼ持ち合わせていない人も多いことだろう。
しかし、自分が知らないヤングケアラーの世界を「正しく知る」。それもまた間接的にではあるが、彼らを救う大きな一歩にもなるのではないだろうか。
実際に自分がヤングケアラー当事者だった人、あるいは身近にヤングケアラーのいる人にとっても、おそらく本作は読むことで気づきや自身の救済にもなるエッセイである。
しかしそれ以上に、ヤングケアラーという存在を知らない人、あるいは言葉だけを知っているという人こそ、ぜひ本作を読んで、まずはその実情を「正しく知る」ことから始めてほしい。そう思えるエッセイとも言えるだろう。