清掃工場の思い出(中編)/絶望ライン工 独身獄中記⑰

暮らし

更新日:2024/5/10

絶望ライン工 独身獄中記

朝5時半、ビービーとやかましいアラームで起きる。
冬の早朝は真っ暗である。しかも寒い。
暗いうちに家を出て仕事に行き、また暗い6畳のアパートに戻ってくる。
この繰り返しだけで人は十分に絶望する。
それも職場が清掃工場の仕分けラインなら、尚更だ。

起きたら先ず、弁当の支度をする。
飯は毎朝2合炊く。麦を混ぜ込み、かさ増しした麦飯である。
半分をタッパーに詰め、半分はどんぶりによそう。これが朝飯になるのだ。
卵を2コ割り、目玉焼きを作る。ひとつは弁当に、もう一方はどんぶり飯の上に。
冷凍のシウマイを温め、これも弁当に詰める。
あとは漬物や海苔佃煮を乗せたら完成である。
上から醤油をまわし、蓋をしてそのまま持っていく。「絶望ライン工弁当」だ。
昼に食べるシウマイを楽しみに、今日も地獄の労働へと向かう。
おれは絶望ライン工なのだ。

清掃工場は陸の孤島である。駅から徒歩で行けるような場所ではない。
バスに乗り、最寄りからもまただいぶ歩かされる。
皆同じ時間のバスに乗るので、車内は見知った顔ばかりだが、誰も挨拶などしない。
そんな余裕はない。皆自分のことで精一杯だった。
もちろんこのおれもだ。

職場に着いたら、タイムカードを押して作業着に着替える。
作業着はロッカーには無い、毎日洗うので外に干してある。
袖を通してカラっと乾いていたら気分もいいが、大抵は冷たく湿っていた。
安全靴、手袋、ゴーグルにマスク、ヘルメット。
朝礼後はラジオ体操をして、班別に安全確認をする。
そして作業場に続く暗く長い階段を、誰も一言も発せず登るのだ。
ホワイトボードで午前の配置が発表されるが、これ次第で疲労度と危険度が変わるので皆食い入るように確認する。

階段の上にはベルトコンベアがある。
その上をゴミ収集車が回収した資源ゴミが、そのまま無機質に転がっていく。
これを手作業で仕分けるのが、ここのラインである。
壱番前方、破袋。最も危険な仕事。滑落の恐れがあるためハーネスをつける。地獄だ。
弐番ライン、破袋補助。壱番で破れなかった袋を取る。後ろの参番から怒号が飛ぶ。地獄。
参番、コントロール。ライン全体のスピードを操作する。だいたい班長がやる。揉め事はだいたいここを起点に伝播する。言うまでもなく地獄である。
肆番以降はペットボトルだけ取ればいい、少し楽な内容になっていく。
拾番、最終ライン。ここはベテランが配置される。ペットボトルがここを通過することは絶対に許されない、最終防衛ラインだ。

ホワイトボードに貼られた、青いマグネットから自分の名前を探す。
──弐番。午前は破袋補助だ。最悪である。危険度が違うのに皆時給が同じなのは納得しかねる。後衛の倍は欲しいところだ。
全員が配置につき、午前8時20分ライン稼働。2時間休憩なし、トイレも行けない。
(行けないことはないが、行く勇気はない。)
作業員は男女20人程、年齢は男性が30代~40代、女性は40代が多い。
誰も口を聞かず、皆憎しみ合っている。
唯一ときおり談笑する声が聞こえるが、それは数名のパキスタン人労働者である。
彼らは真面目で勤勉で家族思いだ。親子3代に渡り勤務している家族もいた。
婆さん、母親、そして娘、娘の旦那さん。
言葉は通じないが、いつも親切にしてくれたのはパキスタン人だ。
手袋が濡れないようゴムで止めるのを教えてくれたり、掃除は誰よりも進んで楽しそうにやる。
そして皆同じ体形をしている。背が低く、丸っこい。
職場は最悪だったが、いつもニコニコしている彼らのことが大好きだった。

破袋作業とはゴミ袋を引き裂いて破り、中のおたから達をベルトコンベア上にばら撒くクリエイティブ極まりない業務である。
これを繰り返すと両腕の痛みに加え、指先に力が入らなくなってくる。
作業だけでも辛いのに、後ろの参番から怒鳴られるのがまた酷だった。

「全然破れてねえだろうがよおお何やってんだよおおおめえらよおお!」
「どいつもこいつも使えない奴ばかりでさあああ!」
「遅すぎだろおがよおおお!」
そして一つでも袋が流れてしまうと、後衛ではオバさん達の陰湿な陰口が聞えてくる。
「○○さん、また流してたね。ホント使えない。」
「仕切りが悪すぎる。あの人の後ろは無理」
「たるんでいる、この前止めてた」
ラインの上にはロープが張ってあって、引っ張ると非常ブレーキでラインが止まる仕組みである。
破袋時に危険物や注射器が見つかった場合、このロープが引かれる。
注射器は本当によく出て来た。ラインが止まる時は大体がこれだ。
他にも色々と、ここに書けないようなものも稀に流れてきて我々を戦慄させた。

そして働いてみて気が付いたのだが、どうやらこの区では資源ゴミを分けて出すのはまったくの無意味である。
缶も瓶もペットボトルも皆同じラインを流れ、最後は人力で選別されるからだ。
これ以降、缶も瓶も分けずに出すようになった。
でもそんなことを発信するのは社会悪なので、皆は決められたルールを守りキチンと出してください。

12時、昼休憩。
作業場から管理棟へ移動し、休憩室で昼食をとる。
皆持参した弁当を食べる。
パキスタンの方々は皆持ってきたカレーを電子レンジで温めるので、室内はいつもカレーの匂いがした。
仕出し弁当もあるが、頼むのは少数である。
一度だけ食べてみたことがあるが、嫌がらせかと思うくらいキンキンに冷えた飯、味の薄い少量のおかずと、それはもう酷いものだった。
これで480円はありえない。蒲田の素晴らしい弁当屋と比べるのも失礼だが、まさに雲泥の差である。
朝から楽しみにしていた目玉焼きを乗せた弁当を食べ、昼寝をする。
午後作業15分前、休憩室のテレビからドリカムの曲が流れてくる。
NHKのドラマか何かが流れていて、この曲が未だにトラウマだ。
「もらい泣き~もらい泣き~」のような歌だったように思う。この不気味な曲で昼休みが終わり、また地獄の労働が始まる。

泣きたいのはこっちである。

<第18回に続く>

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絶望ライン工(ぜつぼうらいんこう)
41歳独身男性。工場勤務をしながら日々の有様を配信する。柴犬と暮らす。