トム・ブラウン布川ひろきのエッセイ連載「おもしろおかしくとんかつ駅伝」/第4回「ギャンブルではなくレジャー。」

文芸・カルチャー

公開日:2024/5/1

おもしろおかしくとんかつ駅伝

トム・ブラウン布川です。
前回好きなものを書くと言っててタイトルが「おもしろおかしくとんかつ駅伝」なのにとんかつと駅伝の話してないのは頭がビッグバンなので駅伝の話を書きました。今回は流れ的にはとんかつのことを書くべきなのですが、カウンターパンチはじめの一歩宮田をモットーに生きてるので別のことを書きたいと思います。

僕は20代前半の頃、狂い咲いたようにパチスロをやりまくっていました。毎日札幌の街中でお笑いライブの宣伝を3時間していたのですが、その前後で行くくらい好きでした。
好きすぎたのでパチンコ屋さんが閉店している23時~9時までの時間にAVショップの中にあるゲームコーナーのパチスロを朝まで打って勝ちのない勝負に1万円を投資してハイリスクノーリターン負けをしていました。
それでも好きでした。

そのまま朝イチパチンコ屋さんに並んで悶絶の2200ゲームノーボーナスでお昼すぎに帰ろうとしたら自転車が盗まれててこの世に神はいないと思ったこともありました。ムカつきすぎて中学生にケンカ売ろうかと思いました。
それでも好きでした。

1泊2日で苫小牧に同期とパチスロ旅行に車で行って3時間でマネーがなくなり、リサイクルショップにケツメイシの「夏の思い出」のCDや「ジョジョの奇妙な冒険ストーンオーシャン」を売り、車中泊して次の日に5000円握りしめて勝負したら15分でなくなり終了したこともありました。苫小牧から札幌に帰った時の記憶は何もありません。
それでも好きでした。

こんなに苦汁で唾液まみれになってるのに好きなのはやはりヒリヒリするからなのでしょう。負けたら一文無し。それに勝った後に食べるびっくりドンキーのチーズバーグディッシュは体にカロリーが一気に戻ってくる感じがして格別です。
またその感覚を味わいたくてパチスロをやりに行ってました。

しかし、25歳で上京した時に辞めました。理由は僕なんかよりもずっと面白いのにギャンブルで借金こさえてお笑いを辞める先輩をたくさん見ていたので。間違いなく売れてたと思うのですが、どうにもこうにもならないレベルの額。そんなバイバイドラゴンワールド(ドラゴンボールの最終回のタイトル)は悲しすぎるので。
ただ僕もパチスロの台がそのまま脳ミソの変わりに入っているくらい四六時中考えていたので、
「時計じかけのオレンジ」の矯正プログラムとまったく同じことをやって脳からパチスロというものを抜きました。ほんとです。絶対にやりました。

そうして辞めて約15年がたち、とんでもないニュースが舞い込んできました。

「パチスロ北斗の拳復活」

細かい説明は難しいのでなくしますが、
簡単に言うと僕が頭弾け飛ぶくらい大好きだった台の新作が20年ぶりに出るということでした。
さすがにいてもたってももういっちょいても、いられず当時一緒にパチスロをやってた札幌芸人メンバーが集結して朝イチから並んでやりに行きました。
15年ぶりに並んでワクワクが止まりません。
急いで席につきほどなくしてボーナスが当たり連チャンもしてゲーム性も楽しくとてもとても有意義な時間です。ですが、何か昔とは熱量が違いました。
他のみんなは当時と変わらない熱量で叫んでやっていました。ですが、何か違いました。2秒くらい考えてすぐにわかりました。

「死線だな」

死線をくぐってないのです。今日負けても終了じゃないのです。あの頃とは3枚のコインをパチスロ機に入れる価値が変わっていて、昔は筋トレになるくらいコインを強く握りしめて入れたもんですが、今は握力1くらいの感じで握っているのです。
そうですよね。正直今は負けたとしても死ぬわけじゃないです。貯えも多少なりともあります。しかし、あの頃は負けて一文無し、お店から家まで歩いて1時間半かけて帰る。道ばたにお金落ちてる! と、思ったらガラスの破片で指切りかけたこともあります。そんな時と一緒なわけがありません。

死線を取り戻すには僕がもう一度一文無しになればいいのです。しかし、そうなりたいわけではありません。いや、そうなる勇気がないとも言うのかもしれません。わがままです。

多少お金に余裕がある状態でやるパチスロはギャンブルではなくレジャーです。とても楽しいですが死線はありません。
不思議なことに目がギンギンで「必ず勝つぜ!」とギラギラはせずに余裕がある状態でやってる今はよく当たります。彼女いる人が付き合いで合コンに行ったらなぜかモテるのと同じことです。
でもお金が全然ない頃にギラギラしながらやってたパチスロの方が一瞬一瞬、一秒一秒の熱量があったのはたしかです。
そして、ギャンブルでお笑いを辞めた先輩方はさらに強い死線をくぐろうとしたがくぐり切れず死んでいったのですが大好きなパチスロをやりながら死線を感じた時はさぞ楽しかったことでしょう。

果たしてどっちが良いのかはわかりません。お笑いを辞めることになっても味わえたそれの方が良いのかもしれないですし。感じ方はすべて人それぞれです。

パチスロ北斗の拳の復活によって色々と考えさせられました。こんななんともいえない気持ちになるとは思いませんでした。
ただひとつわかったことはあります。
C-C-Bが言ってた
「ないものねだりのアイウォンチュー」
はこういう状況のことなんだな。

<第5回に続く>

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