ミステリの名手・北森鴻の代表作、再始動!――『凶笑面 蓮丈那智フィールドファイルI』 北森 鴻 文庫巻末解説【解説:岩井圭也】

文芸・カルチャー

公開日:2024/5/4

「異端の民俗学者」の推理は深淵に潜む真実を炙り出す
『凶笑面 蓮丈那智フィールドファイルI』 北森 鴻

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

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『凶笑面 蓮丈那智フィールドファイルI』文庫巻末解説

真実を追い求める者

解説
いわ けい(作家)  

 私たちが〈真実〉と呼ぶものの正体は、いったい何なのだろう?
 連作短編集『凶笑面きょうしょうめん 蓮丈那智フィールドファイルI​』を読むと、そのような疑問を抱かざるを得ない。
 本作は、異端の民俗学者・れんじようを主人公に据えた「蓮丈那智フィールドファイル」シリーズの第一作であり、表題作をふくむ五編が収録されている。とうけい大学助教授の那智は、己の興味をひく題材があると知ると、迅速に調査対象地へ足を運ぶ。高名な民俗学者である那智のもとには、数々の興味深い情報が寄せられる。類例のない奇妙な祭り、まがまがしい笑みを浮かべた面、異常な造りの離屋はなれ、などなど。那智は現地調査を通じて、その裏に隠された〈真実〉をあぶり出そうとする。
 語り手は那智の助手、ないとうくにだ。内藤は教務課との予算折衝や試験の採点といった面倒な仕事をこなしつつ、那智のフィールドワークに随行する。そして那智と内藤が赴く先では、たびたび血なまぐさい出来事が起こるのだ。
 本作では、「民俗学上の調査」と「殺人事件の捜査」とが絡み合って進行する。ここまで話せば、ミステリーに親しんだ読者のみなさんであれば、本シリーズの趣旨を先読みできるはずだ。つまり、「民俗学的考察と事件の真相との間には、何らかの相関関係があるのだろう」と。その推測はおおよそ当たっている。
 おおよそ、といったのには理由がある。実は、その両者は必ずしも相似形を示す。ネタバレとなるため詳しく語ることは避けるが、ある一編は、読者の「このシリーズはこういう展開になるだろう」という先入観すら利用している。その仕組みに気付いた時、作者・きたもりこう氏が仕掛けたわなの周到さに舌を巻くはずだ。

 収録されている五編はいずれも、本格ミステリーに分類される作品である。すなわち、事件の手掛かりがフェアな形で示され、その手掛かりをもとに、読者は探偵役とともに〈真実〉を追いかける。
 ただし、ここでいう〈真実〉には二つの意味がある。先に述べたように、民俗学的な意味での〈真実〉と、事件の〈真実〉だ。後者については、作中できわめてクリアな形で示される。それゆえに、読者は本格ミステリーとしての深い満足感を得ることができる。ただ、前者についてはどうだろうか。
 たしかに、作中では数々のなぞめいた伝承やさいに、納得感のある解答が与えられる。蓮丈那智が理路整然と語る考察は、きわめて〈真実〉らしく聞こえる。だがそもそも民俗学に──いや、あらゆる学問に──〈真実〉などというものは存在するのだろうか?
 歴史上、定説とされてきたさまざまな学説が、新たな説によって幾度も覆されてきたことは周知の通りだ。地動説を唱えたコペルニクスや、自然発生説を否定したパスツールの例はあまりにも有名である。本書で那智が示した華麗な考察も、今後絶対に覆されない、と断言することはできない。民俗学に限らず、学問を通じて〈真実〉に肉薄することはできるだろうが、絶対的な〈真実〉を立証できるとは言えないのだ。
 ここで冒頭の問いに戻る。私たちが〈真実〉と呼ぶものの正体は、いったい何なのだろう?
 蓮丈那智は、作中でこう語っている。
「必然性の重なりが示したベクトルの先にあるものは、いつだって真実の名を冠される資格を有している」
 端的だが、核心を突いた一言である。
 つまり、〈真実〉とは不変の存在ではなく、あくまで暫定的な解に過ぎない、ということだ。そして〈真実〉へと近づくには、必然性を一つ一つ重ねていくしかないことも読み取れる。
 この指摘は、あらゆる学問、そしてあらゆる探偵小説に通じることではないか。人はややもすると、突飛で目を引くアイディアに飛びつきたくなる。だがそういった派手な説が、必ずしも〈真実〉であるとは限らない。結局、学者も探偵も、ゴールを目指して着実に事実を積み重ねるしかないのだ。その一面において、両者はまったくの相似形である。
 手間と時間をかけてコツコツと調査(あるいは捜査)を進めるような営みは、タイムパフォーマンス(時間対効果)が重視される現代においてはなじみにくいのかもしれない。より短時間で、より手軽に、必要十分の情報を得ることがよいとされる傾向は、令和に入ってますます加速している。
 本書の第一話「鬼封会」が「小説新潮」に掲載されたのは一九九八年であり、すでに四半世紀が経過している。現代的な視点からすれば、那智や内藤が遠く離れた地域に足を運んで調査に没頭する様子は、きわめてタイムパフォーマンスが悪く見えるだろう。スマホが普及した令和の世において、少し検索すれば〈真実〉らしきものを手に入れることはそれほど難しくない。
 だが私の目には、効率を追う時代だからこそ、那智のしんな研究姿勢がいっそう輝いて見える。どんなに遠くとも現地に赴き、自らの目や耳を使って検証し、少しでも〈真実〉へ近づこうとする姿は、四半世紀を経てもまったく古びていない。
 蓮丈那智は誰よりも純粋に、〈真実〉を追い求める者だと言ってよい。その鋭い洞察力は、探偵小説史に名を残すヒーローたちと肩を並べ得るはずだ。

 最後に、個人的な余談を記すことを許してほしい。
 実は、私が小説を書きはじめるきっかけとなったのは北森氏の作品だった。雑誌「小学三年生」に連載されていた「ちあき電脳探てい社」という作品を、少年時代の私は夢中で読んだ。魅力的なキャラクターが躍動するジュブナイルミステリーで、今読んでも格段に面白い(本作はその後、二〇一一年にPHP文芸文庫から『ちあき電脳探偵社』として刊行された)。
 毎月首を長くして次号を待っていたのだが、「ちあき電脳探てい社」の連載は一年で終了。続きを読めなくなったことに落胆した私は、「自分で同じような話を書けばいい」という結論に至り、小説らしきものを書きはじめた。もっとも、小学生の私はキャラクター設定を考えただけで満足し、ついに一編も書き上げることはできなかった。だが、幼心に抱いたあこがれは、その後も消えずにくすぶり続けた。
 ──いつか、小説を書きたい。
 その思いは後年になって結実し、三十一歳の時に小説家デビューを果たした。影響を受けた作品は多数あるが、北森氏の「ちあき電脳探てい社」がなければ、小説家になっていなかったのはたしかだ。
 デビューから六年目、私のもとに文庫解説の話が舞い込んできた。解説執筆の依頼は作家になって初めてだ。編集者氏に作品のタイトルを尋ねると、こう返ってきた。
「お願いしたいのは『凶笑面』という作品でして……」
 背筋に寒気が走った。小説家になって初めて書く解説が、北森鴻の作品だって? あまりにもできすぎていやしないか? 寒気の余韻を感じつつも、当然、私は二つ返事で依頼を受けた。
 北森鴻がきっかけで小説を書くことを志した少年が、二十年以上の時を経て、今度は北森鴻の文庫解説を執筆する。偶然と言えばそれまでだ。だがもしかすると、この裏には何か強力な力が働いているのではないか──。
 一瞬そう考えたが、蓮丈那智の鋼鉄はがねの視線が脳裏に浮かび、慌てて打ち消した。

作品紹介・あらすじ

凶笑面 蓮丈那智フィールドファイルI
著 者:北森 鴻
発売日:2024年04月25日

ミステリの名手・北森鴻の代表作、再始動!  民俗学×本格ミステリ
「異端の民俗学者」と呼ばれる蓮丈那智の研究室 には数々の依頼が舞い込む。助手の内藤三國と共に那智が赴くと、なぜか調査は事件へと変貌する。激しく踊る祭祀の鬼。凶々しい笑みの面の由来。丘に建つ旧家の離屋に秘められた因果。三國が遭遇した死亡事故の顛末。才能と美貌を兼ね備た那智の推理は深淵に潜む真実を炙り出す。過去と現代を結ぶ殺人事件に民俗学的考察が冴え渡る5篇。北森鴻の代表シリーズ、待望の再始動!

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