清掃工場の思い出(後編)/絶望ライン工 独身獄中記⑱

暮らし

公開日:2024/5/15

絶望ライン工 独身獄中記

ほうじ茶を淹れて、温かい部屋に戻った。
パソコンを開いて動画投稿サイトを眺め、皆からのコメントを読みながら一服つける。
隣ではキツネ色の小動物が、ぐうぐうと寝息を立てて丸まっていた。
そういえばメッセージが来ている。見知らぬ女性からである。今度飲みに行きませんかと、お誘いの内容だった。
返信はしない。迷惑だなと難しい顔を一応作るが、内心はそうでもない。
しかし今は女性と飲みに行くよりも、ずっと楽しいことがある。
日々の暮らしである。
働き、飯を作り、動画を撮り、原稿を書き、たまに曲を作る。
世の中に必要とされる喜びを1秒たりとも逃したくはない。
この執着心をどうやら、幸せと呼ぶらしい。

もらい泣き、もらい泣き──
もらい泣き?
ああ、そうか。随分と甘い夢を見たものだな。
不気味な歌で目が覚める。もうすぐ昼休みが終わるようだ。
ここは清掃工場の休憩室、そしておれ、、は絶望ライン工である。
管理棟から出て手袋と腕カバーをつける。
どちらも濡れてキンキンに冷えてやがる。冬の清掃工場、それは人生の試練だ、ジャッジメントだ。
シベリア送りよりはマシだろうと言い聞かせ、ヘルメットを被り午後の配置を確認する。
後列の仕分け作業だ。楽だが時間の経過が4倍遅い、戦闘終了まで解除不能なステータス異常を伴う。

ベルトコンベアで流れる資源ゴミの中から、ペットボトルを掴んでは回収場所へ落とす。
スチール缶はマグネットで吸着できるが、アルミ缶、瓶、ペットボトルは人力で仕分ける。
その作業を延々とやるのだ。それがここの仕事のすべて、おれの仕事のすべてである。
下の階ではフォークリフトが溜まったゴミをパレットで移動させている。
フォークは誰もが憧れる、この職場で最も身分の高い存在だ。
正社員だけが乗ることを許され、場内を移動する際は作業を止めて道を開けねばならぬ。
「フォーク通るぞ」
その一声で皆が手を止め、直立で見送る様はまるで大名行列のようである。
そんな旗本の駕籠のようなフォークリフトは工場に2台しかなく、異なる部署とも共用されていたためよく揉め事が起きた。
誰が乗るのか。今日は入荷があるからうちらが乗る、いや昨日散々使っただろ、こっちで動かす。お前昨日ぶつけたな、報告したのか。パレットの積み方が汚い、場内の速度が速すぎるだの、遅すぎるだの、やんや。
これらは総じてフォークリフト紛争と呼ばれ、当事者間に甚大な被害を出した。

フォークの数も足りないが、常に人も足りていなかった。
過酷な業務内容に加えて人間関係も劣悪であり、毎週のように逃亡者(所謂バックレ)が出るからだ。
ラインに穴が開けばその分後方の仕事量が増え、スピードを下げて稼働させるしかない。
一日の処理能力は著しく低下し、清掃の時間も作業をさせられた。
次の日来なくなるのは当たり前、昼を買いに行くと言って初日の午前中でバックレた人もいた。
昼飯を買える場所なんて、どこにもないのに。
そんな脱走兵がある日ふいに戻ってくることがある。
敵前逃亡は銃殺刑が妥当であるが、彼らは皆あたたかく迎えられた。
「よく戻って来てくれた、ありがとう」
工場長も班長も我々も、全員気持ちは同じである。
それくらい人が足りていなかった。

非正規雇用形態の労働者は中年男性がそのほとんどを占め、自分を含め孤独な低所得者がこれでもかと集った。
休憩の度に喫煙所に行くので皆煙草臭く、彼らのほとんどは独身で、訳アリだ。
年老いた母を自宅介護し早朝は新聞配達、工場に早出して入荷作業、遅く来た我々と夕方までラインで働いていたオッサンのことをたまに思い出す。
「俺の人生なんもね、地獄だ。やんなっちまう」
そう漏らしていた彼と去年偶然再会した。向こうは気が付いていないが、あのオッサンだ。
ヨレヨレの服を着て、スーパーのレジに並んでいた。
カゴの中をこっそり覗き見る。5食入りのインスタントラーメンがいくつもドカドカと入り、あとは2Lコーラとジュースのペットボトルが転がる。
「これに入れて」
ポケットからくしゃくしゃに丸まったコンビニのレジ袋を店員に渡すのを見たのが、オッサンの最後の記憶である。
彼の地獄はまだ続いている。それを嗤う者も、莫迦にする者も、優しく手を差し伸べる者も、誰もいない。
誰も彼を気にかけない。
透明な存在となったオッサンに、世界は残酷なくらい無関心であり続ける。

そしておれの地獄はというと、どこからか蜘蛛の糸が垂れてきた。
細いが、強くしなやかな糸だ。
惨状を見かねた友人が、まとまった作編曲の仕事をふってくれたのである。
当時私は、売れないながらも音楽を生業としていた。これで数か月は食うに困らない。
契約満了ギリギリまで延長を考えていたが、手取り14万で暮らした地獄のような月日はこうして終わった。

温かい部屋でほうじ茶を飲みながら、これを書いている。
この時に比べたら随分と今が幸せであると、しみじみ思う。
幸福を感じたいなら比較すればいい。
他人とでもいいし、過去の自分でもいい。
幸福はいまや絶対的なものではなく、基準からの相対値を測るリレイティヴな価値観なのだから。

しかしながら絶対的な幸福も確かに存在する。それはアブソルートな価値観だ。
隣で寝息を立て丸くなる柴犬を見た時、それを感じる。

<第19回に続く>

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絶望ライン工(ぜつぼうらいんこう)
41歳独身男性。工場勤務をしながら日々の有様を配信する。柴犬と暮らす。