大西寿男の「心に刺さったこの一行」――『凹凸(おうとつ)』『神戸・続神戸』
公開日:2024/5/15
忘れられない一行に、出会ったことはありますか?
つらいときにいつも思い出す、あの台詞。
物語の世界へ連れて行ってくれる、あの描写。
思わず自分に重ねてしまった、あの言葉。
このコーナーでは、毎回特別なゲストをお招きして「心に刺さった一行」を教えていただきます。
ゲストの紹介する「一行」はもちろん、ゲスト自身の紡ぐ言葉もまた、あなたの心を貫く「一行」になるかもしれません。
素敵な出会いをお楽しみください。
大西寿男の「心に刺さったこの一行」
ゲストのご紹介
大西寿男(おおにし・としお)
校正者/文筆家/一人出版社「ぼっと舎」代表
1962年、兵庫県神戸市生まれ。岡山大学で考古学を学ぶ。
88年より、校正者として、河出書房新社、集英社、岩波書店、メディカ出版、デアゴスティーニ・ジャパンなどの文芸書、人文書を中心に、実用書や新書から専門書まで幅広く手掛ける。
一方で、「ぼっと舎」を開設、編集・DTP・手製本など自由な本づくりに取り組み、企業や大学、カフェなどで校正セミナーやワークショップを担当。技術だけでなく、校正の考え方や心がまえも教える。2016年、ことばの寺子屋「かえるの学校」を共同設立。
著書:『校正のこころ』(創元社)、『校正のレッスン』(出版メディアパル)、『かえるの校正入門』(かえるの学校)他
TV出演:NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」
【忘れられない一行】紗倉まな『凹凸(おうとつ)』(KADOKAWA)より
河出書房新社が千駄ヶ谷から神楽坂に移転した。
『文藝』2024年夏号には、「さよなら渋谷区千駄ヶ谷2-32-2」という特集が組まれている。その中の山田詠美さん、中原昌也さん、青山七恵さんのエッセイを、千駄ヶ谷の本社ビルの一室で校正をさせていただいた。ぼくにとって、最後の千駄ヶ谷での出張校正(*)だった。
*出張校正:出版社や印刷所に出かけて集中的に校正作業をすること。
『文藝』は、ぼくが校正者になるきっかけを与えてくれた、始まりの現場だ。1988年、数えればもう36年になる。右も左もわからない新人の自分が、ドキドキしながら千駄ヶ谷に通っていた。エッセイに記されたお一人お一人の思い出が、自然に自分のそれと重なっていった。
半月後、見本誌が届き、自分が担当しなかったページを開いていて、紗倉まなさんの短編小説「やっぱりなしでもいいですか」に目がとまった。面白かった。紗倉さんの小説を読むのは初めてで、ほかにも読みたくなり、手に取ったのが本書、第2作であり初の長編小説でもある『凹凸(おうとつ)』だった。
読みはじめてすぐに感じたのは、とても抑制された文章ということ。ひと言ひと言、確かめるように、母と娘、父と娘の物語が視点を変えて、連作の短編小説のように紡がれる。
栞(しおり)は24歳、ゲームセンターでアルバイトをしている。年上の恋人の智嗣(さとし)は映像製作の仕事でほとんど会社に入り浸っている。2人は智嗣の部屋で同棲している。
絹子は18歳で家から逃れるように結婚。13年後に栞を授かるが、栞が中学2年生、絹子が45歳のときに夫の正幸に見切りをつけ、現在はトイレ掃除の仕事をしながら一人で暮らしている。
絹子が家を出たかったのは、両親があまりにも破天荒で、その呪縛からも、不安で不安定な生活からも逃れたかったから。万引きなどしなくていい、「ふつうの生活」がうらやましかったから。
そうして得た正幸との穏やかなはずの生活は、しかし、やがて日が傾き、西の空が刻々と色を変えていくように、2人の関係に深い変化をもたらすことになる。
わたしたちの船には目には見えない無数の小さな穴が開いていて、気付いた頃には深いところまで沈み込んでいた。
デザイナーの正幸は自分のセンスに合わない仕事を断りつづけ、稼ぐということには無頓着で、絹子は内職を始める。栞が生まれ、男女の関係がなくなった夫は、へたなウソをついては出かけて女の許に通うように。そしてついに、破局が訪れる。
正幸も、絹子の父の辰夫も、夫として、子の父として、どうしようもない男たちというほかない。結婚なんて、男なんて、何のあてにもならない。なのにどうして人は結婚するのだろう。
これまで結婚というものを避けてきた栞は、穏やかな智嗣との暮らしの中で、次第に自問することが増えていく。中絶したことを知ってショックを受けている智嗣に栞はいう。
赤ちゃんよりも婚約指輪が欲しいの。
智嗣の人として、男としての穏やかさは、救いの泉のようだ。
「待てるひとと、待てないひとがいる」と栞は思う。帰ってくる人を家で安心して待つことができる人は、きっと、帰ってこなかったらどうしようと不安にさいなまれたことのない人だ。智嗣はその意味で、待てる人なのだろう。
にもかかわらず栞は、自分と母を捨てた父と智嗣が、よく似ているような気がすると思う。
凹(ぼこ)と凸(でこ)。成り合わないところを成り余ったところで塞ぐことができれば(古事記)、人は満たされるのだろうか。
わたしのマイナスが、あなたのプラスでゼロになればそれで良い。そう願っただけなのに。
誰とも夫婦になりそこねた正幸にも、寄り添う栞と智嗣の姿を見つめて、救いが訪れますように――。どうしようもない男の一人として祈らずにはいられない。
【忘れられない一行】西東三鬼『神戸・続神戸』(新潮文庫)より
何かの話の流れで、実家は神戸ですというと、時に(とくに東京あたりでは)「神戸ですか。おしゃれですね〜」と返されることがある。「いえいえ、神戸といっても下町の、“じゃりン子チエ”みたいなところですから」といちおう訂正はするけれど、「神戸」というワードのかもしだす好印象は、なかなか強固なものであるらしい。
長屋とアパートと町工場がひしめく、けっしてお上品とはいえないエリアで生まれ育ったぼくにも、しかし、おしゃれな「神戸」のイメージは、物心ついたときから確かにあった。異人館のある坂道、六甲から眺める100万ドルの夜景。ハイカラで、エキゾチックで、スマートな港町。
やがて街の風景はどんどん変わっていった。地上げとバブルの狂乱、阪神淡路大震災、再開発、少子化とドーナツ化現象……。この30年余りのうちに、街から神戸らしさが薄れ、だんだんよそよそしい顔に変わっていったと感じてしまうのは、きっとノスタルジーだけじゃない。
だけど、「神戸らしさ」って、なんだろう。どうであれば神戸らしくて、どうであれば神戸らしくないのだろう。
西東三鬼(さいとう・さんき)はこんなふうにいっている。
そもそも私が神戸という街を好むのは、ここの市民が開放的であると同時に、他人の事に干渉しないからである。誰がどんな生活をしていようと、どんな趣味を持っていようと、それはその人の自由であるとする考え方が、私の気性にあうのである。
ひと言でいうと、「コスモポリタン」の街、ということになるだろうか。
三鬼の自伝的エッセイ「神戸」「続神戸」を読むと、いまは消えゆく「神戸らしさ」が確かにここには息づいている、と思わされる。
モダニズム俳句の旗手として一世を風靡(ふうび)した西東三鬼が、《東京の何もかもから脱走》して神戸の坂道に立ったのは、昭和17(1942)年の暮れ。真珠湾攻撃から1年、三鬼にとっては、特高警察の弾圧(京大俳句事件)により執筆を禁じられて2年余りのことだった。
それは奇妙なホテルであった。
朱塗りのそのホテルに暮らすのは、白系ロシア人の女、トルコ系タタール人の夫婦、エジプト人の男、台湾人の男、朝鮮人の女。日本人は街のバーで働くマダムたちが10人に病院長の男。そこに三鬼が加わった。
ここに登場する一人ひとりがまたじつにあやしく、とんでもなくへんてこりんで、思わず笑ってしまうような強烈な個性の持ち主ばかりなのだが、いまは一人だけ紹介したい。エジプト人のマジット・エルバ氏である。
世界を流浪の末、神戸に根を下ろして10年。食肉店の店主をしている。ナポレオンが追放されたエルバ島の出身というのが彼の自慢。
三鬼とマジットは、夜な夜な2人でレコードをかけ、黙って煙草を吹かす。戦争でもはや手に入りにくいビールを、どこからかマジットが調達してくる。トルコからエジプト、アフリカあたりの音楽に、マジットは感極まってでたらめ踊りを踊り、三鬼は狂喜の拍手を送った。
へたくそな日本語で「ワタシビンボウ、センセイビンボウ」という彼には、しかし、時に大金が入ることがある。すると、いつも自分に軽蔑の目を向けてくる同宿のバーの女たちの中から、いちばん若くて肉感的な一人の店に押しかけ、札びらを切り、彼女と一夜を過ごして帰ってくる。たちまち貧乏に逆戻りしてしまったというのに、案ずる三鬼にウインクして「オーマー・カイヤム」と、ペルシャの楽天詩人の名前を唱える。
ほら吹きの彼の世界漫遊談はいつまで聞いていても飽きない。かと思うと、戦勝続きで日本中が沸き立っているのに、三鬼にだけは「ニホンカワイソウ」とささやくのだった。
ホテルの中で、三鬼以外にたった一人、彼の味方だったホテルの老支配人が急死したとき、通夜の席で最も大きな声で号泣した。《死者の足の裏を自分の黒い額に押し当てて》──。
「コスモポリタンのハキダメ」に生きる彼ら・彼女らを、三鬼は持ち上げることも見下すこともしない。彼ら・彼女らとどっぷり交わりながら、少しだけ異質な「センセイ」として、彼ら・彼女らをハラハラと見つめ、はからずもおせっかいを焼きつづける。
自分の中には「誰も納得してくれない阿呆性」があると三鬼はいう。その自分の阿呆さから逃れたくて、妻子も捨てて来た神戸で、彼は自分に輪をかけた阿呆たちを見た。しかも、その阿呆たちは、気高く、卑しく、その日その日を勁(つよ)くずるく生きていた。
三鬼が楽に息ができただろうことは想像にかたくない。生きている実感も得られただろう。
全身で何か新しい人生の出来事を期待していた
三鬼は、求めていた何かを得られただろうか。
彼ら・彼女らの多くはその後、死んでしまう。三鬼は死んだ人のことばかりを書こうとしたわけではないという。ひとりでにそうなったのであり、なぜそうなったかは判らない。
ただ一つ判っていることは、私がこれらの死者を心中で愛していることだ。
私たちはよく、“ありのままの自分”でいられたら、と願う。“ありのままの自分”でいられないのは苦しいと、訴えたくても訴えられない日々がある。
ここには“ありのままの人間”の姿が、そっくりそのまま映し出されている。何のエクスキューズもなく。
“ありのままの人間”を、あなたは愛することができますか。
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書籍情報
『凹凸(おうとつ)』(KADOKAWA)
著者:紗倉まな
発売日:2017年03月18日
小説デビュー作『最低。』の映画化が決定した紗倉まなによる初の長編小説!
結婚13年目で待望の第一子・栞が生まれた日から、その夫婦は男女の関係を断った。
やがて夫の正幸と決別することを選んだ絹子は、栞を守るため母親としての自分を頑ななまでに貫こうとする。
しかし、絹子のもとを離れ24歳になった栞は、〈あの日〉の出来事に縛られ続け、
恋人の智嗣と実の父親である正幸を重ね合わせている自分に気が付いてしまう。
家族であり、女同士でもある、母と娘。
小説デビュー作『最低。』で若い女性から圧倒的な支持を集めた著者が、
実体験を基につづった、母子二代にわたる性と愛の物語。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/321605000565/
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『神戸・続神戸』(新潮文庫)
著者:西東三鬼
発売日:2019年06月26日