第9回「私の青春は間違ってなかった」前編/酒飲み独身女劇場 ハッピーエンドはまだ来ない⑨
更新日:2024/5/31
最近、低気圧の時のように身体が沈んでいくような毎日を過ごしていた。
やる気もなければ生き甲斐も見当たらないの。
新しい季節の移り変わりで、大好きだったアニメが終了してしまったから。
続きがあるとわかっているものもあれば、いつまで経っても更新されないものもある。
「推しキャラつくっておけばよかったなぁ…」といつも思う。
放送が終わってしまっても次々と新しいグッズも出るし、
キャラクターソングやドラマCDも発売されるので少しは寂しさがやわらぐはずだ。
私は、その物語全体の、いわゆる箱推しタイプ。
放送が終わったら線香花火がぽとりと落ちるように、楽しみはぷつりと途絶え、お先ぶつんと真っ暗になってしまう。
最終回に向かえば向かうほど好きは深まるのに、好きで好きでたまらなくなった頃には全てが終わっているのだ。
作品が終わってしまうことは、恋より切ないんじゃないの。
だって、もう、登場人物たちに会うことはできない。一度見てしまった作品は、脳みそに大切にしまわれた思い出に変わってしまう。
新しい彼らに会えないことが辛い。無人島に一人残されたような孤独が残る。まだ応援したかったのに。最悪な毎日だ。でも、あそこで終わらなかったらバッドエンドになっていたかもしれない。
ハッピーエンドの後の人生はどうなっているんだろう。うーん、やっぱり気になる…。
あんなに好きだったとしても、お湯を沸かせそうなほど熱かった想いを閉じ込めておけるジップロックは存在しない。
日常の空気に触れているうちに、いつのまにか気持ちは淡雪がとけるように少しずつ少しずつ無になっていく。
いつまでも、あの時の気持ちを保温しておけない自分のことも同時に嫌になる。
それなのに、また苦しくなるとわかっているのに、また推し作品を見つけてしまう。
助けてくれ。
『霧尾ファンクラブ』
つい最近、また心を鷲摑みにされてしまった。
私のハートを摑んだ作品。それは漫画『霧尾ファンクラブ』。
外に出たタイミングで、嘲笑うかのように雨で殴りつけてきそうな意地の悪い灰色の空。
勝手に天気と気分がウォーターボーイズのようにシンクロする。とにかくじめっとした憂鬱な昼下がりだった。
「今日もやる気が起きないから漫画でも読むか〜」と、未読本のバベルの塔からどれか1冊引き抜こうとした。そっと、そっと、ジェンガのように。
その時に、ぐらりと塔のいちばんてっぺんから落ちてきた1冊に頭を撃ち抜かれた。
「あいたたた…」と誰にも聞こえないみっともない声を上げ、そのまま機嫌の悪くなった手のひらでめくる1ページ。
「ヒャッハハハh…!」
さっきまで、しかめっ面をしていた自分が、顔をくしゃくしゃにしてしょうもない声を上げている。なのに、次のページでは切なくなったり、涙が込み上げていたり。情緒不安定がすぎる。
ひとり家にいるだけなのに、喜怒哀楽を引き出してくれる力を持った漫画だった。
『霧尾ファンクラブ』の主人公は女子高生ふたり組。
このふたりには好きな人がいて、彼は霧尾くんと呼ばれている。
霧尾くんが泣いていたらその涙はなめたいし、「彼の好きなところは?」と聞かれると目耳鼻口毛骨胃肺心臓肝臓じん臓すい臓、挙げたらキリがない。授業中も放課後もずっと霧尾くんの姿を遠くから見守っている。
彼の新しい一面や一挙一動が見れるたびに、あーだこーだ言いながら、霧尾くんから得た幸せをふたりで分かち合う。
読めば読むほど、どんよりとした世界が、懐かしい16色のクレヨンでカラフルに上書きされていく。底抜けの明るさに、おかしい涙が滲み思わず目を閉じそうになる。
気付けば心も空も布団を干したくなるような光のような青に染まっていた。霧尾くんが笑いかけてくれてるみたいな空だった。
青春の模範解答
きっと、ふたりは霧尾くんのことが本当に好きなんだろう。でも、その好きは、最早それは尊い存在、推しなんだよね。
いつだってふたりの話題の中心は霧尾くんで、いちばんの好きを誰よりも理解し合える相手だから、ライバルだとしても寄り添える。
ただのラブコメギャグ漫画だと思って最初は読んでいたけど、読めば読むほどもしかして…と胸のざわつきが止まらない。なんだこの感情。今まで味わったことのない気持ちが、入れすぎた炭酸のように溢れてざわめく。
漫画で描かれる高校生活といえば、部活の友情や努力や甘くて苦い恋物語ばかりだった。
当たり前のように、それが青春の模範解答だと思っていた。
模範解答に沿って丸つけしていくと私の高校時代は、帰宅部かつ青春の1ページどころか1行目すら始まることはなく終わってしまった。
一体、何をしていたかというと、高校2年生までは推しについて永遠と友達と語り合いキャッキャッとはしゃぐ日々だった。
もちろん自分は、恋物語の舞台のキャストには含まれていない。
しかし、『霧尾ファンクラブ』は、外野として憧れの声を上げ続けていたあの日々も立派な青春だよ、とそっと肩を組んで肯定してくれた。
霧尾くんと結ばれるためのおまじない。
カバーを外した消しゴムに願い事を書いて、最後まで誰にも見られず使い切ることができたらその願いが叶う。
そんなわけ…と思っていても、もしかしたらと物凄いスピードで使い切ろうとする主人公の姿を見ていると、消しゴムで消されかけていた記憶を思い出した。