『8月31日のロングサマー』男子校出身作者が大学で出会った彼女。この時代にあえて“恋愛”の魅力を描く理由【伊藤一角インタビュー】
更新日:2024/6/23
2024年5月22日に最新刊となる第4巻が発売された『8月31日のロングサマー』(講談社)。
物語の舞台は、夏休み最終日の8月31日でタイムループしている世界。それに気づいているのは、2人の高校生・鈴木くんと高木さんだけ。
何度も繰り返される8月31日の中で、彼らの成長していく様子や恋愛模様を繊細に描き出し、多くの読者から共感を呼んでいる。
本記事では、漫画家の伊藤一角さんと、担当編集の鈴木さんにインタビューを実施。作品に込めたメッセージや創作の秘密に迫った。
創作の根っこにあるのは、恋愛をきっかけに世界が広がった原体験
――『8月31日のロングサマー』のアイデアや創作のきっかけを教えてください。
伊藤一角(以下、伊藤):『8月31日のロングサマー』は本当に偶然思いついた話で、創作のきっかけになにかドラマティックな出来事があるわけではないんです。「主人公が未経験」という設定も、それありきではじまったわけではないのですが、ループを抜けられないのは“卒業”できなかったからという設定はウケそうだ、と思いつき、そこから“卒業”するなら夏だろう と、夏を舞台にした物語に決めました。
『8月31日のロングサマー』では男女の恋愛模様を描いていますが、「恋愛しようよ!」ということを啓蒙したいわけではなく、恋愛というイベントを通してひとりの人間と向き合うきっかけが生まれることを描きたかったんです。連載が進むにつれ、主人公が未経験という設定から「自分はこういうものが描きたいんだな」と分かってきた感じですね。
――ご自身の経験が活きている面もあるのでしょうか?
伊藤:僕自身、中高一貫の男子校出身だったので、大学に進学するまで周囲に女性がいない環境で育ってきました。個人的な考えですが、すごくいびつな青春をおくっていたと思います。そこから大学に入学し、彼女ができたり、女友達ができたりと、今までとはまるで違う環境に身を置くことになりました。そのときに感じた衝撃が自分に大きく影響していて、作品作りの根っこになっているのかもしれません。
僕は思春期の頃、少し人からずれている若者で、そのことにあまり問題意識を持っていなかった。でも、ずれている自分自身を良しとしていると、社会と向き合いきれないところが出てくるぞ、ということを恋愛を通じて知ったんです。
恋愛を通して世界を変えてもらった、ちゃんとした人間にしてもらった、今でもそう思っています。だから、大学時代の彼女には感謝の思いがとても強いですね。
――その彼女さんが、高木さんというキャラクターに似ていると感じることはありますか?
伊藤:『8月31日のロングサマー』は、ループを脱出するためにいろんなイベントを鈴木くんと高木さんでこなしていく、という設定ですが、そのイベントを提案するのはほとんど高木さんなんですよね。そういう意味でも、高木さんの存在はまさにそのときの彼女に近いのかもしれません。世界を広げてもらうような形と、2人でいろんなタスクをこなしていくっていうところが、あの頃の恋愛と繋がっているんだなと感じました。
現代はとくに、仕事でもプライベートでも自分にとって大切なものを研ぎ澄ませていくべき、という風潮を強く感じます。僕が10~20代の頃は、個人じゃなくて社会や周囲に合わせることの方が大事だ、といった強迫観念みたいなものが分かりやすく蔓延していた時代でした。
どちらの時代が良い悪い、ではなく、恋愛関係の中で相手の行きたいところや好きな遊びに対して「僕は興味ないから」で終わらせずに、ちょっと行ってみたり歩調を合わせてみたりすることの良さを感じてもらえたらいいな、と思ってこの連載を続けています。
キャラが確立されているからこそ物語が面白く転がっていく
――連載がスタートするまでの経緯を教えてください。
担当編集 鈴木さん(以下、鈴木):連載の元になる原稿に目を通したときに、アイデアの時点ですでに勝っているな、と思いました。それに、ずっと続けられる設定の作品だとも感じましたね。
何より、一番は鈴木くんと高木さんのキャラクターです。本当に存在していそうな魅力がある。しかも「すごいキャラをつくるぞ!」と意気込んでいるわけでもなく、ごく自然な感じでキャラクターが生まれているのが本当にすごいんです。ちょうど漫画編集者としてキャラの大切さを痛感しているタイミングだったので、そういう部分の完成度が高かったことにも驚きました。
ストーリーにも共感する部分が多かったです。僕も昔から恋愛をすることでしか伸びないパラメーターがある、と思っていたので、この物語にはそういうことが描かれている気がする、と惚れ込んでしまいました。これ、よそで連載がはじまったらめちゃくちゃ傷つくなって思ったんですよね。(笑)
――「キャラの大切さを痛感」、とおっしゃっていましたが、そもそも、キャラが確立していないと作品にはどんな影響があるのでしょうか?
鈴木:「漫画は噂話と一緒である」と昔上司に言われたんです。噂話が面白いのは、その噂されている人のことをよく知っていて、人となりが分かっている上で、そことのギャップを感じたり、「あいつって本当にそういう奴だよな」という感覚を覚えたりするから。個人的に、漫画でそういう面白さを提供できるのが一番いいなという気持ちがずっとあって、『ロングサマー』はまさにその面白さを描けていると思います。それはキャラクターがすごく確立されていて、実在性を感じさせるからこそだな、と。
反対にキャラクターがふわふわしていると、作品で巻き起こる出来事がどうでもよくなってしまい、つまらないんです。読者にこのキャラたちが面白いと思わせられないまま、筋書きだけ読ませ続けるのは本当に難しい。もちろん、あまりキャラを立てないでプロットや脚本のパワーで引っ張っていくタイプの漫画もありますが、個人的にはそういう作品をあまり好んで読まないな、というのもあります。
――作中の会話のテンポもすごくいいですよね。
伊藤:僕は会話をすること自体が好きですね。鈴木さんにいつも話し相手をしてもらっています。雑談も何時間でもしていたいタイプです。会話って、自分が話したことに相手がこう返してきた、みたいな将棋的な面白さがあるでしょう。それが楽しいんです。
読者の方からも、作中の会話が面白いと言っていただくことが多いのですが、自分が演劇をやっていた経験が活きているのかもしれません。演劇の演出ではやり取りの間が重視されるので、それを漫画でやっているのが少し珍しいのかもしれませんね。
会話劇的な部分でも、思春期の男子の姿は描き手としても面白いですね。例えば、赤羽根くん。作中の彼らの会話って、男子特有のくだらなさがあるんですよ。バカだなぁみたいな。そういうバカな男子としての時代を通り越してきた身からすると、「ちゃんとした大人になるんだぞ」と見守りたい気持ちになりますね。彼らのそういう愛すべき部分に惹かれて、思春期の男子たちを描いているのかもしれません。