『8月31日のロングサマー』男子校出身作者が大学で出会った彼女。この時代にあえて“恋愛”の魅力を描く理由【伊藤一角インタビュー】
更新日:2024/6/23
アングルを変えることにも変えないことにも意味がある
――同じアングルのコマを連続させて、一コマに一つずつセリフを入れていくような演出も面白いなと思いました。
伊藤:映画で言うところの長回しの手法ですね。僕が個人的に長回しの映画が好き、というのもありますが、作り手側の意図が強く出るカット割りばかりで描いていると、嘘くさくなってしまう気がして。一般的な漫画の場合、毎回アングルを変えて1ページあたり5~7カットになることが多いと思いますが、アングルが変わることが大事なわけではなく、変えることにも変えないことにも意味があると思っています。
ここは長回しにした方がいいんじゃないか、ここは煽りのアップで大事なセリフを言わせると嘘くさくなってしまうんじゃないか、と考えながら作るようにしています。その方が空気感が出る。読んだときに、鈴木くんと高木さんがいる現場をそばで目撃しているような感覚に陥りやすいんじゃないかなと。
会話をしているときにビックリするようなリアクションが起きる場面なら、画面の動きのために腕を大げさに上下させたくなると思うんですが、人間って本当にびっくりしているときには微動だにしなかったりするじゃないですか。表情も意外と変わらない。そういう気づきがあって、あえて大袈裟に描かないようにしていますね。
作者としては、ただのコピペだろうと思われてしまうのが嫌なので、わざと大袈裟に描き分けた方がいいのかなと悩むこともありますが、ちょびっとだけ眉毛を動かしてみたり、表情に変化をつける程度に抑えています。人ってその方が逆に見たくなる気がして。
――会話劇ももちろんですが、「コンビニにスピルバーグが来た」みたいな小ネタも豊富ですよね。普段から頭の中で考えているのでしょうか。
伊藤:スピルバーグのネタは、鈴木くんが変装してコンビニに行く、という流れから生まれたものなんですが、最初はもっと危ない人に見える話を考えていたんです。でも、この作品の中で犯罪性やハラハラ感はあまり出したくなかったので、そうしたらあんなサングラスをかけることになり、スピルバーグになってしまった、という経緯です。(笑)
僕は地味な妄想が大好きなんですよ。100人いたら5人ぐらいに激しく刺さる、みたいな薄くて深い笑いを作中でやってみたかったんです。ただ、序盤はやはり鈴木くんと高木さんの関係性を構築しつつ、ラブコメとして成立させていくことが大切だったので、ネタ的な部分は徐々に小出しにしていきました。
鈴木:伊藤さんは跳躍力がすごいんです。そうはならないだろ、というようなことをポンっと出してくれる。スピルバーグは絶対にコンビニに来ないだろうけど、それをやるからこそ面白いんですよ。
伊藤:こんなことをさせてみよう、みたいなアイデアが湧いてきたらポストイットにさっと書いて、机の上にたくさん貼っているんです。その作業をネームと同時にやっちゃうと自分のアイデアに縛られてしまう気がするので、しばらく放っておきます。実際にネームを切ってみて、そのポストイットのネタからバッサリ減らしたり大幅に変更したりもしつつ、あとは鈴木くんと高木さんの自由にしています。
どの漫画家さんも同じだと思うんですが、キャラクターを作るぞ! と意気込んでも、多分作れないんですよ。鈴木さんが言っていた噂話の例えではないですけど、良いキャラクターだと思ってもらえる人物を描けるようになるには、ずっと漫画を描いているだけじゃダメなんだと思います。漫画とは違う経験をたくさんするしかない。僕の中でそれが一番抽出できる経験が恋愛だったんですね。
恋愛は「人と人とのつながり」を真剣に考える機会
――テーマとして恋愛を扱う上で意識していることがあれば教えてください。
伊藤:恋愛漫画を作るうえで、僕は「人との関わり」という部分についてはある種の使命感をもって描いています。恋愛して結婚して子供を授かることが幸せみたいなことを言いたいわけではなく、相手のことをひとりの人間として理解できて、一緒にいて楽しいなと思えるような「人と人とのつながり」を真剣に考えられる機会…その数多あるうちのひとつが、恋愛なのかな、と。
なにかを学ぶために恋愛しろ、というわけではありません。でも、恋愛では人として大切なことを本当に感じられると僕は思うので、そういう良さを伝えられる漫画を描いていきたいと思っています。
――純愛と性欲は両立すると思いますか?
伊藤:純愛というよりは、人間愛みたいなところでしょうか。人間愛っていうと性欲が絡まない愛情的に捉えられがちですが、性欲も人間愛もそれぞれ両立すると思います。
性欲と表現すると難しく聞こえますが、例えば初めて会った相手に対してかっこいいと思ったり、この人とキスしたいなって思いを抱いたりするのも性欲じゃないかな、と。僕はそういうことは駄目とは思わず、むしろ、性欲とか愛とかどちらか一辺倒に溺れている方が良くないんじゃないのかなと思います。人間関係ってもっと複雑にできているものですから。
――ループものである以上、いつかループを抜け出すときが来ると思います。そこに至る展開はすでに考えているのでしょうか。
伊藤:なんとなくは考えているんですが、そこまで詳しく詰めているわけではありませんね。
付き合ったら終わり、というのはラブコメの様式美ですが、恋愛の面白さというのは「両想いでよかったね」じゃないところにこそいっぱいあるような気がしています。そういう部分によって人間が変わっていくので、物語の中でもやることがまだまだありますね。恋愛経験値で言えば、鈴木くんはディスティニーランドのときに出てきた北くんと同じラインに立ったぐらいでしょうか。赤ん坊がやっとハイハイできるようになったぐらいです。
取材・文=篠原舞、金沢俊吾