sumika片岡健太のエッセイ連載「あくびの合唱」/ 第2回「そりゃあ信じたいよ」
公開日:2024/5/31
こんにちは。片岡健太と申します。
神奈川県川崎市出身。sumikaというバンドでボーカル&ギターと作詞作曲を担当しています。
2022年6月に『凡者の合奏』という自身の半生を振り返る内容の本を出版して以来、約2年ぶりにエッセイを書かせて頂くことになりました。
「おい、てめえ。どんだけ待たせんだよ」
決して広くはない室内に怒声が轟いた。
「すみません。あと15分ほどで終わる予定ですので」
白衣を身に纏った女性が、黒のセットアップに白Tシャツを着込んだ男性におそるおそる伝えた。
「こっちはとんでもない数の人を待たせてんだよ。相手にしてる規模が違うの。規模が。わかる?」と言ったあとにチッと舌打ちして、針に刺されていない方の手でスマホを操作している。
向かいの男性と同じように、僕の左腕にも針が刺さっている。
見上げると、僕の氏名と生年月日が書かれたプラスチックの容器。その中に入った透明な液体は、僕の鼓動に合わせるように左手へと流れ込んでいる。
今日は病院に来た。
特段、身体に不調がある訳ではない。
今は週2〜3本のペースでライブをしているので、身体の回復力をブーストするために、数種類のビタミン剤などを点滴で投与しているのだ。
喉を使う職業の方と点滴室で一緒になる機会もあるので、割とポピュラーなリカバリー方法なのだと思う。時間は毎回30分〜1時間程度が目安だ。
先の見知らぬ先客は、向かい側の椅子に座って、何かしらの点滴を受けている。
僕より後に来て、15分ほど経ったところで先ほどの怒声に繋がった訳である。
この病院には何度も来ているが、こんな人と一緒になったのは初めてだ。
僕は率直に思う。
“この点滴に何らかの細工をされたら、僕たちは簡単に死んでしまうのに”と。
点滴から空気を入れるだけでも、僕たちの身体は簡単に活動を止める。
そんな圧倒的弱者の立場で、何故あのような態度が取れるのだろうか?甚だ疑問である。
これは、医療に従事している方の感情は一旦無視して、物理的に可能か不可能かという話だ。
僕は子供の頃、電車に乗るのが怖かった。
運転手が生きることに疲れ果ててしまって「いっそのこと、この電車を脱線させてしまおう」と決心していたらどうしようかと思っていたからだ。
同じような理由で、飛行機や船に乗るのも毎回怖かった。
自分でコントロールできるようなことでさえ、同じような感情を持っていた。
例えば子供の頃にメンテナンスをしてもらった自転車店の店員さん。彼がイライラしていて、「いっそのこと、この自転車のブレーキを壊してしまおう」と考えているかもしれないと思っていた。
なので、メンテナンス後には必ず短い距離を走り、すぐにブレーキをかけてチェックをしていた。今思えば、相当感じの悪い子供である。
大人になるにつれて、そのような不安は自然と消えていった。
きっと電車は予定通りの時間に到着してくれるし、飛行機も無事に着陸できる。
同じように電車や飛行機に乗っている人を見渡しても、運転手に対して強烈な不信感を持っている人はいないだろう。そのようなことに気を揉んでいたら、第三者が運転する公共交通機関を使用するのは不可能に近い。
大人は無意識のうちに人を信用している。
というか、そうしないとこの世は生きていけないのだ。
そんなことを考えていると、向かいの男性が室内での使用が禁止されている携帯電話で通話を始めた。
「おい、大丈夫か? 全部チェックしたか? 俺が着いたらすぐ最終チェックするから、俺が行くまで何回もチェックしとけ」
おそらく、同じ仕事先の人間との会話だったのだろう。短い時間の中で、「チェック」という言葉を乱発してしまうほどに不安だということが伝わった。
僕はふと疑問に思う。
なぜ点滴の針を刺した看護師は信用しているのに、同じ仕事先の人は信用できないのだろうか?と。
病院という社会的信用のある施設で働く人とはいえ、看護師は素性も知らない他人だ。
しかし、電話先で会話していた人間は、少なからず看護師よりも人となりを知っているはずだ。
この現象は往々にして起こりうる。
僕自身も、つい同じようなことを考えてしまう節がある。
知らない人であれば潔く信じられるのに、断片的にでもその人を知ってしまったら、疑う要素が生まれてしまうのだ。
縁遠い人ほど信じることができて、身近な人ほど信じられないというのは、なんとも皮肉な現象である。
この現象におけるキーワードは“意識”なのではないだろうか。
無意識だから信じるアクションを取る。
意識するから疑うアクションを取る。
“信じる”という行為を意識すると、カウンターで“不信”が生まれる。
つまり、身の回りにいる人を信じられない状況は、「この人はこうであってほしい」というラインを現実が下回っており、信用できる人はそのラインを上回った人なのではないだろうか。そこに“願望”というフィルターが作用しているのも、実は愛おしい。
人によって信用のライン設定はさまざまだろう。
過去の生き方や人間関係に起因するし、時間経過によって考え方も変わるはずだ。
しかし、そのライン設定を高くしすぎると、幸せから離れて、生きづらい人間関係が出来上がってしまう。
できれば、ラインは低めに設定して、それを越える度にプラスに転じていく加点法にした方が、この世は生きやすそうだ。
目の前の人を信じるのがこんなに難しいのに、
無意識のうちに毎日誰かを信じて生きている。
この事実を心の片隅に置いて、ぷらっと電車に乗る感覚で、人を信じてみたい。
ポタリ、ポタリと僕の身体に沁み渡っていく水滴を見つめながら、人間関係でいささか乾燥した心が潤っていく。
「おつかれさまでした」
白衣の女性が、僕に向かって優しく声をかけてくれた。
向かいの男性は膝を揺すりながら、まだ終わりそうにない点滴を睨み続けている。
僕はお先に失礼します。
電車に揺られて、明日の会場へ向かわねば。
編集=伊藤甲介(KADOKAWA)
<第3回に続く>神奈川県川崎市出身。sumikaのボーカル&ギターで、楽曲の作詞作曲を担当。キャッチーなメロディーと、人々に寄り添った歌詞が多くの共感を呼んでいる。これまで4枚のフルアルバムをはじめ、精力的に楽曲をリリース。ライブでは、人気フェスに数多く出演するほか、自身のツアーでは日本武道館、横浜アリーナ、大阪城ホールなどの公演を完売。2023年には、バンド史上最大規模の横浜スタジアムワンマン公演を成功に収めるなど、常に進化し続けるバンド。