元プロ野球選手・掛布雅之が「伝統の一戦」の魅力を語りつくす新刊を発売。「甲子園での阪神戦は別物と王さんも言っていた」〈インタビュー〉

文芸・カルチャー

公開日:2024/5/25

掛布雅之

 タイガースの主砲として、ホームラン王3回、打点王1回、ベストナイン7回、ダイヤモンド グラブ賞6回、オールスターゲームMVP3回などの輝かしい成績を残すと共に、1985年にはバース・岡田らと共に球団初の日本一にも貢献。“ミスタータイガース”の愛称でもファンに親しまれた掛布雅之さん。阪神と巨人の伝統の一戦について、レジェンドの記憶からスター選手に送るメッセージまで、15年間の現役時代をふり返りながら綴った『虎と巨人』(中央公論新社)をこのほど出版されました。刊行を記念してお話を伺いました。

虎と巨人
『虎と巨人』(掛布雅之/中央公論新社)

僕らの時代は甲子園が満員になるのは巨人戦だけ

掛布雅之

――巨人と阪神についての本は約10年ぶりだそうで、このタイミングでの刊行の理由はあるのでしょうか?

掛布雅之(以下、掛布):やはり23年シーズンに、阪神が38年ぶりの日本一になったことが大きいですね。それと巨人がここ数年、チーム状態が良くない状況が続いていましたし。我々の時代と全く逆転しましたよね。僕らの時代は巨人に勝てない時代が続いていたので。それが去年、巨人は阪神に18敗しています。そういった意味では、甲子園伝統の阪神巨人だとか、この三連戦が天王山だとかは聞かなくなってしまいました。と言っても去年だけかもしれませんが(笑)。僕らの時代と立場が逆転している部分には、寂しさも感じています。

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――「阪神対巨人」という戦いが本当に特別だっだということが伝わる一冊でした。

掛布:僕らの時代は甲子園球場に5万人の観客が入るというのは巨人戦だけ。阪神の連勝が続いた週末や、ゴールデンウィークのデイゲームだとか以外は、甲子園がいっぱいになることなんてほとんどありませんでした。ですが巨人戦になるとゲームが始まる前からレフトスタンドとライトスタンドでやりあっていましたし(笑)、特別な舞台をファンの方たちが創ってくれていました。阪神と巨人の戦いというよりは、西と東の戦い、関ヶ原の戦いのような。今は逆に、阪神はどの試合も超満員ですから。巨人戦が特別だという意識は薄れてきているのかもしれませんね。

――今は全国どこの球場でも、阪神ファンの方が多いのではないかと感じます。

掛布:それは僕が現役のころからですね。ただ、勝っていればの話で、どこの球団にも言えることですが、勝っていれば球場のファンは増えます。ただ、遠征に出た時に、その遠征地まで駆けつけてくれるのは阪神ファンが多いのかもしれません。以前、中日の代表の方と食事する席で偶然お会いした時に、「阪神が弱いと困るんだよ」とおっしゃられていました。それほど観客動員を大きく左右しますし、球団経営にとって阪神が強い方が助かるほど、阪神ファンはパワーがあるということですね。

長嶋さんや王さんの言葉が僕の背中を押してくれた

――掛布さんは千葉県出身で、巨人に対する熱い思いも感じます。

掛布:やっぱり長嶋さんとか王さんに憧れて野球を始めた少年ですから。それに千葉なので、野球中継というと巨人戦しかありませんでしたし。ただ、プレーボールからゲームセットまでずっと野球を見る子供じゃなかったんですよ。長嶋さんとか王さんが出るんじゃないかっていう時だけチャンネルをひねって、そこだけを見るような(笑)。

――その憧れの長嶋さんとの有名なエピソードで、掛布さんがスランプ中に電話で素振りの指導をしてもらった、というものがありますが本当ですか!?

掛布:本当です。「そのスイングだ」と電話越しにおっしゃってくれました。でも(電話の)子機を肩と耳で挟んで素振りしていたので、大したスイングはできなかったんですけどね(笑)。でも僕には、長嶋さんの「そのスイングだ」が、「自信を持ちなさい」というような声に聞こえました。今思うと、自分のスイングをすれば大丈夫だよと、背中を押してくれたのかなと感じています。

――実際にスランプから抜け出せました?

掛布:抜けましたね。長嶋さんは、日本プロ野球界を盛り上げることをすごく考えていてくれる方で、だから敵味方関係なく選手に声をかけてくれました。僕の結婚披露宴の時には誰よりも大きな拍手をくださって、涙が出るぐらいうれしかったのを覚えています。

――寡黙なイメージがある王さんはいかがでしょうか?

掛布:王さんも一緒ですよね。レフト前へ強烈なヒットを僕が打った時、「いつあんなバッティングを覚えたんだ」と一塁ベースで言われ、あの王さんが僕の野球を見てくれていたんだと感動しました。そういった方たちには、言葉ですごい背中を押されたような気がしますね。

田淵さんは僕にとって大きなビニールハウス

――阪神の先輩の方々とのエピソードで印象に残っていることを教えてください。

掛布:田淵さんにはとてもかわいがってもらいましたし、何より4番打者の立ち居振る舞いを背中で見せてもらいました。特別にバッティングを指導されたことはないのですが、家に呼んでいただいて、田淵さんがバットを好きなだけ持っていけと言ってくれました。そのバットを僕は引退するまで素振りでずっと使っていたんですよね。だからどのバットよりも、田淵さんにもらったバットを振っています。

――田淵さんには相当お世話になったと?

掛布:僕には打てないだろうという打球を打つのが田淵さんですから、お世話というよりは憧れの存在でした。また同時に僕を守ってくれました。阪神の負の部分を背負ってくれたから、僕は温室の中で野球をやらせていただいたようなもの。田淵さんは、僕にとって大きなビニールハウスなんですよ(笑)。

――その田淵さんがトレードで阪神を出ていくとなった時の気持ちは覚えていますか?

掛布:ショックだったしびっくりしました。本にも書きましたが、「お前は江夏と俺のように途中で縦縞のユニフォームを脱ぐなよ」という言葉を最後にかけてくれたのを覚えています。

――田淵さんがいなくなって次のシーズンで初めて4番を打つことになりましたが、プレッシャーはありませんでしたか?

掛布:なんと48本のホームランを打って、ホームラン王になってしまったんです。だから4番のプレッシャーを感じる暇がありませんでした(笑)。翌年、左膝の怪我をしてからじゃないですかね。僕の本当の阪神の4番としての野球がスタートしたのは。

――怪我をされてからは結果が出せず、マスコミやファンからかなり攻撃されたそうで。

掛布:その当時はもうマスコミも阪神ファンも大嫌いでしたから(笑)。ただ、マスコミとファンの前から逃げない野球って何だと考えた時に、それは「4番として休まないこと、グラウンドから逃げちゃだめ」という答えを見つけ出して、自分の野球が変わっていきました。

――確かに球場に行って掛布さんが出ていなかったら、ファンとしては悲しいかもしれません。

掛布:そのことを教えてくれたのが衣笠さんです。衣笠さんと江夏さんと食事に行った時に、「阪神の4番として、やっぱり全部の試合に出る義務があるんじゃないか」と衣笠さんに言われました。「三振してもいいじゃないか。エラーしてもいいじゃないか。その代わり一生懸命三振しろよ。一生懸命エラーしろよ。自分の野球全てをさらけ出せ。その勇気を持ったら全試合出られる」とも伝えてくれて、その言葉に背中を教えてもらえたのはすごく大きかったですね。

――ほかに先輩方とのエピソードで心に残っているエピソードはありますか?

掛布:阪神に入団して1・2年の頃ですかね。シーズン前に激励会があの朝日放送のホールであったんです。僕は(1軍)メンバーに選ばれてなかったんですけど、江夏さんに「お前も参加しなさい」と言われて、急遽その激励会にご一緒しました。江夏さんとはほとんど喋ったこともないのですが、その会が終わったら江夏さんに「食事に行くぞ」と誘われて。初めて北新地でおいしいお肉を食べさせてくれたりだとか、すごい高級なクラブに連れて行ってくれたりだとか。たくさんの先輩にかわいがってもらい、いろいろなことを教えていただいたことが僕の財産なのかもしれません。

「何言ってんだよ、掛布」って思ってもらってもいい

掛布雅之

――引退の時のエピソードも書かれていますが、奥様の理解が大きかったと書かれています。

掛布:家で自分のトレーニングができず、治療をしていたり、朝ベッドから起きるのに20分ぐらいかかっていたり、なんとか起きたらすぐぬるま湯の風呂にずっと入ってたりだとか、そういった僕の一日のルーティンを見て、なんというか女房としては辛かったんじゃないですかね。僕自身も、まだ「引退」と素直に言えるような精神的な状態じゃありませんでしたし。

――引退するか迷っていたと?

掛布:そうです。そんな僕に対して、違った意味で背中を押してくれたんでしょうね。「もう無理しなくていんじゃない?」みたいな。

――野球選手の掛布さんというよりは、旦那としての掛布さんとして声をかけられたと?

掛布:そうだと思います。たまたま仕事が野球というだけのことで、その仕事が思うようにできない、そんな亭主を見ているわけですから。いつもだったらトレーニングをしながら家にいる亭主が、起きるのに20分かかったり、電気治療をしていたりする姿を見るのが辛かったんじゃないですかね。それでも野球ができていたら何も言わなかったと思いますが、(野球の成績の)数字が付いてきませんから。当然チームにも迷惑かけていることを女房自身も感じていたんじゃないでしょうか。

――引退され、今の掛布さんの解説を聞いていると、優しい人柄が出ているなという印象を受けます。

掛布:野球に携わる仕事を今もやらせていただいているのは幸せだなと感じています。だからこそ、野球に対してはなるべく素直な気持ちで向き合っていかなければいけないなという部分と、せっかくユニフォームを着ていたのだから違った角度から切り込めるような、そういうものを持っておかなければいけないなと思っています。

――二つの見方・角度で見ていると?

掛布:そういうことです。あとは、自分がやった野球は打撃で言うと7割失敗しているんです。なので、7割の失敗を受け止めてあげられる解説者になりたいと思っています。3割の成功を褒めるのは当たり前ですから。そういったことを考えるのも、来年70歳という年齢もそうさせるのかもしれませんね(笑)。

――掛布さんは阪神のファーム監督に就任もされていましたが、ベンチからチームに関わることと、解説で俯瞰的に見るというのはどちらがお好きなのですか?

掛布:これは両方面白いですよね。(ファーム監督時代は)いくら育成とは言っても真剣勝負です。1球1球、たった一つのサインを誤っただけで流れを欠くこともありますから。一軍だともっと厳しいわけですよ。おそらく、一軍の監督の一番大切な部分とは、「非情」というカードをいかに切れるかということだと思います。それがすごく上手なのが星野さんであり、長嶋さんであったりするわけです。

――岡田監督はどうでしょうか?

掛布:もちろん岡田監督もゲームの流れを読んだり、戦っていくうえで勝負に徹した時のカードの切り方に間違いがありません。そういう意味では「非情」と言うのは失礼なのかもしれませんね。「勝つために切るカード」という言い方が正しいのかな。

――ありがとうございます。最後に、お話しいただいた阪神への愛、巨人への熱い思い、「伝統の一戦」の魅力が詰まった『虎と巨人』ですが、読者へひと言いただけますか?

掛布:野球は100%の正しい答えがないスポーツ。いろいろ考えを持って野球を見られることも楽しさだと思うんですよ。自分の答えが掛布と一緒だった、全く違うだとか、そういうものをこの本を通して楽しんでほしいですね。

――一人一人の答えが違ってもいいと?

掛布:テレビやラジオで僕の解説を聞いている方達が、僕と全く違う考え方を持っている方がいていいと思うんです。選手を応援したり勝負を見ると同時に、解説者の方たちと自分の考えの違いを比べてみてください。頭の中で「あーあいつバカだな。全然違うのに」とか、そういう楽しみ方もできるんじゃないですか?「何言ってんだよ、掛布」って。

取材・文=日高ケータ、写真=松井ヒロシ

掛布雅之

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