頑丈なガラスには無数の目に見えない傷がある。10の「傷」をめぐる物語を収録した、千早茜の短編集

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/6/1

グリフィスの傷"
グリフィスの傷』(千早茜/集英社)

 “傷”と呼ばれるものが目に見えるものばかりなら、どんなにいいだろうと思う。心の傷をはじめとして、目立たない古傷など、周囲から“見えない傷”は至るところに存在する。千早茜氏による新著『グリフィスの傷』(集英社)は、忘れられない痛みと、「傷」をめぐる物語が10編収録された短編小説集である。

「傷」と一口に言っても、人が持つそれにはさまざまな形とストーリーがある。傷にまつわるストーリーは、そのほとんどが辛く悲しいものだ。ある日突然、クラスメイト全員に無視された経験を持つ女性、自分の容姿に絡みつく異性からの視線に苦しむ女性など、登場人物たちはみな一様に何らかの痛みを抱えている。しかし、本書で描かれる傷には、痛みの隣に温もりと寄り添いがある。

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 タイトルと同名の収録作品「グリフィスの傷」では、自傷行為の痕が腕にびっしり残る女性が登場する。その女性と語り合う「わたし」にもまた、一つの傷痕があった。それぞれの女性が傷を負っている理由は、ある意味では対極であり、ある意味では同義である。傷を可視化すること、己を罰すること。この二つは、遠くにいるようでいて近しいところでつながっている。

 無数の傷を持つ女性が子ども時代の思い出を独白する場面で、「グリフィスの傷」の意味が明らかになる。

“ガラスはほんとうはとてもとても頑丈だけど、目に見えない傷がたくさんついていって、なにか衝撃を受けたときに割れてしまうものだって。”

「そういう目に見えない傷のことをグリフィスの傷という」ことを、女性に教えたのは女性の母であった。彼女は幼い頃、母が大切にしていたガラスのマリア像を割ってしまった。叱られると怯えていたところ、母は以下の言葉で娘を宥めたという。

“いままでの傷がつみ重なった結果だから気にしなくていいの”

 一方、この女性を見守る「わたし」は、過去に自分が他者につけた傷を忘れられずにいた。

“もっとたくさんの人があなたに酷い言葉をぶつけている、わたしだけのせいではない。そう思おうとしても、あなたの手首にある傷のひとつは確かに私の言葉によってできたものなのです。”

 グリフィスの傷は、存在そのものが目に見えて壊れてしまうまで気づかない。見えない傷がどれほど刻まれようとも、人は見えないものを「ないもの」と思い込む。そして、いざ対象が壊れてしまったらこう言うのだ。「自分だけのせいではない」と。無数につみ重ねられた傷のうち、どれが致命傷になったかなど、誰にも分からない。小さな傷、大きな傷、浅い傷、深い傷。どの傷が大きくて、どの傷が深いのか。時には、傷そのものは浅いはずなのに、やけに治りが悪い場合もある。膿んで、潰れて、瘡蓋ができても、疼きに耐えられず自らかき壊す。そういう傷もある。まだ、壊れていない。だからといってその罪が消えるわけではない。

 傷をつけた側はすぐに忘れるのに、つけられた側は忘れない。そのように語る人が多い中で、本書は「つけてしまった側」が抱える痛みをも描いている。後悔に苛まれる日々は重く、「自分のせいで」と思うことに耐えきれず、己の罪を婉曲して相手になすり付ける人もいる。だが、つけた「傷」を決して忘れず、後悔と祈りを背負い続けて生きる人もいる。誰のことも傷つけずに生きるなんて、おそらく不可能だ。だからせめて、後者でありたいと気づかされる。

 自分が持つ傷、他者が持つ傷、つけた傷、つけられた傷。多種多様な「傷」の物語は、私たちに静かに問いかける。あなたはその傷と、どう向き合って生きるのか、と。未だ見ぬ答えの欠片のようなものが、散らばったガラス片のように、本書の中できらきらと光っていた。

文=碧月はる

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