美術界を激震させる秘密に対峙する、民俗学×本格ミステリ第三弾
『写楽・考 蓮丈那智フィールドファイルIII』北森 鴻
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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『写楽・考 蓮丈那智フィールドファイルIII』文庫巻末解説
解説
大矢 博子(書評家)
二〇一〇年一月に四十八歳という若さで北森鴻が急逝して、もう十四年になる。にもかかわらず、こうして作品が装いも新たに二次文庫化され、新たな読者に届けられるのは実に感慨深いものがある。本書を新刊として手に取った読者は、もしかしたら北森鴻が活躍していた時代をリアルタイムでは知らない世代かもしれない。それが「読み継がれる」ということだ。どうです、平成にはこんな面白い話を書く作家がいたんですよ。
北森鴻のミステリは、骨董や美術品を題材にしたもの、歴史を扱ったもの、本書のように民俗学を扱ったもの、さらには安楽椅子探偵ものやユーモアミステリなど、実に幅広いジャンルにわたっている。そんな中でこの「蓮丈那智フィールドファイル」シリーズは、『花の下にて春死なむ』に始まる「香菜里屋」シリーズ(講談社文庫)と並ぶ二枚看板、氏の代表作と言っていい。
シリーズ第一作『凶笑面』が刊行されたのは四半世紀近く前の二〇〇〇年五月。第二作『触身仏』が二〇〇二年八月、第三作にあたる本書は二〇〇五年八月に単行本が刊行されている。第四作にしてシリーズ初となる長編『邪馬台』(「小説新潮」連載時のタイトルは『鏡連殺』)の連載中に北森が亡くなったため、そこからは公私共にパートナーである浅野里沙子が引き継いで完成させた。なお、単行本未収録作品と、遺されたプロットを浅野が完成させた作品と、オリジナル作品を収録した『天鬼越』がシリーズ第五作となる。いずれも今後、角川文庫入りする予定だ。
本シリーズは東敬大学の助教授(当時は准教授ではなくこう呼ばれていた)で異端の民俗学者・蓮丈那智をホームズ役に、その助手の内藤三國をワトソン役に据えた本格ミステリの連作である。前作『触身仏』所収の「御蔭講」から蓮丈研究室に加わった佐江由美子も本書ではレギュラーとして定着した。民俗学的に興味深い情報を得ると彼らは現地にフィールドワークに行くが、その都度、犯罪に巻き込まれるというのが基本設定だ。
どの話も民俗学上の謎と事件がリンクしていく様が読みどころだが、その幅広さに唸ってしまう。たとえば第一話「憑代忌」では、大学の木造旧校舎の前で写真を撮ると単位を落とすというキャンパス内都市伝説(都市伝説も民俗学の重要な対象だ)に始まり、旧家に伝わる人形調査に出かけた三國と由美子が事件に巻き込まれる。人形が紛失し、さらに殺人事件が……という展開だ。北森版『人形はなぜ殺される』(高木彬光)とでも言おうか。事件の真相のみならず、大学の都市伝説と殺人事件がどうつながるのかというあたりも読みどころ。
第二話「湖底祀」は円湖と呼ばれる湖の底で大規模な石鳥居が発見されたという話。それを予言したかのような文章が役場のホームページに記載されていたことに那智は疑問を持つ。第三話「棄神祭」は那智が学生の頃に遭遇した殺人事件が語られ、その場所をあらためて訪れて過去に何があったのかを解き明かす。
どれも事件とその真相だけで(乱暴な言い方をすれば)民俗学部分がなくても充分端正な本格ミステリとして成立している。しかしそこに民俗学を絡めることでこのシリーズは〈思考を結びつけることの面白さ〉を味わわせてくれるのだ。第一話の都市伝説や五行思想、人形とは何かという話、第二話の鳥居の由来や海幸彦・山幸彦の話、第三話の数え歌。一見素っ頓狂にも無関係にも思えるような事象が、論理によって結びついていく。「そこがつながるのか」「そう解釈するのか」というサプライズとカタルシス。ここで語られる那智のさまざまな仮説が真実かどうかは関係ない。真実のように思ってしまう、納得させられてしまうことが大事なのだ。その論理のアクロバットはミステリの醍醐味と同じなのである。膝を打つ快感と、未知の情報に触れる知的好奇心への刺戟。その両方がこのシリーズには詰まっている。
その白眉は第四話の表題作だ。式直男という謎の人物が書いた論文が学会誌に掲載された。その論文に一部が引用されている《式家文書》を見せてもらうべく四国の式家を訪ねたところ、当の式直男が失踪したという。しかも那智が疑われて……。
これぞアクロバットだ。旧来の民俗学に反旗を翻すような論文から始まったこの話が、まさかこんなところにつながるとは。絵画から工芸(というよりメカというべきか)まで扱う対象も幅広い。だが読みながらふと我に返るのだ。どこまで読んでも有名浮世絵師・写楽につながるような要素がないのである。タイトルが「写楽・考」なのに!
このタイトルの意味がわかったときには「うわあ」と仰け反った。あり得ない。あり得ないのだが、いや、絶対ないとは言えないぞ、確かに筋は通る──と思ってしまった時点で北森鴻の術中なのだ。著者の手のひらでコロコロ転がされるうちに、手のひらにいると思っていたのがいつの前にか肩の上に乗っていることに気づいて驚くような、そんな体験をさせてくれる。まさに〈思考を結びつけることの面白さ〉がここにある。
一冊を通して読むと短編集とは思えない情報量に圧倒される。北森鴻の〈知〉が集結して行間から迸っているのを感じる。それをこちらも全力で受け止めるのが実に楽しい。
この第四話には著者の別シリーズの登場人物である宇佐見陶子が既刊に続いて再登場。また、ずっと陰に日向に蓮丈研究室を支えてきた教務部の「狐目の男」の名前も判明する。オールスターキャストが揃ったところで、いよいよ未完の絶筆となった長編『邪馬台』へと進むことになる。
なお、「湖底祀」についてあまり知られていない話がある。最後にそれを紹介しよう。前述の浅野さん曰く、この物語は北森鴻が「木村拓哉さんが出演していたドラマで、湖の底に鳥居があったのを見て思いついた」のだそうだ。時期を考えると、二〇〇二年にフジテレビで放送された、明石家さんま・木村拓哉主演「空から降る一億の星」の第九話の一場面だろう。そのシーンは群馬県の赤城公園内の小沼でロケが行われ、鳥居は撮影用のセットだったようだが、まさか月9ドラマが「湖底祀」を誕生させたとは!
余談だが、北森鴻はかつて湯田温泉の馴染みのバーでカラオケを所望され、TOKIOの「宙船」を歌った(けっこううまかった)そうで、意外とアイドル好きだったのかもしれない。一度そんな話をしてみたかったなあ。
以前、新装版『香菜里屋を知っていますか』(講談社文庫)の解説を担当したときに「蓮丈那智シリーズについても北森さんの興味深いエピソードを聞いたのだが、ここに書くには少々適さない。今後復刊の機会でもあればその折にぜひ披露させていただこう」と書いたが、それがこの話である。このときはまだ復刊予定を聞いていなかったのだが、お伝えすることができてよかった。北森鴻を新たに知った読者も、著者がぐっと身近に感じられたのではないだろうか。
亡くなって何年、と数えることは容易い。だが物語が読まれ続ける限り、作家は死なない。こうして復刊されたり電子化されたりしていつでも北森鴻作品が読者の手の届くところにある今が、とても嬉しいのである。
作品紹介・あらすじ
写楽・考 蓮丈那智フィールドファイルIII
著 者:北森 鴻
発売日:2024年05月24日
民俗学が、世界に名高い浮世絵師の秘密に迫る――!
世界に名高い浮世絵師ながら、正体が謎に包まれている東洲斎写楽――。蓮丈那智が古文書調査のため訪れた四国で、美術界を激震させる秘密に対峙することとなる表題作など、全4篇を収録。憑代とされた人形の破壊と惨殺事件の関わり、湖底に沈む鳥居は、事の発端なのか? 旧家に伝わる神像を破壊する祭祀と過去の因縁とは。異端の民俗学者の冷徹な観察眼は封印されし闇を暴く。はなれわざの謎ときに驚嘆必至の本格民俗学ミステリ!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322305000303/
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本記事は「カドブン」から転載しております