福岡芸人の大先輩、博多大吉がバッドボーイズ清人の自伝的コミックエッセイ『おばあちゃんこ』を語る。強烈な貧乏体験に「僕には生々しくて何回も読めないよ」

マンガ

公開日:2024/6/1

いつも周りとは温度差があるんですよ

――ちなみにおふたりの出会いとその関係性にも話を進めていきたいのですが、清人さんも大吉さんも、福岡吉本で芸人デビューしています。芸人になろうと思ったきっかけは?

清人 僕はテレビでとんねるずさんを見ていた世代で、もちろんダウンタウンさんも好きで。でも、当時は(芸人が)遠い存在だったんですよ。ところが福岡にも吉本が進出してきて、お祭り騒ぎになった。

大吉 それは高校生くらい?

advertisement

清人 いや、中学生のときだったと思います。衝撃だったんですよ。福岡に事務所ができて、地元から博多華丸・大吉さんというスターも出てきた。それから芸人になることが一気に現実的になって。福岡でも十分にでかいと思える仕事があったし、わざわざ大阪や東京に行かなくても、自宅から職場に通えるぞと。

大吉 僕らもとんねるずさんに憧れていたけれど、清人と同じように、大阪や東京に行くほどのものではないと思っていましたね。そしたらある日、ここ(福岡)で良いよと、吉本が言ってくれたので。僕らが会社に入った1990年は、めんたいロック(70~80年代に博多・北九州で隆盛したバンドシーン)と呼ばれるブームが一旦落ち着いた時期だった。その空白部分に僕らの仕事ができた感じでしたね。

清人 ちなみに僕が入所したときは、ちょうど大吉さんが活動していなかった時期で、華丸さんだけでした。噂で「そろそろ怖い人が戻ってくる」と聞いてビビっていましたね(笑)。それが大吉さんだったのですが、初めて会ったときから優しくて、すぐに「ご飯行こっか」とおっしゃってくれた。印象はガラッと変わりましたね。

大吉 休業中も、華丸とは連絡を取っていて、清人に関しては、「高校の芸能コースを卒業したらしい」と情報は聞いていました。ただ、相方の佐田があの頃からあの風貌なので、やっぱり目立っていて。まさか影に隠れている清人も暴走族で一緒だったとは思わなかった(笑)。

――仲良くなったのには何か理由があったのでしょうか?

大吉 佐田は同期やちょっと年上の先輩と遊んでいたイメージで。「みんなでメシ行こう」となっても、清人はポツンと佇んでいたんです。当時はまだ、コンビだと佐田が遊びに行く方には行けない感覚というのがあったので、そこで僕が声をかけて遊ぶことが多くなりましたね。

清人 大吉さんのお誘いはありがたかったです。芸人になってからもそうですが、いつも周りとは温度差があるんですよ。『おばあちゃんこ』にも描きましたが、おばあちゃんは目が見えなかったから、子供の頃はほぼ毎日、一緒に買い物に行かなきゃいけなかった。なので、放課後もすぐに友達と遊びに行けなかったし、暴走族にいた頃も……そもそもあのノリが無理だったのもあるのですが(笑)、家ではゴミ出し担当だったので収集車に間に合うよう24時までには一旦帰るんです。そういう感じだから、自然と周囲とは距離が空いて……そう考えると、おばあちゃんが僕の中で一番怖い存在だったかもしれないですね(笑)。

清人さん、博多大吉さん

AKBのメンバーは、バッドボーイズのふたりをすごく慕っていた

――そして2003年に清人さんが上京、05年には大吉さんも満を持して上京し、おふたりは同居生活も送っていますね。

大吉 僕が上京するときに清人に話を聞いたら「家がない」と。ちょうどTBSの深夜帯で、「ゲンセキ」という若手芸人中心の番組が始まって、バッドボーイズも抜擢されたんです。当時は海外ロケとかもよくあったけれど、清人は家がないから住民票を東京に置けなくて、パスポートが取れなかった。だから、一緒に住んでまずはパスポートを作らせようと。

清人 そうでした。ありがとうございます。

大吉 ずっと彼女の家に転がり込んでいたから(笑)。それで、調布の国領にふたりで住みました。東京の人からしたらなぜ国領かと思われるでしょうが、下見の時間もなくて、路線図を見て決めちゃったら、(劇場のある)新宿や渋谷はまぁ遠かった(笑)

清人 一緒に住ませてもらって、大吉さんに対してギャップみたいなものはなかったのですが、ずっと緊張感というのはありましたね。もちろん、話しやすいし、親しみやすくはありましたけど。

大吉 清人はね、思った以上に大人しかった。ずっと絵を描いたりしていて。他の芸人と比べても……うん、独特。でも、別に仲が悪いわけじゃなくて。

清人 それはとにかく大吉さんに甘えていたからです。後輩として、先輩を楽しませようという気持ちがなかった(笑)。なのに、「俺の部屋で飲むか」と誘われるのを自分の部屋で待っていて。大吉さんから誘われて飲むのがめっちゃ好きでしたね。

――その後、バッドボーイズは『AKBINGO!』のMCに選ばれるなど、メディアにもどんどん露出していきました。

大吉 あの番組は、彼女たちが大ブレイクする前からやっていたじゃないですか。のちにAKBの方々と絡む機会も増えたのですが、大ブレイク中だったので、少しでも間違ったことを聞いたりすればすぐに炎上してしまう緊張感があったんです。でも、そういう子たちがバッドボーイズのふたりをすごく慕っていたから、すごくやりやすかった。この大人しい清人ですら、あの頃は秋元(康)先生とのつながりをちょくちょくほのめかすマウントを取ってきたくらいで(笑)。

清人 いやいやいや(笑)。

大吉 バッドボーイズって、わかりやすく売れたわけじゃない。賞レースで結果を残すという方法じゃなくても、別の売れ方があることに、「東京って不思議だなぁ」と思う部分はありましたね。

博多大吉さん

清人 当時はただ必死でしたが、今になって、あの番組が大きかったことを実感しますね。MCの佐田が何より大変そうでしたけど、僕は僕でプロデューサーの方に「使わないけどボケていけ」と言われていて。AKBの番組なのでそれは仕方ないですが、カメラ担当のオジサンたちとは仲良くなって、「清人さん用にカメラを一台固定させてください」と、わざわざプロデューサーさんに頼んでくれたことがあるんです。即、断られたらしいですが(笑)、その気持ちが嬉しかったですね。

『おばあちゃんこ』を皮切りに、当時の経験をしっかりと売っていくべき

――『おばあちゃんこ』でも描かれていますし、大吉さんとの関係性もそうだと思うのですが、清人さんは年上の方々にかわいがられるイメージがありますね。今でも自宅に近所のオジサンたちが遊びに来るそうですし。

清人 別に何も意識していないですけどね。たぶん、幼い頃から自宅に近所の人がたくさん出入りしていたので、それが普通というか、当時の感覚の延長かもしれません。

大吉 それで言えば、この漫画でひとつ謎が解けました。どうして清人があそこまで簡単に、他人を自宅に招き入れるのかが(笑)。結婚してからも、深夜にオジサンたちを5~6人引き連れて帰ってきて、リビングで酒盛りを始めると。しかも日によっては、清人がいない日もある。信じられない話だし、来る方も来る方(笑)。奥様はそんなに嫌がっていなかったみたいですけど、僕はそれを聞いてすごく怒った記憶があります。ただ、そういうことが平気でできるのは、実家がああいう環境だったからだと理解しましたね。

――大吉さんは、清人さんの現在の活躍をどのように見ていますか?

大吉 バッドボーイズとしては良くも悪くも佐田がずっと目立っていて。反対に、清人は「何をやっているの?」と周りから言われてきた。その状況を変えるならば、『おばあちゃんこ』を皮切りに、当時の経験をしっかりと売っていくべきですね。芸人にとっては間違いなく財産なので。実際、売れる内容だと思いますよ。ただ、絵はそんなに巧くないでしょう?

清人 (笑)

大吉 それがリアルでもある。当時の清人の絵日記を読んでいるような感覚があって。とはいえ、僕は矢部(太郎)くんの『大家さんと僕』派ですけどね(笑)

清人 えっ、そうなんですか……!

大吉 あれは良い。何回も読めて感動できる(笑)。清人の漫画は、僕には生々しくて何回も読めないよ。でも、矢部くんの漫画が幅広い層に支持されるものだとしたら、清人の漫画も、佐田のYouTubeも、バッドボーイズの漫才も、ある特定の人たちに支持される傾向がある。だから、そこに向けるべきで。二度とあんな『ONE PIECE』みたいな異能バトル漫画を――。

清人 いや、大吉さん。もう一度、チャンスは欲しいです。

大吉 えぇ? もうああいうことはしなくて良いから(笑)。

清人 肝に銘じます……と言いたいのですが、やっぱり諦めきれません。もう一度、あのファンタジー漫画をきちんと完成させて、お見せできるようにリベンジします!

清人さん、博多大吉さん

取材・文=森樹 写真=石田壮一

清人(バッドボーイズ) きよと
1978年生まれ、福岡県福岡市出身。97年、高校の同級生である佐田正樹とバッドボーイズを結成。ネタ作りとボケを担当する。2010年に自伝的小説『ダブル☆ピース』を、24年3月、おおみぞきよと名義でコミックエッセイ『おばあちゃんこ』(KADOKAWA刊)を発売。

博多大吉 はかた だいきち
1971年生まれ、福岡県古賀市出身。90年、博多華丸とコンビ「鶴屋華丸・亀屋大吉」を結成、ツッコミとネタ作りを担当。2004年にコンビ名を「博多華丸・大吉」に改名、さらに05年に東京へと進出。清人とは上京した年から2年間、同居生活を送っている。

あわせて読みたい