ダ・ヴィンチ編集部が選んだ「今月のプラチナ本」は、寺地はるな『こまどりたちが歌うなら』

今月のプラチナ本

公開日:2024/6/6

今月のプラチナ本

あまたある新刊の中から、ダ・ヴィンチ編集部が厳選に厳選を重ねた一冊をご紹介!
誰が読んでも心にひびくであろう、高クオリティ作を見つけていくこのコーナー。
さあ、ONLY ONEの“輝き”を放つ、今月のプラチナ本は?

 ※本記事は、雑誌『ダ・ヴィンチ』2024年7月号からの転載です。

『こまどりたちが歌うなら』

●あらすじ●

前職に疲れ、親戚の伸吾が社長を務める小さな製菓会社「吉成製菓」に転職した茉子。業務に精通しながらもパートとしての勤務を続ける亀田さんや声と態度の大きな江島さん、そんな江島さんに叱られてばかりの正置さんといった個性豊かな面々と働き始めたが、吉成製菓にはサービス残業やパワハラ先輩のご機嫌取りなど、いくつもの「見えないルール」があった。茉子はそれらをどうしても見逃せず――。

てらち・はるな●1977年、佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞し、デビュー。21年『水を縫う』で河合隼雄物語賞を受賞。『川のほとりに立つ者は』『大人は泣かないと思っていた』『わたしたちに翼はいらない』など著書多数。

『こまどりたちが歌うなら』書影

寺地はるな
集英社 1870円(税込)
写真=首藤幹夫
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編集部寸評

 

いつもポケットにお菓子を入れておこう

他者を認め、補い合える人生は豊かだ。と、判っているけど、脇に追いやる瞬間がある。例えば仕事。課せられた職務を遂行するため効率を追い、見返りや承認を求める。すると相手を気遣う余裕を失う。本作では、旧態然とした吉成製菓の方針に疑問を抱く茉子が、まっとうな道を示そうとする。読みながら何度も、彼女の言葉に頷いた私は、茉子が伸吾に「ぞっとするぐらい残酷やな」と言われる場面で、はたと己の偏見に気付いた。誰かが茉子に手渡すお菓子が、甘美な余裕を、少しだけ生みだす。

似田貝大介 本誌編集長。二世社長の伸吾に共感してしまった。頼りない社長でもいいじゃない。一人では無理でも、皆がいればなんだってできるのだから。

 

こまどり歌えばええやん

職場というのは人種のサラダボウルであって、それぞれの思想や事情を慮っていると本来の業務どころではなくなってくる。だから「黙っとくか/黙っとけや」となりがちなのだが、主人公の茉子は黙らない。「黙ってたら、みんな無視するやん。無視していいってことにされてしまうやんか。(略)だから、こまどりは鳴くんや」。そんな彼女のこまどりぶりは、ちょっと煩がられながらも、少しずつ状況を変えていく。煩がられるのは誰でも嫌だろう。でも誰かが鳴かなければいけないのだ。

西條弓子 安野モヨコさん特集で数々の名作を一気に読み直したことにより情緒が暴発し、5月はいろいろやらかしました。濃厚な特集をお楽しみください!

 

余裕がなければ立ち上がれない

専業主婦の妻がいる健康な男性のために作られたルールは、その条件に当てはまる人がどんどん減っている今、誰のためにもなっていない。そこで声を上げるのが本作の主人公、茉子だ。若く元気で自分のために使う時間がいっぱいあり、実家暮らしで両親に愛されている「コネの子」だから、臆せず言えてしまう。辛い環境で我慢してきた人たちが、彼女の正論を疎む気持ちもわかる。それでも、顰蹙を買いながらも、恵まれた立場を他人のために利用しようと決意する茉子に、心を打たれる。

三村遼子 買っておいた手土産を玄関の目立つところに置いておいたのに、すっかり忘れて家を出ました。近くに『こまどり庵』みたいなお店ができないかなあ。

 

言葉が通じなくても……

親戚の縁で製菓会社に転職した茉子は、古い会社の規則に真っ向から声を上げる。ただ「コネの子」であろうと、長年の慣習を変えるのは難しい。「『対話』ってね、言葉の通じる人同士でしか、無理なんです」。茉子の元同僚の言葉にあるように、主張しても何も変わらないことの方が多い。ただ、それぞれの背景を知ると、自分とは遠い存在だと思っていたパワハラ上司の江島もぶっきらぼうな亀田も、その人の輪郭が見え距離が近づく。人と関わることの本質をあらためて教えてくれる作品。

久保田朝子 今年の夏も暑い上に、長く続きそうで、暑さに弱い身としては今から戦々兢々。頭からすっぽりかぶるタイプの日よけカバーをスタンバイ。

 

人が持つ多面的な“自分”に触れて

主人公の茉子は仕事で問題だと感じたことを正直に口にして煙たがられてしまうが、同僚や社員の家族など、人々とコミュニケーションを重ねることで社員たちの様々な一面を知った。社員たちもまた、茉子に対して「コネ」のレッテルを貼るのではなく、同じ会社の仲間として見るようになる。人間は一人一人違う生き物だからこそ、「知る」ことで多面的な本質が見えてくる。自分はどんな人間か、そして、どんな人間になりたいのか。読後、自分自身の生き方に向き合ってみたくなる物語。

細田真里衣 今号にて編集部を異動することに。3年間、大好きな作品の特集・取材に関わることができ、とっても楽しかったです! ありがとうございました!

 

他者と関わり、影響し合う

茉子は、声をあげる人だ。タイムカードを押してからの残業、お昼休みの電話番など、会社に残る慣習や理不尽なルールに対し、はっきりと意見を述べる姿が気持ちいい。でも、あるとき、正論を語る彼女に対し、同僚がかけた言葉にはっとする。“世の中、茉子ちゃんみたいな人ばっかりじゃないよ”。さまざまな価値観の人々がいるからこそ、彼女の正しさだけがすべてではない。茉子が人や会社を劇的に変えるのではなく、周囲の人々と互いに影響し合いながら、変化へとつながっていく。

前田 萌 家のなかに愛犬たち用の見守りカメラを設置しました。これまでは知らなかった日中の様子を覗き見。お昼寝している姿に癒やされています。

 

仕事にはいくつもの正解がある

職場にはいろんな人がいる。物語の舞台である老舗の和菓子屋・吉成製菓で働く人々も、淡々と仕事をこなす人、高圧的な態度をとる人、厳しく指導をする人と様々だ。しかし、「人それぞれ、得意なことと苦手なことがある」。 やり方に違いはあれど、皆ひたむきに仕事と向き合っている。誰か一人の正解を押し通せばいいのではなく、多種多様な正解を組み合わせながら働けるのが理想である。他人の声を聞き、自分の声も聞く。茉子のまっすぐな仕事への眼差しに元気をもらえる作品。

笹渕りり子 食をモチベーションに仕事を頑張る毎日。最近はきらきらした素敵な和菓子をいただけるというお茶会が気になっている。いつか参加したい。

 

ままならない。そんなとき、どうするか

長く続いてきた慣例や習慣に抗うのには、とても力がいる。あまりに“正しい”主人公の言葉になんだかくらってしまうのは、私が抗うことをやめてしまったからだろうか。でも、伝えることを諦めずにぶつかることでしか、届かない思いがあるし、見えてこない背景がある。自分を信じてまっすぐ進むことのできる強い主人公ではないからこそ、傷つき、つらい思いもする。しかしだからこそ、そんな彼女のこの言葉に大きな力をもらえるはずだ。「たぶん、なんでもできますよ。わたしたち」

三条 凪 「痩せてから健康診断に行く」という後輩の言葉を聞いて、体重の増加に抗うのをやめてしまった自分に気がつきました。抗うのにはとても力がいる。

 

甘くない世界にも甘い和菓子はあるから

主人公が会長からかけられた「きみ、だいぶはりきっとるようやな」の言葉にモヤり。“はりきる”とはズルい。矛盾を突き詰め、正しくあろうとすることは、必ずしも評価されるとは限らない。むしろ“はりきっとる”人として、大半からは煙たがられてしまうことが多い。そんな残酷な社会で生きる、作中の人々を支えるのは甘い和菓子と少しの相互理解。どうにもならない社会のビターさは、和菓子の甘さと人のわずかな優しさを借りてうまく乗り切ればいいのだと、新しい処世術をここに見る。

重松実歩 洋菓子よりも和菓子派です。誕生日のときはケーキではなく大量の練り切りをリクエストしたことも。感想を書きながらすっかり口があんこの気分に。

 

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