海外絵本の輸入業を経て児童図書出版社へ。社長業のべ“40年”岩崎書店の代表取締役・小松崎敬子さんが人生を共にしてきた3冊【私の愛読書】
公開日:2024/6/13
今から90年前、岩崎徹太が創業した岩崎書店は、学校や公共図書館で親しまれる児童図書を中心に、数々の出版物を生み出し続けてきました。代表取締役の小松崎敬子さんは、海外絵本の輸入販売を手がける「絵本の家」を35年にわたり経営、2021年に岩崎書店と合併し、「絵本の家事業部」となる変化を経て、創業家より社長を任されました。
76歳の現在、ズラリと並んだ愛読書を前に「60代からは昔の本を読みたい」と思うようになったと回想。児童図書出版社の経営者として「リラックスの相棒になるし、手元にあると救いになる」と、本の意義を述べる小松崎さんに、人生を共にしてきた3冊の愛読書を紹介していただきました。
取材・文=カネコシュウヘイ 写真=金澤正平
■池波正太郎作の人気シリーズ『鬼平犯科帳』では“鬼の平蔵”にリーダー像を重ねる
――愛読書の1冊目である『鬼平犯科帳』は、江戸時代の火付盗賊改方である主人公の“鬼の平蔵”こと長谷川宣以が、悪党を懲らしめる捕物帳です。過去に繰り返し映像化もされています。
小松崎敬子(以下、小松崎):説明するまでもない、人気シリーズですよね。池波さんの作品は『剣客商売』や『仕掛人・藤枝梅安』なども、読んでいます。なかでも、『鬼平犯科帳』は一時期にスルスルッと全巻を読破しまして、寝る前にパラパラとめくる日もあり、今では「睡眠薬代わり」となっています。
――手元の文庫本は、年季が入っていますよね。たびたび、読み返していますか?
小松崎:シリーズ通して、5周はしていると思います。作中では平蔵がおそばを食べるなど、江戸の食べものがおいしそうに描かれていて、当時の情緒が目に浮かんでくるのが魅力です。お芝居のようなセリフまわしで、登場人物の立ち回りはイメージしやすく、映像化され続ける理由が分かります。
――部下を率いて悪党と対峙する平蔵の姿に、現実のリーダー像を照らし合わせる声もあります。小松崎さんも絵本の家、岩崎書店で代表取締役を務めていらっしゃいますし、共感できるのではないでしょうか?
小松崎:社長業は、合わせて40年近くです。平蔵が1人で意思決定する姿は自分に重なるといいますか、憧れではあります。
――小松崎さんも平蔵のように、意思決定での苦労を重ねてこられたのかと思います。
小松崎:現在の岩崎書店は役員による合議制を取っているので、それほどの苦労はありません。特に、大変だったのは絵本の家で、設立して間もない頃でした。元々、絵本の家は男性3人が作った会社で、私は経理のスタッフだったんです。ただ、経営陣が1人、また1人と辞めてしまい、自宅マンションを担保にして運転資金を借りたこともありました。会社には「やりたい」とおっしゃる女性陣が残り、これは頑張らなければいけないと思いまして、とにかく会社を「続けてみせる」の一心で経営を続けましたから、平蔵の苦労も身にしみます。
■開墾者として生きた作者の記録『洟を垂らした神』は「ボロボロ」泣いてしまうほどの逸作
――2冊目は、詩人の夫・三野混沌さんと共に、阿武隈山麓の開墾者として生きた吉野せいさんによるエッセイ『洟を垂らした神』です。
小松崎:作者の吉野さんは夫と共に、6人の子どもたちを育て上げた方です。文筆業ではなかったものの、70歳を超えてから知人である詩人の草野心平さんにすすめられて作品を綴ったそうで、当時の心中がつぶさに伝わってくる内容は広く、みなさんに読んでいただきたいです。
――なぜ、この作品に惹かれるのでしょう?
小松崎:表現のみずみずしさに、心をつかまれたんです。書き手としてプロではないからこその、一発勝負の表現が芯に刺さり、電車内で読むたびにボロボロ泣いてしまいます。海外ファンタジー小説『ゲド戦記』の翻訳者である清水真砂子さんがあとがきで「文章が力強く、深く、繊細」と評価されているのは、納得でした。
――作中で特に、心をつかまれた描写もあったのかと思います。
小松崎:子どもが、吉野さんに「二銭」をねだる場面です。ヨーヨーを買うためと理由を聞いた吉野さんは、二銭あればイワシが数匹買えると計算して、子どものお願いを断るんですね。でもその夜に、子どもが自分で作ったヨーヨーをビュンビュンと振り回す光景を見た吉野さんは「その美しさたるやないわ」と表現されていて、”子どもはおそらく幸せだっただろうなぁ”と感じました。
――女性として、吉野さんの生きざまに対する共感は?
小松崎:何もない土地を開墾された苦労は、比べ物にならないと思うんです。ただ、境遇は多少なり重なると思います。吉野さんの夫である三野さんは詩人として素晴らしい方ですが、次第に、頼りにならなくなってしまう時もあったのです。私はひとり娘がいて、引きこもりの夫と暮らしていましたから、生活の大変さには、わずかながらの共感をおぼえます。
■遠藤周作の遺作『深い河』にカトリックの家庭で育った自分を重ね合わせて
――最後、3冊目は遠藤周作さんの『深い河』です。映画化もされた作品で、人生の意味を“インド”に求めるさまざまな登場人物の心情を描いています。
小松崎:作者と同じく、私もカトリックの家庭で育ちましたので、遠藤さんの作品で表される宗教観には共感できるんです。 例えば、バイオリニストのお母様の影響で信仰した遠藤さんが、みずからの信仰心について「着せられた洋服」と繰り返されているのは、分かりやすいですね。この『深い河』は遠藤さんのいわば集大成です。インドのガンジス川へと向かう5人の登場人物になぞらえて、生きるか死ぬか、何を信じるかといった難しいテーマを、やさしく伝えています。
――背景の異なる登場人物の中で、特に印象的だった人物は?
小松崎:登場人物の1人、キリスト教の神父を目指していた大津です。彼は当初、神父になるためにフランスの教会で修行していたものの、ヨーロッパのキリスト教の教義になじめず、孤立してしまうんですね。その後、インドへと渡ってからヒンズー教徒と一緒に、行き倒れの人を救う仕事に就き、キリスト教徒として神と共にいる意味を見出します。大津を通して“人の数だけ信仰がある”と表現されていたかのようで、印象に残りました。
――カトリックのご家庭で育った、小松崎さんご自身の経験も伺いたいです。
小松崎:今も、復活祭とクリスマスには教会へ行きます。遠藤さんのご家庭と違って厳格ではなく、教会に「行きたければ行けばいい」とゆだねてくれる、自由な家庭でした。大人になってから少しずつ、キリスト教の表現を考えるようにはなりましたね。日本では「愛」と聞くと、抵抗感を持つ方もいらっしゃると思うんです。より根づきやすい言葉はないかと、考えたことはあります。
――幼い頃から宗教と向き合われての影響もありそうです。
小松崎: そうですね。私の最後の仕事として、創立90年の歴史を持つ岩崎書店に導かれたと感じています。周囲の皆さんが生き生きと仕事が出来る環境を作ることで、役に立ちたいです。